城中心のお出かけ記

お城などの歴史系や、奇岩など絶景・奇勝系を求めるお出かけ記です。一番好きな城は姫路城、好きな武将は藤堂高虎です。

真壁城

2014年03月31日 | 
真壁城は整備されているんですが、だだ広い感じで土塁と空堀が分かりやすく残っていて素晴らしかったです。

・真壁城
・日時:2014年3月9日 午前 晴れ
・場所:茨城県桜川市真壁町古城

・遺構:土塁、空堀、水掘
・歴史
1172年 大掾直幹の四男の長幹が築城し、真壁氏を名乗る
1602年 佐竹氏の秋田転封の際、真壁氏も出羽角館へ移住
1606年 浅野長政が入封
1622年 浅野長重は笠間城へ移動となり廃城





















大石内蔵助の銅像

2014年03月30日 | 銅像
大石内蔵助の銅像が笠間城にありました。
なぜ笠間に内蔵助がというと祖父がこの地で浅野家に仕えていて、浅野家が赤穂に国替えされ大石家も移ったようです。

・大石内蔵助の銅像
・日時:2014年3月9日 午前 晴れ
・場所:茨城県笠間市笠間


・大石内蔵助(大石良雄)
1659年 生まれる
1701年 江戸城松之大廊下にて浅野長矩が吉良上野介に対して刃傷
1702年 吉良邸に討ち入り、吉良上野介を討ち取る
1703年 切腹


笠間城

2014年03月29日 | 
笠間城に行ってきました。この日はおそらく市民のボランティアのゴミ拾いをしていました。本丸の石垣があるということで期待していったのですが、東日本大震災の影響で石垣が崩壊したそうで通行止めになっていました。仕方なく土塁とかを見るだけで諦めて退散しました。
いろいろ予算とか大変かと思いますが、いつの日かここも復旧されることを願います。

・笠間城
・日時:2014年3月9日 午前 晴れ
・場所:茨城県笠間市笠間

・遺構:土塁、空堀、石垣
・歴史
鎌倉時代 笠間時朝が築城
1590年 笠間氏は北条側につき敗れ、蒲生郷成が入城し改築
1600年 松平氏が入る 以降小笠原氏、松平家、永井氏、浅野氏、井上氏、本庄氏、井上氏、牧野氏と続く












藤田東湖の銅像

2014年03月28日 | 銅像
藤田東湖の銅像が千波湖に近い藤田東湖の生誕地にありました。

・藤田東湖の銅像
・日時:2014年3月9日 午前 晴れ
・場所:茨城県水戸市梅香

・藤田東湖
1806年 藤田幽谷の子として生まれる
徳川斉昭の側用人として藩政改革に当たり、尊皇攘夷論を広める
1855年 安政の大地震で死去




会沢正志斎の銅像

2014年03月27日 | 銅像
会沢正志斎の銅像が住友生命水戸ビル前にありました。水戸学を学び尊皇攘夷を唱えた人と言うことを日本史の教科書を見たらでてきましたが、覚えていませんでした。

・会沢正志斎の銅像
・日時:2014年3月9日 午前 晴れ
・場所:茨城県水戸市南町

・会沢正志斎
1782年 水戸で生まれる
藤田幽谷に学び、斉昭の藩政改革に尽力
1825年 著した「新論」で尊皇攘夷論を提唱する
1863年 死去




徳川慶喜の銅像

2014年03月26日 | 銅像
徳川慶喜の銅像がみずほ銀行前にありました。
この人は大河ドラマとか見ていてやる気あるのかないのかよくわからない感じで、大決断をしたようにも見えますが、流されちゃってするすると進んでしまった感じもあって、本当によくわからない人物です。

・徳川慶喜の銅像
・日時:2014年3月9日 午前 晴れ
・場所:茨城県水戸市南町

・徳川慶喜
1837年 徳川斉昭の7男とし生まれる
1847年 一橋家を相続
1858年 将軍継嗣問題で紀州の慶福と争うが、井伊直弼により将軍継嗣は慶福(家茂)となる
1866年 第二次長州征伐の最中家茂が死去し、15代将軍につく
1867年 大政奉還を行う
1868年 鳥羽・伏見の戦いで敗北し、大阪から江戸へ向う
    江戸城無血開城 駿府で謹慎する
1913年 死去



本間玄調の銅像

2014年03月25日 | 銅像
本間玄調の銅像が三の丸小学校近くにありました。本間玄調は水戸藩医

・本間玄調の銅像
・日時:2014年3月9日 午前 晴れ
・場所:茨城県水戸市三の丸

・本間玄調
1804年 生誕
杉田立卿、華岡青洲、シーボルトなどに師事し医学を学ぶ
1843年 弘道館医学館教授となる
1872年 死去





徳川頼房の銅像

2014年03月24日 | 銅像
徳川頼房の銅像が二の丸の土塁がある場所にありました。水戸徳川初代藩主です。

・徳川頼房の銅像
・日時:2014年3月9日 午前 晴れ
・場所:茨城県水戸市三の丸

・徳川頼房
1603年 徳川家康の11男として生まれる
1609年 水戸25万国の城主となる
江戸にほぼおり、勝軍家光を助ける
1661年 死去


安積澹伯の銅像

2014年03月23日 | 銅像
安積澹伯の銅像が水戸第二中学校前にありました。水戸黄門の渥美格之進のモデルとされていて、大日本史の編纂にあたった人です。

・安積澹伯の銅像
・日時:2014年3月9日 午前 晴れ
・場所:茨城県水戸市三の丸

・安積澹伯
1656年 生誕
1683年 彰考館に入り、大日本史の執筆などを行う
1738年 死去





・安積澹伯の屋敷跡
・場所:茨城県水戸市梅香



水戸城

2014年03月22日 | 
水戸城は水戸駅の北側の広大な場所にあり、小中高の学校と弘道館などがありました。本丸の深い空堀は線路になっていてかなり深く素晴らしいです。そして二の丸には枡形土塁、そして弘道館の裏の方にある図書館とかある所に三の丸の巨大の空堀があり圧巻されました。

・水戸城
・日時:2014年3月9日 午前 晴れ
・場所:茨城県水戸市三の丸

・遺構:土塁、空堀、門
・歴史
1193年 馬場(大掾)資幹が築城
1416年 上杉禅秀の乱で大掾は敗れ、江戸氏が城主となる
1590年 豊臣秀吉の小田原の戦いの際に江戸重通は北条氏側に加担し、佐竹氏が城主となる
1609年 家康の11男の徳川頼房が城主となり、以後11代にわたる