空海は、入寂したのではなく、入定したことになっている。
だから廟所の地下の石室で、今も永遠の行を続けていると伝承されてきた。
代々そのお世話をする僧侶が一人だけいるのだが、その人だけが石室への出入りを許され、千数百年の間、一日二度の膳が供されてきたのである。
歴史上一度だけ、観賢僧正という人がその石室に立ち入ったことが、今昔物語に、書かれている。
観賢は、石室で、空海の一尺に伸びた髪を剃り、衣を清浄にし、数珠の緒を付け替えて差し上げたとしている。
即身仏があるのか、お骨があるのか、一切他言されないし、高野山ではそれを問いただす者もいない。
永遠の秘密である。
だから廟所の地下の石室で、今も永遠の行を続けていると伝承されてきた。
代々そのお世話をする僧侶が一人だけいるのだが、その人だけが石室への出入りを許され、千数百年の間、一日二度の膳が供されてきたのである。
歴史上一度だけ、観賢僧正という人がその石室に立ち入ったことが、今昔物語に、書かれている。
観賢は、石室で、空海の一尺に伸びた髪を剃り、衣を清浄にし、数珠の緒を付け替えて差し上げたとしている。
即身仏があるのか、お骨があるのか、一切他言されないし、高野山ではそれを問いただす者もいない。
永遠の秘密である。
>「だからダメなんだよ~」と。(笑)
ハハハ、何様www
それを言うのは構わないが、言い終えたらちゃんと山彦に耳を澄ますがいいよwww
考えるだに恐ろしいです。
生前でさえ、最澄に対する仕打ちは、罵詈雑言、いじめの数々です。
天才的な宗教家であったことを認めるに、やぶさかではありませんが。
ちょっと前といっても、6,70年前ですが、地方自治体が火葬場を整備するまでは、そうだったのでしょう。
亡くなった叔母と正月に話していたら、その話が出て、誰それさんのお父さんが穏亡で、あの辺に焼き場があって、木組みをして燃やすのだと言っていました。今考えると、叔母は自分の死のことを考えていたのかもしれませんが。
宮本常一も、母親の野天の火葬の写真を残しています。
日本人がどれだけ衰弱しているかということです。
真言密教のルーツは、インドの非アーリア系民族の魔術にあるようですね。
灰になるまでの数時間で遺族は実際に死んだのだと実感する猶予を与えられるのです。
部外者である傍観人でも「生身」の肉体が灰になっていく過程をつぶさに見ると「あきらめ」の境地になるものです。
それでいうとエジプト文明並みに空海に執着した門徒がおこなうこの儀式には首を傾げますねぇ。
死んでも空海の教えは不滅であるのに・・・
まあ弟子というものは師匠の教えを聞き入れられずに木偶の坊だからいつまでも弟子のままなのですが・・・
高野山行ってみたくなりました
山の中で悪態をついてみたい。
「だからダメなんだよ~」と。(笑)