?色の「ためいき」

ほんと世の中「わからない」ことばかり。ニュースを見ても「?マーク」が増えるだけ。そんな「?」を書き連ねてみました。

最高裁の「ほかの裁判との公平性」という見解が裁判員制度を否定した。

2014-07-25 15:03:07 | この報道に??
最高裁の「ほかの裁判との公平性」という見解が裁判員制度を否定した。24日、最高裁判所第1小法廷で「裁判員裁判といえども、ほかの裁判との公平性が保たれなければならず(7月24日 NHK NEWSWEB)として「刑を軽くする判決」が言い渡されたという。

あれだけ大騒ぎした「裁判員裁判制度」を揺るがすような事態なのに、新聞各紙はともかく、小さくでも報じた民放のニュースやワイドショーは少ない。

裁判員裁判は「国民の皆さんが裁判に参加することによって、国民の皆さんの視点、感覚が、裁判の内容に反映されること(裁判員制度導入の理由 法務省 裁判員裁判コーナー)」が目的で、賛否両論があったにのにもかかわらず、内閣に設置された司法制度改革推進本部で立案作業が進められ、2004年5月21日に可決成立したものである。

2004年当時、民放のニュースやワイドショーでは裁判員裁判の導入を推進する論調がほとんどだった記憶があるが、施行から10年も経つと「喉元過ぎれば熱さを忘れ」のように、「国民の皆さんの視点、感覚が、裁判の内容に反映される」ことが最高裁で否定されたのに、一部の新聞を除いて疑問を表明するマスコミは少なすぎるような気がする。

そもそも、最高裁が「刑を軽くする判決」を言い渡した根拠は「ほかの裁判との公平性が保たれなければならない」という「国民の皆さんの視点、感覚が、裁判の内容に反映される」ための裁判員制度導入という目的と、完全に矛盾しているように思える。もし、この判例が定着し、いわゆる前例となってしまっては、「国民の皆さんの視点、感覚」よりも「「ほかの裁判との公平性」が重視されることになりかねない。

かといって「裁判員裁判の判決は絶対」で最高裁でも覆すことができなくなったりしては、参加した裁判員によっては極刑となったり軽い刑罰になったり、法治国家の根幹が揺らぐことにもなりかねない。

結局、「裁判員裁判制度」は施行から10年が経ち、改善すべき点が露になったと考えるべきではないだろうか。

元来、裁判員に選ばれた市民に「量刑」に関与させることには慎重論もあったのも事実である。「有罪か無罪か」の判断ならば、提出された証拠を慎重に判断すれば悩むことはあったとしても、できないこともないかもしれないが、「懲役○年」なのか「懲役□年」なのかは、あまりにも責任が重過ぎるという意見もあったように記憶している(細部まで正確かどうかは自信がありませんが)。

たしか「裁判員裁判になると量刑が軽くなりすぎる」という閻魔大王のような弁護士センセもいたが、10年も経つとまったく逆に「検察の求刑を越える判決が増え」最高裁が「ほかの裁判との公平性」を勘案しなければならなくなっているのである。

もちろん、裁判員に選ばれた方々が考え抜いた結果であって、それを一概に「厳罰主義に傾いて」などというのは疑問が残る。たしかに「罪を憎んで人を憎まず」というより「人を憎んで罪をを憎まず」のように思える、ニュースやワイドショーがまったく影響していないとは思えないが、裁判員に選ばれた方々が「人を裁く」という重い責任に悩んだ末の結果のように思えてならない。

つまり「罪を憎んで人を憎まず」と考えながらも、施行から10年経ち「求刑を越える判決」に至るしかない犯罪も増えているのではないだろうか。10年前、危険な薬物を吸ったあげく車を運転し、人々を死傷させる事件はなかった。また「育児放棄」としかいいようのない事件が、目立つようになったのは、ここ近年のことのように思える。

その意味で最高裁のいう「ほかの裁判との公平性」を勘案しなければならないのは、最近になって発生している犯罪への対応の結果と思えなくもない。

おそらく、厳罰だけが犯罪抑止の方法と考える方は、そんない多くはないだろう。しかし、酒を飲んだあげく運転し、通行人を死傷させた被告などに「求刑を越える判決」に賛同せざるをえない気持ちを、個人的には理解できる。

もちろん「ほかの裁判との公平性」は重要なのだろう。しかし、それは単に平均を求めることではない。10年前には想像もできなかった犯罪に裁判員が普通の市民感覚で求める量刑と法体系の整合性を考えるのが専門の法曹職のようにも思える。

今回の最高裁の判断が、その意味からどうだったのかは難しい。しかし、これまでの慣例などとは無関係に、普通の市民の感覚での求刑である以上、「慣例ウンヌン」ではなく、そういう事件が起きてしまった残念な事実関係も冷静に考慮し「求刑は、そこへの検討が少なかった」から「刑を軽くすべき」と公表すべきだったろう。

歳月とともに犯罪も変わるし、それへの市民感覚も変わる。裁判員制度の目的が「国民の皆さんの視点、感覚が、裁判の内容に反映されること」だとする限り、「ほかの裁判との公平性」というだけで否定してしまうことは「素人にはわからないだろ」と耳を塞ぎ裁判員制度そのものを否定しまうことにつながる