?色の「ためいき」

ほんと世の中「わからない」ことばかり。ニュースを見ても「?マーク」が増えるだけ。そんな「?」を書き連ねてみました。

岡山の「女児無事保護」。はたして「GPS機能付き携帯(スマホ)」は役にたったのか?

2014-07-20 15:19:28 | この報道に??
久しぶりの「良いニュース」だった。「岡山県で7月14日から行方が分からなくなっていた小学5年生の女児が、無事に保護された」の報道には、誰もが「よかったね」と感じたことだろう。

連日、心痛むニュースばかり伝えられていただけに、臨時ニュースの第一報は、まさしく「歓迎される臨時ニュース」だったのは間違いない。

ところが、ナンダカンダと評論したがる日本人の癖なのか、今朝のワイドショーなどでは「よかった、よかった」といえばいいのに、「もっと早く救出できなかったのか」などと解説?するタレントや識者?もいて、朝から考え込んでしまった。

たしかに、警察を無条件で絶賛するのも困りものかもしれない。定期的に放送される「警察24時」のような、お涙ちょうだいの警察絶賛番組が逆効果になって、「人情交番」などというような情報に胡散臭さを感じてしまうのは事実である。

しかし、ソレとコレは別だ。なによりも「ケガひとつなく保護した」ことは、岡山県警の現場捜査関係者を高く評価すべきだろう。

部外者というものは勝手なもので(自分も含め)、「もっと早く」などとナニカ言いたがるものである。しかし、考えてみれば「ケガひとつなく保護」することを第一にすれば、たとえ容疑者が特定できたとしても、無闇に逮捕できるわけもなく、現場の捜査関係者が「慎重のうえにも慎重に」進めてきたであろうと想像できる。その意味で「もっと早く」などというのは、「ナイモノねだり」に近い。

警察という組織に、けっして好感をもっているわけではないが、女児を「ケガひとつなく保護」し事件を解決した岡山県警の現場捜査関係者には、素直に「ご苦労さまでした」と思う。

それと同じように「(携帯電話の)GPSは役に立ったのか」についても複雑な思いを禁じえない。とりわけ、子どもに携帯電話やスマホを買い与える理由に「GPS機能」を考える方々も多いうえ、連日、この事件のニュースで「GPSの発信位置」という地図を見せられば「ここまで分かっているなら」と心配した方々も多かっただけに、やはり気になるところだろう。

もちろん捜査のことは部外者にはわからない。しかし、「GPS機能」として考えれば、電池がなくなるまで位置情報を、ほぼ正確に発信したいたという意味で、「(携帯電話の)GPS」は立派に機能したと褒めてやってもかまわないだろう。

その情報が「役に立ったのか」だが、岡山県警野上幹夫・刑事部長は会見の冒頭で「携帯電話の位置情報の発信場所を中心に聞き込みをした。その結果、親族や地元住民から不審車両の情報が寄せられ、慎重に捜査を進めたところ、容疑者が浮上(朝日新聞デジタル 7月20日)」と述べていることから推察すると、「GPS機能」の位置情報も、「なんらかの」「役に立った」といっても大きな間違いではないのだろう。

もちろん、「GPS機能」の位置情報を頼りに踏み込んで「犯人逮捕」というテレビや映画のようなことはなかった。しかし、「GPS機能」が提供できるのは、あくまで位置情報である。「ケガひとつなく保護」することを第一にすれば、位置情報だけを頼りに乱暴なことはできなかったに違いない。

しかし「だから子どもには『GPS機能付き携帯(スマホ)』」というのは早すぎる。繰り返すが「GPS機能」が提供できるのは、あくまで位置情報である。その情報が役立ったのは「位置情報の発信場所を中心に聞き込みをした(同上)」結果であって、そこを勘違いしてはならない。

「GPS機能付き携帯(スマホ)」を持たせたから安心ということはない。その位置情報を活用する人間が居なければ、位置情報はなんの役にもたたないのである。「GPS機能付き携帯(スマホ)」を検討する前に、その位置情報を「子どもの安全のため、どのように活用するのか」を考えてから、買い与えるか検討すべきだろう。

ちなみに、今回の事件解決に最も貢献したのは、捜査に協力したり情報を提供した地域の住民、つまり人間ではないだろうか。結局、ご両親やご家族が、地域社会での人間関係をを正常に構築していたからこそ、目撃情報も寄せられ無事解決につながったと思えてならない。

そう考えると、隣近所と挨拶するわけでもなく、街で遊ぶ子ども達が「どこの誰なのかもわからない」いわゆる「大都市の壊れた近隣関係」では、「GPS機能付き携帯(スマホ)」を持たせたからといって「子どもの安全のため活用する」といっても難しいかもしれない。

「GPS機能付き携帯(スマホ)」を検討する前に、自ら地域の関係に目を向け積極的に人間関係を構築していくことこそ「子どもの安全のため」の第一歩ではないだろうか。