昼過ぎ、パソコンの作業に疲れて、街を1時間ほど歩いてきた。
裸足でビーチサンダル、果物を買った薄茶の小さな紙包みでは、目立たないから、物乞いにもつかまらなくて良い。
湖のほとり、並木の道、雑踏、バザールとさまよう。
日本だったら絶対渡らないラッシュの道も普通に渡るのにそう決意が必要でなくなった。渡りたいときに渡りたい場所で渡ればいいのだ。
昨日は、やっと遅れていた、宮沢賢治の「雁の童子」を書き上げて日本に送った。
本当は全部パソコンでやるつもりで、作業をスタートさせていたのだが、
急に手書きでやりたくなってしまったものだ。
あの時は古い列車でラッツシャヒ(ラッツもシャヒも王の意味)につき、
その奥深いバザールを歩き回っているときだった、急に私の中の「雁の童子」はこの地のもので書こうと思い立った。
暗くなったバザールを回り、まず紙を探す。裸電球のまぶしい光の中を一軒一軒回ると、帳場の脇に本一冊分ほどの穏やかな色合いの用紙を見つける、別の店の白い髭の爺さんに、聞きながら、一本一本必要な鉛筆を買う、消しゴムを買う、鉛筆を削るナイフを買う。クレヨンを買う。爺さんは、茶色い紙片でそれらを包み、きちんと麻紐で縛ってくれた。
宮沢賢治というはるか過去の人が描いた「雁の童子」というイメージを求めながら
ベンガルの地を歩いていた。
別にこが必要だったわけではない。たまたまそこにいたということだ。
彼の内側にどんなイメージがあったのだろうと思いつつ、佛跡にも立った。
もうそのころは、パソコンですべての絵に手をつけていたが、決定的なイメージ、細部にわたるイメージが捉えられない。そんな気持ちで、遠く流れるコーランの声を聞きながら、廃墟の崩れかけたレリーフを見て回る。
戦いの姿、象の戦車、張り切った弓の力、勝者と敗者、獣の躍動、歌と踊り、人々の営みが、延々と連なっていた、そしてそこに「童子」のレリーフはあった。
別の村の夜、ろうそく1本の明かりを囲んで、数人の集会をしていた。
荒い生成りの布を肩から巻いて、手元のろうそくでじっと書類を見る白髪交じりの引き締まった顔が闇の中にわずかに浮かんで目の前にあり、「須利耶さま」はそこにいた。
サンダルの足元は埃でまっ白になりながら毎日村々の裏から裏を歩き回り、腰巻の男や、サリーの女たちと声を掛け合っていたその場所は、「二人」が歩いた雑踏。
そんな目の前に広がる生きた古代の絵を描きたくなった。
そして古い紙片に、消えそうに残った遺跡や記録のような線を描き一気に絵本を完成させた。たくさんの出会いを大切に一冊にできたうれしさに、ウイスキーを一杯。
別の日は古い列車のコンパートメント(個室)の中で窓一面に広がって流れていく菜の花畑の黄色い輝きや、ジュート(麻)の白い穂波や、黄金色に実って頭をたれている田んぼ、そしてたくさんのヤシの木などを見ながら子供たちの作文を読んで、感想をパソコンに打っていた、もうそこはインドの国境に近いほんとの田舎。すぐ脇がインドで、歩いたって十分です。
一緒に旅をしているバングラディッシュの青年に、子供たちの作文を読んであげた。
読んでわかったが、私の英語力は子供たちの作文レベルだなー。みんな笑いながら聞いていました。いつか、子供たちもこんな列車の中で、たくさんの外国の友達と話すときがきっとくるような気がしてきました。移動しつつ今月は過ぎてゆきます。
裸足でビーチサンダル、果物を買った薄茶の小さな紙包みでは、目立たないから、物乞いにもつかまらなくて良い。
湖のほとり、並木の道、雑踏、バザールとさまよう。
日本だったら絶対渡らないラッシュの道も普通に渡るのにそう決意が必要でなくなった。渡りたいときに渡りたい場所で渡ればいいのだ。
昨日は、やっと遅れていた、宮沢賢治の「雁の童子」を書き上げて日本に送った。
本当は全部パソコンでやるつもりで、作業をスタートさせていたのだが、
急に手書きでやりたくなってしまったものだ。
あの時は古い列車でラッツシャヒ(ラッツもシャヒも王の意味)につき、
その奥深いバザールを歩き回っているときだった、急に私の中の「雁の童子」はこの地のもので書こうと思い立った。
暗くなったバザールを回り、まず紙を探す。裸電球のまぶしい光の中を一軒一軒回ると、帳場の脇に本一冊分ほどの穏やかな色合いの用紙を見つける、別の店の白い髭の爺さんに、聞きながら、一本一本必要な鉛筆を買う、消しゴムを買う、鉛筆を削るナイフを買う。クレヨンを買う。爺さんは、茶色い紙片でそれらを包み、きちんと麻紐で縛ってくれた。
宮沢賢治というはるか過去の人が描いた「雁の童子」というイメージを求めながら
ベンガルの地を歩いていた。
別にこが必要だったわけではない。たまたまそこにいたということだ。
彼の内側にどんなイメージがあったのだろうと思いつつ、佛跡にも立った。
もうそのころは、パソコンですべての絵に手をつけていたが、決定的なイメージ、細部にわたるイメージが捉えられない。そんな気持ちで、遠く流れるコーランの声を聞きながら、廃墟の崩れかけたレリーフを見て回る。
戦いの姿、象の戦車、張り切った弓の力、勝者と敗者、獣の躍動、歌と踊り、人々の営みが、延々と連なっていた、そしてそこに「童子」のレリーフはあった。
別の村の夜、ろうそく1本の明かりを囲んで、数人の集会をしていた。
荒い生成りの布を肩から巻いて、手元のろうそくでじっと書類を見る白髪交じりの引き締まった顔が闇の中にわずかに浮かんで目の前にあり、「須利耶さま」はそこにいた。
サンダルの足元は埃でまっ白になりながら毎日村々の裏から裏を歩き回り、腰巻の男や、サリーの女たちと声を掛け合っていたその場所は、「二人」が歩いた雑踏。
そんな目の前に広がる生きた古代の絵を描きたくなった。
そして古い紙片に、消えそうに残った遺跡や記録のような線を描き一気に絵本を完成させた。たくさんの出会いを大切に一冊にできたうれしさに、ウイスキーを一杯。
別の日は古い列車のコンパートメント(個室)の中で窓一面に広がって流れていく菜の花畑の黄色い輝きや、ジュート(麻)の白い穂波や、黄金色に実って頭をたれている田んぼ、そしてたくさんのヤシの木などを見ながら子供たちの作文を読んで、感想をパソコンに打っていた、もうそこはインドの国境に近いほんとの田舎。すぐ脇がインドで、歩いたって十分です。
一緒に旅をしているバングラディッシュの青年に、子供たちの作文を読んであげた。
読んでわかったが、私の英語力は子供たちの作文レベルだなー。みんな笑いながら聞いていました。いつか、子供たちもこんな列車の中で、たくさんの外国の友達と話すときがきっとくるような気がしてきました。移動しつつ今月は過ぎてゆきます。