Apple~何とかダイナーって店らしいです。
(^^;;
宮崎のパイン牛。
参宮橋にあるそうです。
あゝ、食ってみた~い!
かなり、デカイそうです。
まずは、本日のビックリ‼︎
…そんなわけで
ボブディラン本人にしたら、ありがた迷惑なのかもしれませんね。
恐らく、毎年ノミネートされる、くらいが、ディランにとっては、心地よかったのかもしれません。
ノーベル賞は、あれこれ賛否両論あるとはいえ、僕は、平和賞以外は、コツコツと頑張ってる学者さんや、文学者に与えられるから、ましてや、文学賞は、素直に、受賞者を祝福すべきだと思います。
ボブディランを、知らない人にしてみれば、ハルキスト⁇と同じ感情だと思います。
中途半端にディランを理解する人は、彼を社会派であり、プロテストソングを歌う人だと、大きな勘違いをしています。
作家としてのボブディランを知るには、まず、ここを抑えてください。
➡︎ビート・ジェネレーション(Beat Generation)とは、1950年代から1960年代にアメリカ文学界に登場し、当時の社会体制、社会の価値観を否定し反抗した一部の作家たちの総称のこと。
ビートニク(Beatnik)と呼ばれる事もあります。
生年でいうと、第一次世界大戦期から1920年代までのアメリカの狂騒の時代に生まれた世代。
代表的な作家としては、
・ジャック・ケルアック
・ウィリアム・バロウズ
・アレン・ギンズバーグ
この3名が特に有名。最盛期には当時の多くの若者たち、特にヒッピーと呼ばれる若者群から熱狂的な支持を受け、やがて世界中で広く知られるようになりました。
この映画を見ると、ビートゼネレーションが、わかります。
…
ボブディランは、アメリカを代表する、偉大な作家の影響を受け、同時に、彼等から、高い評価を得ていました。
これだけでも、すでに、ボブディランの文学者としての、説明になると思います。
ボブディランは、ウッディガスリーのようなトーキングブルースを下地にしたシンガーであり、彼独特の手法による、即興詩人であり、そこに、ボヘミアン的なテイストを加えた、天才的な詩人でえり、つまり、文学者なのです。
歴史の浅い、アメリカが、唯一産んだ、偉大なる作家なのですよ。
だから、ボブディラン文学⁇…(^^;;を、こよなく愛する日本人ならば、今回の受賞は、文学的価値として、ノーベル賞にふさわしい、当然の受賞だと思っています。
ある意味、アメリカでのアメリカ人の、ボブディラン評価は、日本での日本人の、村上春樹評価とは、似ているかもしれません。
そう思って、ボブディランの歌と歌詞を、聴いて読んで、みてください。
ハルキストならば、ボブディランの作品内容はともかく、ボブディランが受賞した、そのニュアンスは、理解できるかもしれません。
ボブディランは、10年前から、毎年、ノーベル賞候補に名前が、上がってました。
むしろ、やっと巡ってきた。
受賞は、当然のことです。
それが、僕の率直な意見です。
それくらい、ボブディランの歌詞は、全ての作品が、文学的であり、しかも、他人には、絶対に真似ができない手法で、数多くの作品を世に発表してきた、作家であり、世に言うロックと言うジャンルを、形にした人です。
今は、もう、恐らくないかもしれないと、ロンドン在住日本人や、ロンドン出身の英国人から、言われましたが、ロンドンのアールズコートという街の、通り沿いに、歴史のあるcafeで、トルバドール=Troubadour cafeが、ありました。
このcafeこそが、1960年代のある日、ボブディランが、突然立ち寄り、即興で歌ったcafeとして、有名なcafeでした。
この古いcafeは、地下で、そういったパフォーマンスをやっていました。
ここでのバートヤンシュのライブを、まだ無名のジミー・ペイジが見に来たcafeとしても、有名なcafeでした。
僕は、このcafeに毎日通いつめ、cafeをやるならば、日本で、こんなcafeをやりたいと、当時、真剣に憧れていました。
…
ボブディランのレコーディングは、全て、一発録りと言われています。
つまり、即興で歌うからです。
吟遊詩人的に、散文となっています。
ライブでは、毎回、曲のアレンジが変わります。
他の一般的なミュージシャンのように、同じ曲を同じに演奏することはありません。
歌詞も変わります。
それは、本人いわく、感情はいつも変わるもの、歌詞もそう、なのだそうです。
一般的には、営利的にも、アレンジも演奏も、同じなのが、普通です。
でも、ボブディランは、コンサートでは、耳を凝らさないと、曲名がわからないことが、当たり前にあります。
ボブディランとは、そんなアーティストです。
お粗末‼︎
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