人命の軽視(あってはならないこと) 毎日毎日おぞましき事件に接するとマヒしてしまいそうになる。
50年前はそうでもなかったように思うが、長かった昭和の終わりに近いころから、人命がその尊さから遠のいてきたように思われる。
報道による過激な面の情報は、決して良い効果を残さなかったのではなかろうか。
加えて漫画にあらわされる同様のシーンも、まだ心が固まらない少年やゆっくりした成長に甘えてきた方たちの心を捉え、人々が望む方向とは逆の道をたどったのかも知れない。
また、一日に数千人も命を、落とすと言うテレビ画面にあっては、生々しく(昔と異なるカラーであればなおの事)人々の目に焼き付いて離れなかったのかも知れない。
いずれにしても人命の尊さは古今東西変わるはずもなく、日本人なら幼き頃より人様に危害を加えてはならないと教え込まれて育ってきていると思う。
にもかかわらず海外を含め、実におぞましいシーンをこれでもかと言わんばかりに報じてきたジャーナリズムにもいくばくかの責任があるのではないかと思ってしまう。
アマチュア・カメラマンが民有地に立ち入って踏み荒らすのも、常識を逸した行為であるが、ジャーナリストがどかどかと奥座敷に踏み込んで個人の生活を脅かす問題が取り上げられることがあるが、ここにこそプライバシーを保護しなければなるまい。
一握りの人々によって執り行われる立法府は、この辺のことを認識していないように思える。政府があって国民が存在するのではなく、その逆が国を形成するのである。
国民の安全と安心、命を守る政府であってこそ長期に支持される立派な政府と言えるのではないだろうか。
ところが国民生活が、心無いジャーナリストたちによって踏みにじられることが多いと聞く。あってはならないことである。勿論報道の自由という、憲法に認められた道がある。そこに絶対権力が備わっているのでなく、その前に国民一人一人の犯されてはならない権利が存在することを見逃してはならない。 この件は折を見て投稿してみたい。
いずれにしても失ってはならない人命の尊さを今一度教育に取り入れても罰が当たることもない。
50年前はそうでもなかったように思うが、長かった昭和の終わりに近いころから、人命がその尊さから遠のいてきたように思われる。
報道による過激な面の情報は、決して良い効果を残さなかったのではなかろうか。
加えて漫画にあらわされる同様のシーンも、まだ心が固まらない少年やゆっくりした成長に甘えてきた方たちの心を捉え、人々が望む方向とは逆の道をたどったのかも知れない。
また、一日に数千人も命を、落とすと言うテレビ画面にあっては、生々しく(昔と異なるカラーであればなおの事)人々の目に焼き付いて離れなかったのかも知れない。
いずれにしても人命の尊さは古今東西変わるはずもなく、日本人なら幼き頃より人様に危害を加えてはならないと教え込まれて育ってきていると思う。
にもかかわらず海外を含め、実におぞましいシーンをこれでもかと言わんばかりに報じてきたジャーナリズムにもいくばくかの責任があるのではないかと思ってしまう。
アマチュア・カメラマンが民有地に立ち入って踏み荒らすのも、常識を逸した行為であるが、ジャーナリストがどかどかと奥座敷に踏み込んで個人の生活を脅かす問題が取り上げられることがあるが、ここにこそプライバシーを保護しなければなるまい。
一握りの人々によって執り行われる立法府は、この辺のことを認識していないように思える。政府があって国民が存在するのではなく、その逆が国を形成するのである。
国民の安全と安心、命を守る政府であってこそ長期に支持される立派な政府と言えるのではないだろうか。
ところが国民生活が、心無いジャーナリストたちによって踏みにじられることが多いと聞く。あってはならないことである。勿論報道の自由という、憲法に認められた道がある。そこに絶対権力が備わっているのでなく、その前に国民一人一人の犯されてはならない権利が存在することを見逃してはならない。 この件は折を見て投稿してみたい。
いずれにしても失ってはならない人命の尊さを今一度教育に取り入れても罰が当たることもない。