スカイラインに乗った仙人の徒然草

日本の永世中立国と21世紀ルネサンス提唱。
現在、四国88か所遍路と、西国33か所の巡礼記事を書いています。

スカイラインに乗った仙人の徒然草

2016-03-29 10:17:07 | つれづれなるままに こころにうつりゆく 
  あちこちで中学生が被害者の事件や事故が起こる。被害者は一番
心が動揺する時期かと思うが、彼らの心を察すると実に悲しい限りである。
 仙人は10代後半のころ、少し精神的に迷ったことがある。
古い話であるが、華厳の滝で17歳の若者がなくなったことがある。
そのことを知った時に共鳴したのである。(時間的なずれがある。9
 「なぜ人は生きるのか?なぜ生きなければならないのか?一人の人間が
いようがいまいが、世の中は変わらないではないかという、大いなる迷いを
抱いたのである。
 迷いながらも生きるために人様の3倍働いているうちに、25~6歳になり
ふとしたことで「筑摩書房=学問のすすめ」 「岩波講座=アリストテレス
全集」 「岩波講座=哲学」に加え「ハイデッカー=存在と時間」 に
「ドラッカー・システム」「エドワード・デボノ=水平思考」など、或いは
「向坂逸郎=資本論」 史的唯物論、弁証法とありとあらゆる当時の自己
能力をはるかに超えた難しいものに挑戦する中で、何かを感じたものである。
今考えると恐ろしささえ感じるものに傾倒しているうちに人間は
短い命だけれど「生まれてきた以上可能な限り生きなければ
ならない」と考えるようになってきた。
 現在は人様に「幸福とは健康で長生きすること」と言えるように
なっている。
 過ぎてみれば何でもない事でも、青春時代は大いに迷うのである。
 人間は悩みながら、歴史の上に立って過去に懐かしみながら、未来を
真剣に見つめつつ、大いなる可能性のある未来に夢を託すのである。
 広く異国を訪えば、荒っぽくおぞましい事件が相次いでいるが、彼らは
偏見の中で思考を繰り返すから外が見えないのかと思うが、機会が
あれば彼らの話をじっくり聞いてみたいような気もする。
 近隣の時代錯誤の感がする桁違いな行動も同じようであるが、双方を
比較してみると思考の段階でかなりの差異があるようでもある。
 いわゆる次元が違うのではないかとさえ見受ける。
 世界に目を転じ、多数の国々の考えや行動に反する行為は歓迎されない
ことは当事者も熟知しているものとは思われるが。
 奥山で人知れず空気を吸って生きる仙人には、遠くアランビアナイトか
孫悟空の気分になって雲の上から静かに眺めるしかない。