明日「5月3日」は憲法記念日だが、我欲を満たしたいが為だけに憲法改正に前のめりとなっている様な安倍晋三首相は、来年は“憲法改正の取っ掛かりの年”としたい様だ。
「絶対に憲法改正してはいけない。」とは思わない。時代に即さない点が在れば、其の点に関して改正しても良いだろう。
憲法改正論者の中には、「今の憲法はアメリカから押し付けられた物なので、独立した国家として改正すべき。」という理由“だけ”を挙げる人が居るし、現政権も「押し付けから脱却し、真の独立を果たす。」というのを、自尊心過多気味の人達に対して、意図的にアピールしている様な所も見受けられる。そういう理由“だけ”で憲法改正に賛成というのは、個人的にどうかと思う。
3年前の記事「おこちゃま思考」で、渡辺美智雄氏の“憲法観”を紹介したが、「仮に押し付けられた憲法で在っても、良い物だったら問題無いし、自分達で作り上げた憲法なら、全く問題無いと言う物でも無い。」というのを、先ずは念頭に置いた方が良い。
そして、一昨日の記事「何処の国の代表なのか?」で触れた様に、奴隷の如くアメリカに追随している現政権が、「真の独立を果たす」という目的で憲法改正を目論んでいるというのは、大きな矛盾が在る事に気付かなければいけないと思う。
憲法改正となると、「第9条」許りが取り上げられる。確かに重要な条項では在るけれど、自民党が発表した「日本国憲法改正草案」を見ると、もっと注意を払わない部分が在る。2年前の記事「“全体主義”への回帰」で詳細を記しているので、其方を読んで戴きたいが、要するに「『憲法』の最も重要な存在理由が、恣意的に捻じ曲げられている。」事が大問題で在り、其れ故に「自民党の『日本国憲法改正草案』」での憲法改正には、絶対に反対。
「『憲法』の最も重要な存在理由は、国家権力の暴走を縛る事。」だと思っている。然し、自民党の「日本国憲法改正草案」は、国家権力に対する縛りを緩め、逆に国民を縛るスタンス。
3年前に国民に対して“約束”した議員定数削減を放置した儘だったり、「『衆人環視の中、当人が殺人でもしない限り、罪に問われる事は無いのではないか?』と思ってしまう程、議員に関わる法律には“抜け穴”が多い。」等、“自分達”には大甘な一方で、国民には次々に縛りを設ける政権なのだから、そういう点を考慮しないで「憲法改正賛成!」と叫んでいると、気付いた時には身動きが取れなくなってしまう事に成り兼ねない。
以前、極右系のメディアに「反日的内容。」と糾弾された映画を上映しようとした映画館に対し、極右青年が街宣車で嫌がらせ攻撃をした結果、上映中止となった出来事が在りましたよね。で、週刊誌だったかの記者が其の青年の下を尋ね、色々インタヴューしていたのですが、「何故、街宣行動をしたのか?」という記者の質問には、「反日的な内容だから。」と胸を張って答えていたけれど、「じゃあ、具体的にどういう部分が反日的と思ったのか?」という問い掛けには、「良く判らないけれど、反日的という事だったので・・・。」と答えているのには、頭が痛くなりました。
「何だか判らないけれど、他者が~と言っているから許さない!」というのでは、自らの思考を完全ストップしているとしか思えない。どういう考えや主張を持とうが、他人様に迷惑掛けたり、違法行為で無い限り全くの自由だけれど、何も考えずに他者の尻馬に乗るだけというのでは、「情けない。」と言わざるを得ません。
残念な事では在りますが、昨今の日本では、そういう手合いが増えている様に感じる。若い人達の間にというのでは無く、全般的にですが。