ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

さらば、仰木マジック

2005年12月16日 | スポーツ関連
仰木彬氏が亡くなられた。体調不安を理由に、新生バファローズの監督を今年1年で退かれてはいたが、実際には後進育成という意味での勇退だとばかり思っていた。豪快なイメージの彼からは、病の影等露程も感じ取れなかったからだ。それだけに、亡くなられた事が今でも信じられないでいる。

仰木監督は好きな監督の一人だった。監督で在る以上、チームを勝利に導く事に主眼を置くのは当然なのだが、彼はそれだけに留まらず、ファンの意識を如何に繋ぎ止めるかにも腐心した監督だったと思う。ファンの視点を常に持っていた監督だったとも言える。

そんな彼の下で、野茂英雄投手やイチロー選手等、多くの名選手が才能を開花させて行った。彼等が類い無い天賦の才を持っていたのは間違い無いが、監督が仰木彬氏で在ったという事が、その才をより光らせる後押しをした様に思う。

10.19決戦は今でも脳裏に焼き付いている。野球ファンとして、あれ程迄にスリリング且つ印象的な試合をリアルタイムで見れた事は、幸せだったとも思っている。独自のダンディズムと豪快さを併せ持ち、”仰木マジック”でプロ野球を盛り上げてくれた名将の御冥福を心より祈りたい。

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5 コメント

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名将 (syuu)
2005-12-16 08:48:17
 ほんとに素晴らしい人でしたね。昨日、訃報を聞いて、我が家でもびっくりしました。

 基本だのをまず第一に考え、個人個人の才能をつぶしていくような人が多い中で、仰木さんのような方は、本当に貴重だったと思います。

 低迷している最近の野球界でも、仰木さんを手本に、もう少し個人の芽を伸ばす監督さんが増えていってくれることを期待したいです。加えて、仰木監督のご冥福をお祈り申し上げます。
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驚きました (かんさいや)
2005-12-16 22:24:59
突然亡くなったかのように思えて驚きましたが、94年ごろから肺がんと戦っておられたと聞きました。

体調が悪くても周りに悟られないようにこの一年監督業をなさっていたのかと思うと「お疲れ様でした」と声をかけたくなります。

阪神の60年優勝以降プロ野球をほとんど見ていなかったのですが、イチローの応援はしていました。イチローのような才能を引き伸ばしてくれる監督はもういないのだと思うと残念に思います。

仰木監督のご冥福をお祈りします。
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残念です (drop)
2005-12-17 18:30:07
突然のニュースで驚きました・・



オリックスバファローズ就任時もあまり体調はよくないと聞いてましたが、まさかここまで悪い中で監督やっていたとは・・・。普通にテレビのインタビューに答えていた印象もありましたし・・



心からご冥福をお祈りいたします
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驚き、残念と言うしか‥‥ (higu)
2005-12-20 19:05:29
私がこのニュースを聞いたのは16日の早朝でした。残念でなりません。

仰木氏と言うと「10.19」がgiants-55さんのように浮かぶ方も多いのでしょうが、私は仰木監督やブルーウェーブと聞けば真っ先に「がんばろう神戸」を思い出します。



震災の時、私は関西に住んでいました。揺れは震度4程と大した事はなかったのですがテレビから流れて来た衝撃の映像は今でも脳裏にこびり付いています。

正直に言うと95年、96年のオリックスの連覇の時の試合は然程覚えていません。でも、「がんばろう神戸」位スポーツが人々に勇気を与える事を証明したのはそう多くはないのではないでしょうか。



96年の日本シリーズは「仰木オリックス日本一」よりも

「長嶋巨人無念」にスポーツ新聞は多く紙面を割いたそうですが、私はイチロー選手が仰木監督にビールをかけている写真や喜ぶ神戸の方々の事は強く印象に残っています。



心より、ご冥福をお祈りします。
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>higu様 (giants-55)
2005-12-21 01:56:38
書き込み有難うございました。



あの震災の時に関西に居られた方にとっては、「がんばろう神戸」の印象がどうしても脳裏から離れないというのは在るのでしょうね。友人の親戚がやはり三宮で罹災したのですが、「がんばろう神戸」のムーブメントには精神的に大分元気付けられたと書かれていました。



決まり文句の様に使われる「スポーツは多くの人に夢と希望を与えてくれる。」という言葉。あの時も、それが真なりと思わせてくれました。



パンチョ伊東氏と並んで、パ・リーグを何とか盛り上げようと腐心されていた御一人が仰木氏だった様に思います。球界の危機を声高に叫びながらも、その実は自身のポイント稼ぎに利用しているだけの様なOBが少なからず居る中で、彼は心底野球を愛していた様に思えました。それだけに残念です。



今は唯、御疲れ様の一言です。
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