ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

こんな教師が人を育てられるのか?

2006年12月04日 | 教育関連
やや昔の話になるが、仕事でしばしばタイを訪れていた時期が在る。その際、非常に奇異な思いに囚われたのは、街中のちょっとした書店や売店で、死体写真の掲載された雑誌&新聞が普通に売られている事だった。駐在していた同僚にその話をすると、「タイは死体マニアといった人が結構居る様で、自分も赴任早々はかなり面食らった。」という返事が返って来た。”微笑みの国”と呼ばれ、概して人に優しい国民性を持つ彼の国で、死体マニアと目される人達が同時に多いというのは何とも不思議な感じがした。

昨日、「交通事故:死亡した子どもらの写真をネット掲載 告訴へ」という報道が為されていた。交通事故によって最愛の我が子を失った家族達が「交通事故の悲惨さを広く知って貰いたい。」という思いから立ち上げたホームページから、亡くなった子供達の写真が或るホームページに無断転載されていただけでは無く、遺族を侮辱するコメントも書かれていたというのだ。

この許し難いホームページを運営していたのは、東京都あきる野市の小学校教師の男性(33歳)で、虐待や災害で死亡した子供の遺体や裸の写真等を大量に掲載したホームページも別に運営していたという。又、「(交通事故死した子供達の)写真が載ったHPが在る。」と遺族に匿名のメールを送り付けていたとも。

「ホラー映画を好んで見ている人間は殺人者になる。」といった安直極まりない意見には、全く同意出来ない。どういった好みや嗜好を持とうが、法律に触れない限り、他者に迷惑を掛けない限り、それは個人の自由だと思うからだ。だからネクロフィリアで在ろうがロリコンだろうが、正直個人的には非常に理解し難い”癖”では在るものの、それが個人の頭の中だけで留まっているので在れば、自分はどうこう言うつもりは無い。

この男性教師は自身のホームページ内で「3度の飯より遺体が好き。」と書いていたそうだが、これも自身の頭の中で思い浮かべているだけならば未だ”趣味”と看過出来ても、最愛の子供達を失った事で深い傷を負っている遺族に対し、侮辱の言葉を投げ掛けたり、面白おかしく被害者の写真を晒すというのは、遺族達に二次被害を与える非常に下劣で許し難い行為だ

現在、東京都羽村市の小学校に勤務しているというこの男性教師を、遺族達は侮辱容疑での告訴状と児童ポルノ処罰法違反容疑で告発するという。どちらの罪が確定しようとも、然程重い罰が科せらないだろう。

ニュース番組でこの一件を問うリポーターに対し、当該男性教師は「道義的に許されない事をしてしまった。」といった反省の言葉を述べていた。しかし幾ら反省の弁を述べようが、他者の気持ちを面白おかしく平然と踏み躙っていた人間が、このまま教師という職業に在り続ける事は果たして適切な事なのだろうか?子供達を導く、子供達を一人の人間として育てて行くという職業で在る以上、こんな人間は教職を剥奪されて然る可きだと思う。*1

*1 以前書いた「教師の恐喝事件、闇に葬られる」と同じ憤りを覚える。

コメント (3)    この記事についてブログを書く
« 「悪魔の手毬唄」 | トップ | 「Gファイル 長嶋茂雄と黒... »

3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
理解を超えます (マヌケ)
2006-12-04 09:44:16
私もかなり前に仕事でタイに訪れた時、ナムトクという町のロータリーにすごい写真が見せしめとして掲示してあったことを思い出しました。 交通事故抑止のためだと説明を受けましたが、事故現場の悲惨な写真でした。 わざわざ見なくてもよいものを見てしまい気分が悪くなりました。 このような哀しい光景を愛好するという神経が知れませんが、私は血を見ただけで体がこわばってしまいますのでそのようなものが好きだという人間はそれを見るとどうなるのでしょうか? 普通に考えてそれは異常ではないかと思いますが。 昔見たドキュメンタリーではベトナムのミライ村の虐殺に加わった兵隊がその時の写真を肌身離さず持っていて泣きながら自分が殺した子供の一人を指差してこの子を生き返らせたいと懺悔していました。 おそらくこのようなケース以外にそのような写真を所有するような理由も理解できません。 その教師の男は異常です。 教師としてももちろん人として非常に問題ありです。  
返信する
人間性 (マヌケ)
2006-12-04 20:47:31
ユージン・スミスやロバート・キャパ、沢田教一など戦場カメラマンの作品には当然のことながら人が撃たれた瞬間やアメリカ兵がベトコンの死体をもてあそぶシーンなどもありました。 それらから来る衝撃は残虐行為としての戦争批判であり、反戦のメッセージであります。 たくさんの死体の山は戦争のむなしさ、無意味さを訴える強いメッセージであります。 先の硫黄島の星条旗も人間が同じ目的に向かって努力し団結した瞬間を捉えた芸術作品とも言えるものです。(ただしやらせだったのですが)あの写真の中には手だけや体の一部しか映ってなくてその後の戦闘で亡くなった方もおられます。 写真というものは貴重な歴史の記録であると思っている私からしますと今回のこのようなやからのしでかしたることは非常に腹立たしく憤りを感じております。 よく戦記ものの雑誌には虐殺後の写真などが掲載されておりますが、そのような場合はその雑誌を購入することがためらわれますし、手を合わせたくなったりもするのです。
返信する
>マヌケ様 (giants-55)
2006-12-05 00:39:40
書き込み有難うございました。

御国柄の違いと言ってしまったらそれ迄なのでしょうが、それでも死体(死者)に対する概念がタイと我が国では違うのかなあと感じます。唯、イラクで囚われの身となっていた青年が惨殺される映像が、我が国でも面白おかしくネット上で晒されていたのを思うと、潜在的には日本人にもそういった悪趣味な癖を抱えた人が少なくないのかなあとも。

記事でも書きましたが、個人的にはネクロフィリアやロリコンの類に相容れるものは皆無なものの、個人が頭の中で思考&想像する分には他者がどうこう介在出来るものでも無いと思うんです。問題は明確に法律に反していたり、他者に対して迷惑を掛けているという事に在るでしょうね。

この教師は今年9月に、交通事故死した子供の写真を無断掲載した事で、著作権法違反容疑にて書類送検されているそうです。それなのに引き続きホームページを運営していたというのですから、何をか況やです。何でもこの教諭の父親は警察組織の御偉いさんだとか。そういった事情も在って、教育委員会も彼を放置していたのでしょうか。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。