ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

「懐かしい。」と感じるのは、極めて限定された人達だけと思うけれど

2013年05月20日 | 其の他

特定ターゲットにした雑誌」というのは、決して珍しくは無い。今は廃刊となってしまった様だが、嘗て住職向けの雑誌で「月刊住職」なんていうのも在ったし。、以前より書店で目にし、気になっていた或る雑誌の“読者の特定振り”は、「凄い!」と言えるかもしれない。昭和40年生まれの男性をターゲットにした。」という、雑誌「昭和40年男」が其れだ。

 

昭和40年と言えば、西暦では1965年に当該する。先日、「昭和40年男」の最新号(vol.19)を購入したのだが、中身は1960年代に生まれた自分にとって、非常に魅力的な物だった。巻頭特集が「俺たちが愛した悪役たち」で、表紙の写真が“黒い呪術師”アブドーラ・ザ・ブッチャー氏というだけで、小父さんの心は鷲掴みにされてしまった。丸でフリッツ・フォン・エリック氏の“鉄の爪”に掴まれた様に。

 

ショッカーやらハカイダーやらブラック魔王やらといったキャラクター達を登場させているのも、1960年代生まれとしては堪らないのだけれど、其の他にもザ・リリーズや「ザ・ベストテン」、竹の子族等々、幼少期の世相此れでもかと言わん許りに取り上げているのが、何とも懐かしい。又、中高年範疇に入った1960年代世代に向けて、健康に関する情報を載せているのも、実に心憎い限り。

 

前号のvol.18の巻頭特集は「俺たちをにしたテクノロジー」で、表紙はプラモデルに使われていた「マブチモーターモーター」の写真。そしてvol.17は「俺たちを直撃したメッセージ」で、沖田十三艦長のイラストが使われている等、バックナンバーを見て戴ければ御判りの様に、マニアックだけれど魅了されるラインナップ

 

奇数月の11日に刊行され、定価680円の此の雑誌、遡って入手しようと思ったのだが、在庫が在るのは2012年11月に刊行されたvol.16なのが判明。ネットで中古品を入手する事も可能なのだが軒並み高値で、中には6千円を超える値段が付いている物も。どうやら、結構人気が出ている雑誌の様だ。長期の景気低迷が続く中、ニーズさえ的確に掴めば、売れる商品は売れる。という証左なのかもしれない。

 

「懐かしい。」と言えば、ネットサーフィンをしていると、懐かしい物に出会す事が少なく無い。5年前の記事「ピンポンパンやロンパールームが放送されていた時代」で「1970年代を中心に、10歳前後のイケメンを集めた『ビッグ・マンモス』*1【】なる少年合唱団が人気を集め、特に初代リーダーの1人だった森井信好君(愛称:ノンノン)の美少年振りには、同級生の女の子達が夢中になっていた。」事を記した。キャアキャア騒がれている事は癪に障ったけれど、「此れだけ完璧ルックスならば、騒がれるのも当然だろうなあ。」という諦観も。そして何時の頃からか、彼の姿をTVで見掛けなくなったのだが・・・。

 

【1970年代当時の森井信好君】

 

一昨日、ネットサーフィンをしていた際、ビッグ・マンモスが出演していた番組「ママとあそぼう!ピンポンパン」【動画】のDVD-BOXが5月5日に発売された事を知った。「懐かしいな。」と思って色々検索していたら、ママとあそぼう!ピンポンパン」のFacebookを見付け、何と其処には“ノンノン”の近影が載っているではないか。

 

【現在の森井信好氏】

 

Wikipediaの情報によると、彼は1965年生まれ。偶然にも「昭和40年男」で、今年48歳になっている。確かに老けはしたが、昔の面影を残しており、「イケメンは、幾つになってもイケメンなんだなあ。」と、悔しいけれど認めざるを得ない。

 

YouTubeで、懐かしい動画や音声を見付けるのも楽しみ。「スナフキンのうた」【】、大好きだった脇役の1人・大泉滉大先生が歌う「ダメおやじの唄」【】、好きで良く見ていたクイズ番組霊感ヤマカン第六感」【動画】といったメジャーな番組の映像や音声。映像が全464話の内4話しか残っていないTV人形劇新八犬伝」だけれど、個人が“ラジカセ”をTVに近付けて録音した音源(ケーブルで繋ぐなんていう時代では無かったので、周りの生活音が入ったりしているのは御愛嬌)の数々【音声】。

 

そして何よりも嬉しいのは、メジャーとは言い難い番組の映像や音声。突撃!ヒューマン!!」【まんがキッドボックス」【なんて、1960年代世代でも果たして何れだけの人が知っている事か。名古屋放送が制作&放送していたマゴベエ探偵団」【到っては、ブログをちょこちょこ覗いて下さっている“透明人間”様の様なディープなファンで無いと、「何が何だか、全く判らない。」という状況に違い無い。

 

*1 1960年代世代でも在るビッグ・マンモスのメンバー達。そんな彼等の中にも、既に鬼籍に入られた方が居る。“ヤセヤマ”事山崎圭一君で、此方の情報によると海の事故により、14歳の若さで亡くなられたと言う。


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4 コメント

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Unknown (マヌケ)
2013-05-20 12:57:20
いとこの家のカラーテレビ、確か、キドカラーとかいうやつだったでしょうか、カラーテレビが買えない負け惜しみから、母が流血するサンダー杉山やブッチャーを見ながら、「ああ、こりゃ天然色は見られん、とてもやないけど、見られん」と窓から、いとこの家の中をのぞきながらつぶやいていました。アポロの月面着陸は教室の白黒テレビで見ましたし、中1コースの付録の天地真理のテニスウエア姿のポスターでむらむらしておりました。 田宮の35分の1キットのリモコン戦車にはマブチモーターが左右の動輪を動かすための動力でした。 昭和36年生まれです。 「われら青春」の挿入歌が今頭に流れています。 太田裕美さんの「もめんのハンカチーフ」を聴くとあのころオナニーばっかりしていたマヌケな自分がよみがえり、とても恥ずかしいです。 
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>マヌケ様 (giants-55)
2013-05-20 13:15:41
書き込み有難う御座いました。

病魔に次々に襲われ、そして糖尿病の悪化で右手首と両足の切断という晩年だったサンダー杉山氏。「おはよう!こどもショー」等で見せていた、茶目っ気の在る姿が印象的でした。

又、交通事故で胸下不随となり、車椅子での生活を余儀なくされた上田馬之助氏。彼も映画等で時にはコミカルな仕草を見せ、存在感を示していた。

入社当時にプロレスの実況中継を担当し、プロレスラーとも親交が在った徳光和夫氏が昔語っていた話が忘れられません。実況を任せられた当初は、プロレスが好きでは無かったという同氏。しかし中継をし、プロレスラー個々の人柄に触れて行く内に、プロレスが好きになっていったと。うろ覚えなので正確では無いかもしれませんが、「プロレスラーは肉体的に人よりも巨大という事で、悪い意味で『一般人とは異なる。』と差別されていた。だからこそ、差別される側の哀しみを深く知っており、本当に優しい人が多い。」という言葉が、強く印象に残っています。

「中1コース」だったか「中1時代」だったか忘れましたが、年間購読予約をすると「万年筆」がプレゼントで貰えました。彼の頃、万年筆って“大人が使う物”というイメージが在り、眩く見えたもの。

「猿の如く必死でする。」なんて表現を“手淫”には用いますが、思春期の頃って皆、そんなものでしたね。
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Unknown (透明人間)
2013-05-21 22:59:34
昭和40年代と言ったら日本が高度成長を謳歌していた時代ですね

ある意味昭和40年代生まれが数有る年代で一番良いスタートラインだったかも知れませんね
オモチャではバネ動力でモノサシみたいな物がプラスチックボールを投げるバッティングマシン、紙の凧を凌駕するゲイラカイト、コードでつながった車とリモコン、時間内に色んな形のプラスチックを穴にハメていくパーフェクトゲーム、色の付いたプラスチックピンを盤面に差し込み色んな形(車や花など)にして電源を入れると形が光るオモチャ、球が無くなりやすい魚雷戦ゲーム、解説書通りにブロックを差し込むとラジオやウソ発見器になる器具、振り子の原理でパイプの中の液体を動かし永久運動をする水飲み鳥、計器から出てる2本のコードを男女が1本ずつ持ち針の動いた位置でラブラブ度が分かるラブテスターなど

外国人歌手やタレントも結構居ましたね
ルネ(ミドリ色の屋根)、リンリン・ランラン(恋のインディアン人形)、チャダ(面影の人)、ロイ・ジェームス、E・H・エリック、キャロライン洋子、イーデス・ハンソン(この人は全日本プロレスの中継でリングサイドによく座ってました)、シェリー(読売テレビのオズの魔法使いは3Dの時間帯が有り青と赤のセロファンを用意したけど全然飛び出してなかった・・)

プロレスと言えばどれだけの人が国際プロレスを知ってますかね(俺は幸運にも修学旅行で見る事が出来ました)
マイティー井上、スネーク奄美、稲妻二郎、デビルムラサキ(毛糸の覆面だった気が)、マッハ隼人、外人ではジプシージョー、キラーブルックス、マッドドッグバション、ジョー・ルーダックなど
国際の売りは金網デスマッチでしたね
まだまだ当時のタレントや電化製品やドラマや雑誌やインスタント食品など色んな思い出が有りますが切りがないのでこの辺で失礼します
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>透明人間様 (giants-55)
2013-05-22 00:56:23
書き込み有難う御座いました。

記して戴いた玩具類、全て覚えています。当時、子供向けの玩具で超ハイテクな感じがしたのが「電子ブロック」(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%BB%E5%AD%90%E3%83%96%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF)。クリスマス・プレゼントに親(サンタクロースと当時は信じていましたが。)がくれたのですが、馬鹿な自分は説明書を読む事無く、端子をコンセントに差し込んだ所、ボン!という音と共に白煙が出て、一瞬にして壊してしまったのが哀しい思い出です。

昭和40年から50年代に掛けてって、TV番組でも何でも在りって感じでしたね。初代・引田天功氏が滑走するジェットコースターから脱出する「脱出マジック」(http://app.f.m-cocolog.jp/t/typecast/1189081/1209516/67442037)が凄かった。度肝を抜かれるとは、正に彼の事でしょうね。
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