ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

ロングプリー事件

2016年09月07日 | 其の他

沖縄に於ける在日米軍兵士による犯罪が発生する沈鬱な思いになる。在日米軍兵士の殆ど真面な人間と信じているが、残念乍ら日本及び日本の法律軽視し、犯罪に走る兵士が居るのも事実。

 

1945年から1995年の50年間、沖縄で発生した在日米軍兵による犯罪一覧。」を見ると、戦後間も無い頃には“鬼畜所業”としか思えない事件が目立つ。「女性が拉致され、強姦後に惨殺される。」というのも酷いが、「生後9ヶ月の赤ちゃんが強姦される。」という事件には、激しい怒りを覚える戦争に勝利したの兵士にとって、敗戦国の国民なんぞは“虫螻同然”という思いが在ったのだろう。

 

1945年から1952年辺り、沖縄で発生した在日米軍による犯罪に関しては、加害者の処罰がどうなったか「不明」の場合が殆どの様だ。敗戦国としては、勝利した国の人間が何をしようとも、何も言えないという現実が在った訳だ。

 

58年前の今日、即ち「1958年9月7日」に埼玉県狭山市で、「ロングプリー事件」が発生している。「敗戦から13年“しか”経っていない。」と捉えるか、将又「敗戦から13年“も”経っている。」と捉えるかは人によって異なるだろうが、そんな時代に1人の男子学生A氏(21歳)が米兵によって銃殺された。

 

現在の入間基地は元々「陸軍航空士官学校分校」が在った場所で、敗戦直後、米軍接収され、「ジョンソン基地」と呼ばれていたそうだ。(「優秀なパイロットとして25歳の若さで大佐に昇進し、将来を嘱望されるも、1945年10月7日に東京湾上空で遭難&死亡したジェラルド・G・ジョンソン氏に因んで名付けられた。)当時、武蔵野音大の学生だったA氏は、ジョンソン基地内で演奏のアルバイトをしていた。1958年9月7日、アルバイトを終えて帰宅する途中、乗車していた電車内で彼は被弾。乗車していたのは西武新宿線下り飯能行き電車で、ジョンソン基地付近を走行中、同基地内から銃撃されたのだ。A氏は直ちに病院に運ばれるも死亡。

 

銃撃したのは米空軍所属のピータ・ロングプリー3等空士(19歳)で、米軍によって一旦身柄拘束され、取り調べを受ける。彼は「実弾が入っていると思っていなかった。空砲として、射撃の練習をしていただけだ。」と弁明するも、「練習で電車に向けて撃つ。」という事に説得力が無い事や、前年に群馬県で発生した「ジラード事件」等で在日米軍に対する日本人の怒りの高まりから、“公務外の事件”としてロングプリー氏を日本側に引き渡し、彼は裁判裁かれる事に。

 

とは言え、浦和地裁が彼に下し判決は、重過失致死罪で禁固10ヶ月と非常に軽い物。過失”とはとても思えない状況で人1人を殺害しておいて、“殺人罪”にすらならなかったのだから。1958年9月29日、ロングプリー氏がが上訴権放棄の手続きをした事では確定したそうだが、58年前の事とはいえ、納得が行かない結末で在る。


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