ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

西郷札

2007年02月09日 | 歴史関連
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日本と瓜二つの架空の国「この国」では「国家繁栄維持法」なる法律で、小学校入学時に予防接種を受ける事が義務付けられている。注射には1千分の1の確率で、18歳から24歳の間の予め設定された日時に死亡させる特殊カプセルが仕込まれており、当たった人間には設定日時の24時間前に区役所の戸籍課から赤紙ならぬ「イキガミ」が届く。
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週刊朝日(2月9日号)」の記事によると、「イキガミ」という漫画が人気を呼んでいるそうだ。人生これからという時期に余命24時間を宣告された若者達が、戸惑いややり場の無い怒りを覚えつつも、やがては”運命”を受け入れて残り少ない時間を濃密に生きて行こうとする姿が、読者の共感を得ているという事で、”外務省ラスプーチン”こと佐藤優氏はこの作品に「国家の恐ろしさと生命の大切さを、これだけの迫力で伝えた作品が在っただろうか?」という絶賛の声を送っているとか。興味を惹かれる内容なので、近い内に読んでみたいと思う。

話は変わるが、昨日の東京新聞に「謎の西郷札」という記事が載っていた。西郷札とは我が国最後の内戦で在る西南戦争で、反乱軍となった西郷隆盛軍が戦費調達の為に発行した紙幣を指している。(松本清張氏が、「西郷札」という作品を著しているので御存知の方も多い事だろう。)その西郷札が昨年末、山口県下関市の政府軍兵士の遺品から見付かったというのだが、これが謎めいた物なのだとか。

この兵士は1877年(明治10年)3月20日に27歳で戦死した大浜矩亮(のりすけ)氏で、彼の弟の曾孫で郷土史家の大浜博之氏が昨年末、戦死公報と共に政府から送付された手紙類の遺品を整理していた所、手紙の間から財布を発見し、その中に十円3枚、五円1枚、二十銭1枚、十銭1枚の計6枚の西郷札が入っていた。

ところが西郷札が製造されたのは1877年(明治10年)6~8月とされており(発見された札にも、明治十年六月発行と印刷されている。)、つまり矩亮氏が戦死してた際には未だ製造されていなかった事になるのだ。亡くなってから約3ヵ月後に製造された札が、何故矩亮氏の財布の中に入っていたのか?

「発行の準備段階で、彼は入手したのではないか?」という声も在ったが、「お札と切手の博物館」の土井侑理子学芸員によると「西郷札は切迫した状況下で製造されており、準備段階での入手は考え難い。」との事。

事実は定かでは無いものの、「戦友が遺品を送る際に西郷札を入れたか、後日大浜さん宅を訪れて送ったのではないか。」という推論が、現段階では有力視されている。と言うのも、矩亮氏は最前線で戦死する率が高かった警視隊抜刀隊員で、田原坂で散った彼と勝利の喜びを分かち合いたいと思った戦友が、自ら戦利品をして持ち帰った西郷札を送ったのではなかろうかと言うのだ。

独特の雰囲気に魅せられて、過去2回足を運んだ田原坂。*1政府軍と反乱軍が撃ち合った弾丸が、空中で衝突して一体になった物(「空中かち合い弾」と称される。)が土中から多く掘り出されたという彼の地に立って瞼を閉じると、当時の激戦の模様がまざまざと蘇って来る感が在る。そんな田原坂で亡くなった一人の兵士が、その”遺品”によってもたらした130年目の謎。歴史の浪漫とも言えよう。

*1 未だ一度も田原坂を訪れた経験の無い方は事前に西南戦争、特に田原坂の一戦に付いて知識を得た上で、車では無く是非共徒歩で彼の地を散策して欲しい。静寂で急な坂道を登る時、その心に何か訴え掛けて来るものが在るだから・・・。

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3 コメント

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小学生で城のプラモデルを作り友達からジジ臭いと言われたことがあります (マヌケ)
2007-02-10 01:21:48
梁に残る刀傷や城の石垣に残る砲弾や銃の弾痕など史跡を訪ねるとかつての戦の跡に感慨に浸ることってありますよね。 グアムやサイパンの砂浜で朽ち果てた日本軍の戦車や砲台などを見ると頭の中に思い浮かぶ何十年も前に日本人がこんなところまで来て戦い敗れた姿とビーチで戯れる観光客と美しい海との落差に一瞬頭が混乱しました。 遠浅の博多湾には元軍の将兵の遺骨や遺品が今でも掘ればいくらでも出てくると聞きます。 大阪城の堀の跡からは家康が突貫工事で外堀を埋めさせたことがわかるようなものがたくさん出土したそうです。 歴史をたどると戦いばかりですが、そこを訪れると教科書にはない何か、人間が命をかけてそこで何かを成した痕跡というものをうかがい知る事ができます。 ちょいオヤジ趣味ですが、自分は城に興味があります。 大阪城がヨーロッパの城砦の影響を受けて構築されたことや財に目のくらんだオランダ王に占領された北欧ハンザ同盟の城砦都市、修道院で天然の要塞都市でもあるモンサンミッシェルなど歴史だけでなく建築としても興味深いです。     
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>マヌケ様 (giants-55)
2007-02-10 02:12:26
書き込み有難うございました。

海外出張先のシンガポールで、休日にぶらぶらと散策途中に訪れたフォート・カニング・パーク(Fort Canning Park)。小高い丘の上に位置し、市内を一望出来る閑静な場所ですが、此処は第二次大戦中に日本軍の要塞として使用された場所でも在ります。(http://stream-oba.2.pro.tok2.com/07-gallery/03-fort.htm)防空壕の跡等が在り、それ迄に知識としては知っていたものの、異国、それもこんな遠隔の地迄日本軍が来ていたのかと実際に目の当たりにすると感慨深いものが在りました。

城巡りも良いですよね。再建も含め、現在城として存している場所を見て廻るのも楽しいのですが、城郭の消滅した城跡に佇み、往時を想像するのもこれ又楽しいものです。
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城の魅力 (帆印)
2007-02-10 14:30:16
上記のマヌケ様が書いてるように、城の魅力確かにありますな。わが住んでいる静岡にも、かっては駿府城というものがありました。今は文献しか残っていませんが、目に見えない城をイメージするのも何か好きです。その後跡地には、軍隊の陸軍34連隊の本隊がありました。そこは,埋め立てて本隊を作ったため今でも、掘ると江戸当時のものが出てくるらしいです。

http://www.asahi-net.or.jp/~kw2y-uesg/sunpu_34.htm
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