仏性寺から東へ進んで右折すると、しばらく一本道が続きました。その奥に芳賀神社という神社があるのですが、どのような神社なのかは分からないので、実際に行ってみました。
境内地は、六地蔵寺や仏性寺がある丘陵の端に位置し、仏性寺から歩いてきた道よりも低いところに社殿がありました。
境内にまつられる祠は二つあり、一つは三峰神社でした。おそらく埼玉県秩父市の三峯神社を勧請したものとみられます。
もう一つは素戔嗚神社でした。標石の表記は異なりますが、これも「スサノオ」と読みます。主に西日本に分布する神様なのですが、埼玉県の氷川神社の祭神でもあるので、関東地方でも北部の方に素戔嗚信仰が流布していたことが分かります。三峰神社も素戔嗚神社も、関東では埼玉県の方にある神社が有名だなあ、と思いました。
本殿の建物は明治時代以降の建物らしく、古式ながらも近代の手法が各所にみられます。案内板に社伝も何も書いていないところをみると、神社自体がそう古くないのかもしれません。明治期の王政復古の波に乗って、各地で新たに勧請され創始された神社は少なくないからです。
境内の東隅に、覆屋があって、その中に立派な造りの祠がありました。表札も何もないので祭神も社名も分かりませんでしたが、覆屋で保護されている点をみると、何らかの由緒があるようです。
境内を出て道を東に行き、一度振り返ってこんもりとした社叢を見ました。六地蔵寺や仏性寺にみられた老木や大樹が一本も見当たらなかったので、歴史的にも新しい神社のようでした。
神社の東の道を左折して北西へ進み、突き当りで右折して、少し進んで交差点を渡ると、水戸市稲荷第二公民館の横を通りました。近年に出来た立派な施設ですが、その向かいには旧公民館の建物が残っていて、「栗崎区民館」の看板がかかっていました。その前を通って道なりに国道51号線に行くと、バス停「稲荷第二公民館前」がありました。ここで大洗行きのバスに乗る事にしました。
バス待ちの間に周囲を見回すと、西の方角には仏性寺八角堂の優雅な屋根も見えました。いいお堂だったなあ、と回想しつつしばらく眺めていたのですが、時刻表の時間を過ぎてもバスはやってきませんでした。
予定では、9時57分のバスに乗って約9分ほどで大洗町のエコス前のバス停まで行き、そこで10時13分発の大洗町内巡回バス「なっちゃん号」に乗り換える積りでした。そうして大貫商店街の南端まで移動し、そこから徒歩で街中巡りをやろうと考えていたのでした。
ところがバスは15分余りも遅れてやってきました。渋滞の多い水戸市街を通ってきますから仕方がないとは言え、京都市や大阪市のバスよりも遅れるというのはあんまりな気がします。
大洗町へは約8分で涸沼橋を渡って到達しましたが、既に大洗町内巡回バスへの乗り換え時刻を過ぎてしまっていたので、エコス前のバス停で降りるのは止めて、次の「磯浜新道」バス停にて降りました。運賃は360円でした。
「磯浜新道」バス停は、劇中の対聖グロリアーナ戦での最終ラウンドとなった若見屋交差点のすぐ横にあります。マリンタワーも見えますから、また大洗にやって来たな、という感を持たずにはいられませんでした。とりあえず、最初の予定を変更してここからの街歩きコースをたどることにしました。
今回の訪洗においては、レンタサイクルを使わずに、バスと徒歩にて大洗町の各商店街を移動する、というのをテーマの一つとしていました。それで南の大貫地区から北の宮下地区まで歩いてみようと決めたのですが、バスの遅延のおかげで、さらに長い距離を歩くことになりました。若見屋交差点から大貫地区の南まで行き、そこから引き返して北に向かう、というコースになったのでした。
それで髭釜商店街を歩きはじめたとき、右手に見た事のある古民家があるのに気付きました。先月の訪問時に宿泊先の民宿「あんばいや」で見せてもらった「アンツィオ戦OVA予告編」に登場していた建物のようでした。
「アンツィオ戦OVA予告編」では、道路の反対側の民家の門の中から問題の古民家を捉える図になっていますが、その門もちゃんとありましたので感動しました。そういえば、西住みほが道から門の内側をのぞくシーンもあったな、と思い出しました。上図のようなアングルだったと覚えています。思いがけなく、新たなガルパン劇中スポットに突き当たった形でした。これで一気にテンションが上がりました。 (続く)