気分はガルパン、ゆるキャン△

「パンツァー・リート」の次は「SHINY DAYS」や「ふゆびより」を聴いて元気を貰います

ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く2 その20 「朝の商店街です!!」

2014年01月31日 | 大洗巡礼記

 翌朝も天気は良かったのですが、空に拡がる鱗雲は、明日から下り坂になるとの天気予報を裏付けつつありました。まあ三日目までが大洗滞在のメインであるわけですから、この日一日晴れてくれれば良いわけです。起床は6時過ぎ、7時半の朝食までに少し外を散歩しました。
 この宿には賢い犬が居りまして、玄関でいつも店番をしています。昨日も宿に着いた時に、ワンワンと吠えて客の着到を知らせていましたし、今朝も玄関に居たのですが、私が散歩に出ようとすると、位置をずらして玄関スペースを開けてくれました。散歩から戻ると、それまで寝そべっていたのが、スッと前足を立ててお迎えポーズになりました。
 私が宿の主人と挨拶を交わして談笑している時は、玄関にて不動の姿勢で外を見張っているのでした。主人も「いつも店番で助けてくれるからねえ」と、愛犬の「勤務」ぶりにご満悦の様子でした。


 7時半より朝食をいただきました。私は少食なほうなので、これぐらいで満足でした。大洗の宿や食事処ではどこでも量が多めなので、食べてから空腹になるまでにものすごく時間がかかり、食べようと計画していたものが食べられなくて残念な思いをしたことが何度かあります。だから、こちらの宿の朝食が、いつもの私の食事量に近かったのは有難かったです。


 朝食後に挨拶をして宿代の支払いを済ませ、上画像の宿泊特典をいただきました。「大洗女子学園戦車道履修者冬季配給装備」と名付けられたガルパンオリジナル手袋です。赤、黄、青、黒の四色がありましたが、黒を選びました。スマホにも対応した手袋だそうですが、私はいまだにスマホを持っていない古い人間であります。

 ロビーに大洗町の空撮写真が展示されており、主人がかつての海岸線の位置を県道2号線のラインだと教えてくれました。「するとその頃はここの建物からすぐに海岸に行けたんですね」と言うと、「そうだよ、部屋で水着着て、ここでサンダルつっかけりゃ、もうそこが海やったからそのまま泳げたし、水着のまま帰ってきて着替えて風呂にも入れたわけだからさあ、今よりもずっと海水浴を気軽に楽しめたんだよね」と笑っていました。

 現在は海水浴客はどのように動いてるのですか、と聞くと、「多くは海浜公園やサンビーチや大洗公園の駐車場に車で来て、そこから海に行くってのが多いな。宿と海との距離が開いたもんでね、おまけに県道バイパスと港湾施設が整備されたんでね、ここらから海へ、っていう風情はすっかり無くなったねえ」と、昔を懐かしむようにしみじみと話してくれました。大洗にも、今は失われてしまった、古き良き風景というものが数多くあったのだなあ、と思いました。


 主人と犬に御礼を言って出発しました。自転車にまたがって県道2号線にいったん出て、そこから商店街の方へ回り込みました。


 曲がり松商店街へと進み、水産加工品販売の「坂本水産直販店」を見ました。まだ開店前でしたが、このお店の人気商品のひとつ「戦車でのばしたようなのしいか」は買いたいと思っていたので、後でまた立ち寄ろうと決めました。


 酒造店「月の井」の付近です。付近の商家群の中ではもっとも古式で風格ある建物なので、街並み景観の大きなアクセントになっているという感じがあります。


 割烹料理および寿司の「かま家」です。逸見エリカも早朝から頑張っています。黒森峰女学園チームにおいては、西住みほが卒業した後は逸見エリカが隊長になるのでしょうか。冷静沈着な西住みほに比べると、やや熱しやすく猪突気味のところがあるので、黒森峰チームの戦術やインフォメーションにも何らかの変化が出てくるのかもしれませんね・・・。
 その場合は、副隊長に赤星小梅あたりが居てやわらかくまとめてくれるのでしようね・・・・。「銀河英雄伝説」に例えると、ラインハルト・フォン・ローエングラムとジークフリード・キルヒアイスの関係に当てはまるかな・・・。


 「茨城県信用組合」の店先に小山柚子が居ました。大洗女子学園のメンバーの中では割と普通の真面目な子、という雰囲気がありますので、就職先が金融機関であってもあまり違和感がありません。


 「さんなや隠居」の店先の曲がり松です。周りが全てコンクリートおよび建物というのは、松にとっては過酷な状況だろうと思うのですが、めげずに幹を伸ばして松葉を日向にあててゆくその生命力には感嘆させられます。


 「年宝菓子店」の付近です。秋山優花里も出ています。この辺りにさしかかると、左から「いやっほうう、最高だぜええ」、右から「あいあーーい」と声がかかりそうな錯覚を覚えてしまうのは私だけでしょうか・・・。ハイ、私だけですよ。 (アホかお前は)


 「大久保酒店」の横から西福寺に向かいました。参道石段の下に自転車を停めておいて参拝しました。


 本堂です。近づくと読経の声がかすかに聞こえてきました。朝の勤行でした。西福寺は天台寺院ですので、朝の勤行は「朝課」と呼ばれて法華懺法を中心とする例時作法が常用されます。天台では「朝題目に夕念仏」といわれますが、その「朝題目」が唱えられているのでした。時間からみて「観音普門偈」や「般若心経」はもう終えているようで、「大師宝号」あたりかな、と少し耳を傾けて聴いてみましたが、どうも最終ステップの「回向文」のようでした。
 長く奈良に居て、古社寺の行事や儀式に色々親しんできましたので、南都六宗とくに華厳や法相などの読経などは東大寺や興福寺のそれを中心によく聴いていて一部を覚えてしまっていますが、天台宗のそれはまた違った旋律と抑揚をともなっており、早朝の冷気のなかに清浄として響いてきました。なにか新鮮な感動をおぼえてしまいました。


 朝の勤行中に境内をウロウロするのは不謹慎とされます。いったん本堂前から退いて、鎮守神の鎮座地へ回りました。小さな池の中央に祠があり、宇賀神だろうと察しがつきました。仏教では弁財天すなわち水神サラスヴァーティーにあたります。
 古代インドの伝説では、万物を造りたる全能の創造神ビシュヴァ・カルマンが、まず水を聖なる物体として崇めたといいますので、仏教寺院や神仏混淆の拠点には必ず池または水を湛える場所があります。一般的には、放生池、鏡池などと呼ばれますが、本来は儀式用の霊水を汲み上げる場所です。そこに水神を祀ることによって、堂塔伽藍の「霊水」を守護するという考え方です。これが日本では神社の形をとっているパターンが多いのです。神仏習合の一つの側面でもありますが、明治期の宗教政策でかなり変貌させられた部分もあります。


 祠の前から街並みを見下ろしました。マリンタワーも見えました。


 祠へは、商店街からも直接行けるように参道と鳥居が設けられています。


 境内の御堂の一つです。何のお堂だったかは忘れてしまいましたが、外回りなどを修復中でした。例の震災の際に建物がゆらいで基壇などに損傷が生じたもののようです。津波のことばかりが語られますが、その直前には地震もあったのですから、古社寺の建築においては地震の衝撃による何らかの影響も顧みられるべきですね。


 境内の一角にある鐘堂です。大きなものだと「鐘楼」という表現になりますが、こちらの鐘は可愛らしいです。突けば「ゴーン」ではなくて「カーン」の方で音が響きそうです。


 再度、本堂に近寄りました。勤行が既に終わっていたようで、堂内も静まり返っていました。その静寂を破るのもどうか、と思いましたので、朝の拝観のお願いをするのは止めにしました。内陣拝観については、次の機会を待つことにしよう、と考えました。


 再び商店街を進み、「江口又進堂」に至りました。店のマダムが出て来られたので挨拶し、それからしばらく歴史談話で盛り上がりました。ガルパンファンの中では「歴女マダム」と呼ばれ、「歴史の話になると長くなる」と恐れられている方ですが、それはマダムの得意分野である幕末および明治維新にかけての話題になった場合のことです。
 前回の訪問時に「祝町向洲台場跡」の由来や場所を質問した私を覚えていてくれて、関西地域の歴史ストーリーをまた教えてよ、と言われましたので、南北朝期の合戦やら、戦国期の畿内の混沌状態の歴史などを簡潔に話して、室町期の管領細川政元政権のドタバタを「おのれ憎っくきは香西元長 !! 」などと茶化して話しました。ものすごく興味を持ったらしく、面白がったり、真剣に聞いて下さいました。
「ほんとに面白いわねえ、やっぱり日本の歴史の主舞台は京都や奈良になるよねえ」と言っていました。


 左衛門佐についても少し話しました。モデルは大坂陣の露と消えた真田左衛門佐幸村ですので、その戦場譚もまた大阪や和歌山などに多く伝わります。そのうちの奈良五條に伝わるエピソードを簡単に紹介しました。「真田丸って今も残ってるの?」と聞かれ、遺構すら残ってません、と答えました。


 続いて「カワマタ」に回りました。サンタコスの武部沙織が朝から元気に頑張っていました。足元には砲弾も置いてありました。以前には無かったサインも描いてあるし、来るたびに何かが増えていきますね・・・。


 サインは、その声を演じた茅野愛衣さんが描かれたものです。茅野さんと言えば、「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」のメンマこと本間芽衣子、「名探偵コナン」の桃井恵子、などの印象がまだ強いのですが、ガルパンの武部沙織に関してはかなり地声に近い感じで演じていたように感じられます。
 サインの中に「やだもー」の言葉が入っていて、これはファンの間ではけっこう広まっている「さおりんフレーズ」らしいのですが、劇中では武部沙織は「やだもー」というセリフはただの一度も発していません。


 このお店のウインドーも色々貼られていて、何のお店なのか分かりにくくなっていますね。戦車カッティングシートもちゃんとカワマタ仕様になっていますし。
 この戦車カッティングシート、特注でオリジナルが作れるそうなので、機会があったらポルシェティーガーの型紙に「HOSHINO」と入れてもらおうかな、と考えてしまいました。なんてったって、ホシノさんですから。ウキーッ !!  (アホかお前は)


 特に目をひくのは、やっぱり上画像のあんこうチームの五人の声優の寄せ書きでしょうか。ファン垂涎の品でしょうね。中央にある「手作りカワマタさん」の語句が何気にポイント高いです。五人で立ち寄って「肉じゃが」などをいただいたのでしょうか。 (続く)

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