気分はガルパン、ゆるキャン△

「パンツァー・リート」の次は「SHINY DAYS」や「ふゆびより」を聴いて元気を貰います

ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く26 その2 「大洗の菊と熊です!!」

2016年11月15日 | 大洗巡礼記

 大洗磯前神社に参拝し、今回の行程の安全を祈ることにしました。随神門の両脇には菊花が飾られてありました。ああ、重陽の節句だったな、と思い出しました。旧暦では九月の行事でしたが、現在の新暦では10月から11月上旬頃にあたります。


 拝殿前庭の両側に覆屋が設けられ、大洗の菊まつり、と銘打って菊花展が開かれていました。
 重陽の節句は、もとは平安期より続いた宮中の儀式の期間で古くは「菊の節句」と呼ばれました。時期的には、秋の収穫祭とも重なるうえ、皇室の象徴となる菊花を讃える儀礼でもありました。当時の貴族たちが神前の神酒に菊の花を添え、稲、栗などの収穫品をお供えして、神に感謝をし無病息災を祈りました。
 こうした儀礼は、古代中国で菊の花を浮かせた酒を飲んで無病長寿を祈る儀式の影響を受けたもので、「重陽の宴」として宮中や武家社会で盛んに行われました。


 そして京都においては、「重陽の宴」での催しの一つとして、州浜に菊を植えて優劣を争い、合わせて歌合わせをする「菊合わせ」が盛んに行われました。
 これが中世戦国期に室町幕府で流行したことによって全国の守護大名に広まり、江戸幕府もこれを引き継いだため、江戸期の諸藩にも波及して、現在の菊花展の原型がほぼ出来上がりました。皇室の家紋でもある菊ですので、花の品評会では最上級の取り扱いとなり、戦国期には菊を不当に切ったりつぶしたりするとそれだけで反逆の徒と見做されたケースもあったほどです。
 一般的には、菊花展がこうした長い歴史を有する文化的習俗の一部であることがあまり知られていないようです。


 おなじみのガルパン絵馬の奉納台です。全体的に数が増えている筈ですが、バランスを維持するため、多数を懸けたがる一部の個人の絵馬は取り外したりしているそうです。確かに以前によく見られた、一人で何枚も絵馬を作って懸けている、というケースは目立たなくなりました。

 神社の絵馬の本来の作法では一人一枚、一年間に一枚、絵柄は馬、というのが決まりだと聞いたことがあります。これは古来の神道において祈願を一つにして神にお祈りして聞いていただく、という概念に則ったものだと専門書で読んだことがあります。
 したがって、一人で複数の絵馬を作り、神前への祈願と無関係な絵柄で占める、というのは、神社側からみると邪道の類になるわけですが、そこは大洗の神社ですから、ガルパン効果で特例が認められている、ということでしょう。


 私の絵馬もまだ健在でした。と言うか、もう二年余りを経ています。ガルパン絵馬は、一年ごとのお焚き上げの対象にはならないのだな、と改めて感じました。


 空の雲が厚くなって、いまにも雨が降り出しそうでした。


 急いで境内地への車道を降りて脇道にそれ、古い石段を降りました。よく見ると石段の石には波紋が刻まれています。波紋は古代より土器や建材などに水除けの文様として描かれたものの一種です。大洗磯前神社が海神であること、津波などの海からの災害を鎮める神であることを表しているのでしょう。


 とりあえず、大洗シーサイドホテルに行きました。拙ブログの読者のトオル様に、西住みほ誕生祭のカードがある筈だから立ち寄った方が良い、と勧められましたので、その通りに実行しました。
 このホテルには今までに四回ほど泊まっていますから、フロントにも女将さんにも顔を覚えられており、カードの件を問い合わせるとすぐに出して下さいました。礼を言うと「このカードはもう一種類ありまして、坂本文具さんで配ってるそうですよ」と教えて下さいました。


 ロビーには、今年の西住みほ誕生祭の際の寄贈品類の一部が展示されていました。


 横のでっかい熊・・・、いやボコも健在でしたが、その右手には寝そべりぬいぐるみの西住みほがセットされていました。何だろう、この寝そべりぬいぐるみってのは・・・。


 展示されている劇場版ポスターです。よく見たら声優さんたちのサイン入りでした。あんこうチームの五人の並びに合わせてホワイトペンで書かれてあります。これはなかなか貴重なものです。
 これの複製品ポスターを、この宿のガルパンプランの宿泊特典にしていただけませんかね・・・。 (続く)

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