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軌道跡は、大洗駅跡まで一直線に続いています。他の地域の廃線跡には車道や遊歩道などに転用されたところもありますが、ここ水浜線跡においては、再利用されないままに空き地として残る部分が少なくありません。
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雑草が深く茂った荒地になっているところもありました。杭などの遺物が残っていたとしても、この状態では探すことも困難です。
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冬枯れの時期にはどうなっているでしょうか。冬でも草の繁茂が消えずに地表面が見えないままなのでしょうか。
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軌道跡に建つ小屋の脇にレールの形をした鋼材が使われているのを見つけました。以前にエコスの駐車場でも似たような形の鋼材を見かけましたが、こちらのものはどう見てもレールです。水浜線の遺物である可能性はないのでしょうか。
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さらに進むと、大洗町ビーチテニスクラブの施設があります。
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大洗町ビーチテニスクラブ施設の横では、軌道跡も再整備されてベンチが置かれ、植栽がなされています。
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施設の建物が、軌道跡にも張り出していました。こうなってしまうと、廃線跡の痕跡は何も見られなくなります。
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さらに進むと地割が広くなり、空き地が目立つようになりました。
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軌道跡は、歩道になっていて、広い空き地のいくつかは駐車場にも使用されているようでした。
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空き地の向こうには、大洗磯前神社の社叢が望まれました。終点の大洗駅跡に近づいたのを実感しました。
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大洗駅跡は、広い駐車場となっていました。大洗ホテルの専用バスが停まっているので、いまでは大洗ホテルの駐車場として使われているようです。東側に地面が盛り上がったところがあり、近づくとホーム跡とおぼしき段差とブロック列の一部が見えました。
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「茨城交通水浜線」に掲載されていた、大洗駅の光景です。これをみながら「さかなや隠居」の店主大里さんが駅前の状況を色々語って下さいました。
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同じく「茨城交通水浜線」に掲載されていた、大洗駅駅舎の写真です。大里さんは「この駅舎に向かって左手に神社裏参道の鳥居があってな、すぐ右手には「山口楼」さんがあったな」と懐かしそうに話してくださいました。
「昔は子供たちの遠足が水族館だったりしたから、水浜電車に乗って大洗駅で降りて、竜宮城の水族館まで歩いていったりしてな」
「竜宮城、ですか」
「そう、今のアクアワールドみたいな大きなもんじゃなくってね、昔の大洗水族館ってのは竜宮城の形をした建物があったりして、遊園地みたいなのもあったんだ」
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大洗駅跡の駅舎前の現状です。写真には映っていませんが、道をはさんで右手に「山口楼」があります。左には茨城交通バスの「大洗海岸」バス停があります。ここから南にいくと、大洗磯前神社裏参道の鳥居があります。
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バス停の脇には、石碑の案内板がありました。内容は、読んでの通りです。
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石碑は、戦前の建立らしく立派なもので、漢詩が流麗な字体でゆったりと刻まれてありました。
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今回の探索範囲を地図上にまとめました。なお水浜線は、かつては海門橋を渡って那珂湊まで通っていた時期があり、その頃は大洗駅の位置も北寄りにありました。その時期の線路と駅舎の位置も青線にて記入しました。この先は現在はゴルフ場敷地になっていて立ち入りは難しいので、その後の軌道跡探索は、海門橋および祝町のエリアへと移動して続けることにしました。
バス停の時刻表を見たら、数分で那珂湊駅行きのバスが来ると分かりましたので、海門橋までバスで移動することにしました。 (続く)