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ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く7 その16 「絵馬を奉納します!!」

2014年08月25日 | 大洗巡礼記

 背後に波濤の響きを聞きながら、二の鳥居をくぐり長い石段を登りました。


 すっかり見慣れた、大洗磯前神社の幣門です。奈良県の古い歴史ある神社はどこも三度以上お詣りしましたが、奈良県外の古い神社で何度も参拝しているのは、出雲大社と宇佐八幡とこの神社ぐらいなものです。それだけ私がガルパンや大洗に魅せられたということなのでしょう。


 幣門より拝殿を見ました。こういう感じで門から拝殿を見る形の神社は、古代以来の古い形態を保つ神社には少なく、中世以降に神域の結界を細かく定めて門や塀で囲むという傾向が定着してから整備された歴史を持っていることが多いです。本来、神社の門とは鳥居であって、幣門は本殿の前の扉という位置付けでありました。それが仏教との習合によって、伽藍の南門と同じように門の形態に発展して、仏教の金剛力士にならって随神像が門内に侍るという形になってきました。
 要するに、大洗磯前神社の構えというのは、神仏混淆期の状態を色濃く伝えているわけです。


 禰宜の方にお話を伺ったところ、この6月から本格的な復旧工事に入る、とのことでした。あの東日本大震災にて大洗にも被害が出ましたが、神社の建物も無事であるわけがなく、屋根などに損傷が入っていました。もともと老朽化が進んでいたわりには地震による影響があまりひどくなかったため、復旧工事にすぐに着手しなかった、ということのようです。


 ですが、来たる平成28年に鎮座1160年の節目を迎えるため、その前年までには復旧および社務所などの建て替えが必要となり、今年平成26年から工事に着手することになったということです。修理の足場が組まれるのは早くても6月下旬だということなので、今回の参拝にて見る神社の景色が、私にとっては修理前の神域の最後のそれとなります。脇に置かれるガルパン大絵馬も、修理工事の足場を設置するのにともなって他の場所へ移されるそうです。


 復旧工事は平成27年つまり来年の3月まで続きます。6月下旬から拝殿の工事にとりかかり、11月には本殿の復旧工事に移るそうなので、11月に御神体の仮殿への遷座が執り行われます。工事が終わった後の来年4月に、御神体が本殿に遷座して一連の儀式を完了する予定です。その頃には、ガルパンアニメの劇場版も公開上映されてブームも一段落ついているのでしょうか。


 神社の復旧修理には莫大な費用がかかります。私も、絵馬奉納という形で、その費用の一部を納めさせていただくことにしました。


 絵馬には幾つかの図柄が描かれていますが、私が選んだのは「因幡の白兎」の図柄の絵馬でした。かつて鳥取県の日吉津村に一年半ほど住んでいたことがありますので、因幡および伯耆の神話や歴史にも親しみがあります。伯耆大山の威容を仰ぎつつ、倉吉や境港などへよく歴史探訪に出かけたものです。


 で、描いたのはもちろん私なりのガルパン二次ストーリーのキャラクターでした。多くのガルパン絵馬がみんなガルパンキャラクターを描いているため、それ以外の二次創作キャラクターを楽しんで描くのもいいんじゃないかな、と考えたのでした。


 描いたキャラクターは、大前佳乃といいます。大洗女子学園の船舶科2年A組に属し、私の二次創作ストーリーにおいては主人公格となります。
 戦車道全国大会で優勝したにもかかわらず、もう一つの事情によって廃校の危機は依然として残っていました。どうしても母校を存続させたい角谷杏ら生徒会三役は、次善の策として、船舶科一の秀才である大前佳乃に難題じみた提案をふっかけます。提案といっても命令に近いものでしたが、戦車道の方では西住みほが結局それに沿う方向へ進んだのに対し、大前佳乃は毅然としてこれを断りました。そして「大洗女子学園には、まだ希望が残されているのです」と、ある人物を推挙します。その人物は、佳乃にとって憧れの存在でありました・・・。
 ・・・と書けば、大前佳乃の元ネタおよび元ストーリーは、分かる方には分かるでしょうね・・・。


 たまたま居られた巫女さんに絵馬を渡し、奉納台に懸けていただきました。自分で懸けるのも可能ですが、絵馬は本来は神社の方に捧げ渡したうえで懸けていただくのが正式な作法だと聞いたからです。
 巫女さんが懸けて下さった位置は、参道に面した側の北の角あたりの下でした。隣にはバリボーマンで知られる高永浩平さんの絵馬が並んでいました。


 とりあえず、初めて絵馬を奉納させていただきました。何か恥ずかしいような、そして晴れやかな気分になりました。


 痛みの様子が外からでも分かる本殿の現状です。藁屋根の端がへたっている他、屋根組みの外回りにも僅かな歪みや乖離が見られるので、復旧工事が始まることは本当に有り難いことです。水戸藩の修築以来、既に一世紀余りを経て、ようやく文化財保全の処置がとられることになったわけです。


 次に参拝する時には、たぶん足場に囲まれて屋根は解体中なのかもしれないな、と想像しつつ、一の鳥居へと降りる坂道を下りました。 (続く)

コメント (2)    この記事についてブログを書く
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2 コメント

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Unknown (arcane17)
2014-08-25 18:42:12
記事と全然関係ないのですが…
私が以前に納めた絵馬の風雨に晒されて何やら凄い色になってるのがたまたま映り込んでいるのを見て、嫁に出した娘の近況を思いがけぬところから聞いたような気になりました。
変なコメントですみません。
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絵馬の変色 (ホシノ)
2014-08-25 22:10:09
いや、分かりますよ。こちらの神社の絵馬の材は、他がそうであるように樅を使っているようですが、樅は耐久性も弱く風雨によって劣化しやすいと聞いています。
なので、私の絵馬も、いずれはarcane17さんの絵馬と同じような状態にゆきつくことでしょう。
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