船体が左に回り、景色も左へと流れていきました。フェリーは大洗港に入った後に船体をターンさせ、船首を南西に向けて埠頭に接岸するようでした。その方が、出港時には離岸後にそのまま直進して外へ出られるからです。
大洗の広々とした港湾エリアも、船上から見ると狭くみえてしまいます。
リゾートアウトレットやマリンタワー横のトラックヤードは、この日は広々と空いていました。
マリンタワーは、フェリーからみると灯台の役目も果たしているそうです。頂上に船舶用の信号灯が設置されていると聞きましたが、望遠モードで見てもそれらしきライトが見えませんでした。
船がゆっくりと後進し、同時に右に横滑りしていました。舵の取り方によって船は横にも進みますが、かなりの熟練が必要とされ、船長の腕の見せ所でもあるそうです。
フェリー埠頭の可動式乗船通路施設です。これが船の乗船口に接する位置まで船を持っていくわけですが、ゆっくりと進むので、かなり時間がかかっていました。
岸壁には、数個の壁形の防舷材が並んでいます。船体が岸壁にぶつかるのを防ぎ、かつ接岸時の船体を固定する装置です。小さなものですとゴム製もありますが、大型船舶の場合は鋼製の大型のものが用いられます。これにピタッとつける感じで接岸作業が行われます。
港湾作業員が、係止用ロープの伸張準備に取り掛かりました。細いロープが船から降ろされ、それを手繰り寄せて、ロープが次第に太いものに代わってゆく様子が分かりました。この作業を船の船首と船尾にて同時に進めていました。
船体が、防舷材にだんだん近づいて行きます。ガツンとぶつけるのではなく、ソローリと寄せてピタリとつけるようにして接岸するのが理想的であるそうです。こちらもドキドキしながら見下ろしていました。
さしたる衝撃も音も無く、静かな接岸でした。お見事な舵さばきでした。港の外堤口から入って接岸するまでに30分以上かかっていますが、船とはそういうものですね。
これで大洗港に着いたわけです。すぐに下船というわけではなく、可動式通路のセット、安全確認などのステップがあるので、乗船客は20分ほど待機となりました。荷物を客室を出てカウンター前に並んだ時に、五人の外国人の方々と挨拶し、握手を交わしました。
ドイツの方が「色々教えて貰って助かった。もう迷わなくて済みそうだ。宿も紹介して貰ったし、ガルパンの聖地巡りを心行くまで楽しめそうだ」と言いました。アメリカの方は「町のどこかで会えるといいね。見かけたら声をかけてくれ」と陽気に肩をたたいてきました。
ノルウェーとフランスの方は、笑顔で会釈してきました。お二人とも、あまり英語は得意でなかったようなので、会話は少なかったのですが、それでも気持は伝え合うことが出来たのではないかと思いました。
最後に、フィンランドの方がこう話しかけてきました。
「I am a person of the travel company. This time it came to the preliminary inspection survey in Oarai. Because of the popularity Garupan is higher in Finland, to determine whether the tour to Oarai can be held in the future.」(私は旅行社の者でしてね。今回は大洗に下見調査に来たんだ。ガルパンはフィンランドでも人気があるので、大洗へのツアーを今後実施できるかどうかを調べる積りです)
「So you see a member panel of the Finnish team.」(継続高校チームのメンバーのパネルも見るのですね)
「of course. look at the store. Check the menu for the meal. Examine the accommodation. Problem is the word, but it will be somehow. What is important is whether spend fun.」(もちろんだ。店舗、食事のメニュー、宿泊施設も調べます。問題は言葉だが、それは何とかなるだろう。重要なのは、楽しく過ごせるかどうか、ですな)
「Once you spend happily in Oarai, also it will go well work. I'm sure.」(貴方が大洗で楽しく過過ごせたならば、お仕事の方もうまくいきますよ。きっと)
「Your word is correct. The hunch it's very strong. Wonderful thing it. It is your thanks. And deeply grateful.」(貴方の言う通りだ。その予感がとても強いんだよ。素晴らしい事だね。貴方のお蔭です。深く御礼申し上げます)
そして、固く握手を交わしました。最後に、こう話しかけました。
「In the meantime, why the BT-42 appeared, you might find.」(そのうちに、BT-42が登場した理由も、分かるかもしれませんね)
「The thing is I want to know I also always. Let's hope it.」(それは私も是非知りたい。分かるといいね)
笑顔でそう応じてきました。
昨晩からの会話を通じて、BT-42が本国ではあまり評価されていない様子がうかがえましたが、それは戦時中の史実を顧みれば首肯出来ます。だから、BT-42がガルパンに登場したことに、フィンランドの方が疑問を抱いたのは当然のことでした。
でもその疑問は、大洗にある継続高校チームメンバーのスポットを見てその人気ぶりを感じ取って貰えれば、ある程度解けるのではないか、と感じました。
ともあれ、思いがけずドラマチックな、楽しい船旅になりました。海外のガルパンファンの方々との交流は面白かったですが、それ以上に学ぶべき事柄が沢山ありました。
下船時刻になりました。予定より早い13時42分でした。
通路内から撮りました。劇場版に登場したさんふらわあ号と同じ船かどうかはまだ確認出来ていませんが、どれに乗っても、大洗の海景色は変わらないです。
フェリーターミナルビルへの連絡通路橋を通りました。
ビル一階のガルパンキャラクターパネルです。
一気にガルパンの雰囲気になりました。やっぱり大洗ならばでのものですね。
フェリーから降車した大型トラックが次々に通る横を、歩いて次の目的地に向かいました。町内巡回バスの時刻にはまだ間があったので、歩いた方が早いと判断したからです。 (続く)
あともう一つBT42が選ばれた理由はフィンランドに対して敬意を払う意味合いも込められているのだと思います。フィンランドは親日国であり、年配の方は東郷提督や乃木将軍に敬意を払ってくれています。極東の小国が大国ロシアに敢然と立ち向かい、勝利する事で彼等の独立心や闘争心を掻き立てた事でしょう。更にフィンランド独立派に軍資金援助や兵器密輸を側面から支援した事による恩義も有るのでしょう。更に独立後は親ソ派との内戦、冬戦争、継続戦争と“共通の敵”と戦った日本とメンタリティの面でも通じるものがあったのだと思います。
ガルパン劇場版を通じて継続高校のミカ嬢を含め3人の女の子に関心をもって貰う事に依ってフィンランドにも関心を向けて貰い、大国の間で難しい国家の舵取りを行ったマンネルハイム国家元帥に最大限の敬意を払って貰いたいという思惑があったのだと思います。そうでなければBT42を出す理由や動機が見つかりません。
フィンランドの方との会話にて、先方が何度も強調しておられたことが二つありました。一つは、継続戦争を戦った装甲部隊の主力はシュトルミ(Ⅲ号突撃砲G型)である、という点です。もう一つは、継続戦争は祖国防衛戦争なので、防御に成功した時点で基本的にはフィンランドの勝利である、という点でした。
要するに、一般的にはソ連の勝利のように言われているのが我慢ならないのでしょう。だから、君たち日本人には、特に正しい戦史を知っておいて欲しい、と言われました。
とにかく、フィンランドの方々はBT-42をあんまり評価していませんので、日本側でいくら理由を並べても納得しないと思います。役に立たなかったんだから、あんまりもちあげて貰っても困る、というのが基本認識であるのでしょう。
もし、日本軍の欠陥兵器をもって日本軍の武器の代表格のように言われたら、我々もあんまりいい気持ちがしないのと同じことでしょう。
個人的には、ガルパンの継続高校チームは、その人気をもってフィンランドの知名度および親近感を一気に高めてくれましたが、反面、一種の誤解も植えつけつつあるのではないか、という気がしています。
フィンランドは枢軸同盟陣営とは云え、全体主義国家や排他的民族主義国家ではありませんでしたし、侵略戦争も仕掛けていません。寧ろ議会制民主主義国で政治信条は西側諸国に近いですから。しかし地理的条件でドイツのファシストとソビエトの共産主義という最悪の選択を迫られて“どちらがマシ”か天秤をかけて判断して枢軸同盟陣営に渋々加担したのでしょう。その結果講和条約で領土は更に掠め盗られたとは云え、フィンランドの独立や国家主権は守り通しました。これが連合国側に付いたとなっていたら徒にドイツの軍事介入を招いてこれに対する脅威を抱いたソビエトは革命政府を立てて解放軍の名乗りを挙げていた事でしょう。それに英仏側が戦前にチェコスロバキアをドイツに“売り渡し”したりポーランドを“見殺し”した前科を踏まえればフィンランドも同じ運命を辿って行った事は明白です。戦後は間違いなく、ソビエトの衛星国になっていた事でしょう。
ガルパン好きのフィンランドの方が“君らに正しいフィンランドの歴史を知って欲しい”とホシノ様に思いを託したのは好きな作品に対する愛情がかけ離れた解釈でねじ曲げられる事への違和感から出た言葉だったのかも知れません。それは同じ作品を愛する者同士だからこそ、腹を割って話す事が出来たのでしょう。
その後フィンランドの方が大洗上陸後にシネプレックス水戸でガルパン劇場版を楽しむ事が出来たのか気になるところですね。
フィンランドの方が劇場版を見たかどうかは、分かりません。劇場版を観るとか、そういった話は一切していません。
フェリーで同道した五人の外国人のうち、大洗にて最後に出会ったのはアメリカの方でしたが、大洗の次に東京と京都を観光する予定だと言っていました。
劇場版の視聴に関しては、たとえ機会を得たとしても言葉が分かりませんから、当方も紹介したり情報をあげたりしませんでした。