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「倉野川」の倉吉をゆく シーズン7の5 「打吹山の長谷寺へ」

2016年10月30日 | 倉吉巡礼記

 昼食どきになったので、町並みのほぼ中央にある「レストラン三日月」へ行きましたが、臨時休業日でした。では他にどこへ行こうか、ということでKさんが「僕の知ってる店に行こうか」と提案してきました。それに決めてJR倉吉駅前へ移動、駅前駐車場へ車を入れて徒歩に移りました。牛骨ラーメンの有名店の一つ「べんけい」の前を通りました。


 さらに西へ歩いて次の交差点を左折し、すぐの所に蔓草に覆われた外観の喫茶店がありました。「チロリン村」といい、倉吉ではけっこう有名なお店だそうですが、私は初めて知りました。


 内部は天井がものすごく高くて、広々とした空間でした。二階部分を撤去してこうなったのでしょうか。


 この日いただいた「きのこスパゲッティ」です。Kさんも同じのを食べていました。


 JR倉吉駅の駅舎です。


 午後からは、打吹山城跡の見学に移りました。城跡の西の中腹に境内地を構える山岳寺院の長谷寺から登ることにし、入口近くの公衆トイレ横の参拝駐車場に車を停めました。
 長谷寺へは、山門跡から石段をいくつか経て登ります。


 石段の途中で振り返ると、西側に眺望が開けていました。打吹山の西尾根群のほぼ真ん中に参道があるため、両側は高い尾根筋に阻まれています。それらの上にも郭群が連なりますが、遺構としては小さい部分です。


 石段を登り、左に広場を見て、大きな熱帯植物の林立に目を奪われつつ左に曲がり、石段を登って右に曲がると、石段の前方に懸造りの本堂が見えてきました。


 仁王門です。江戸時期の延宝八年(1680)の建立になる八脚門です。鳥取県の保護文化財に指定されています。かなり後世の手が入っているので、幾度か部分修理を受けているようです。
 しかし老朽の色は否めず、屋根も軸部も痛みが激しく、基壇は右側が沈下していて、そのために建物全体がやや斜めに歪んでいました。早急な応急修理が望まれますが、その予算も備えも無いようでした。


 仁王門から本堂を見ました。


 本堂です。母屋は十六世紀、安土桃山期の建立ですが、外周の庇部分などは江戸期に追加されたようで、全体としては五間堂の様相になっています。母屋は三間四面の方形堂であり、これを保護するかのように覆いの屋根と庇を追加し、参籠および参拝の便に供しています。寄棟造ですが、西側が傾斜地なので懸造りとしています。鳥取県の保護文化財に指定されています。


 本堂内の内陣前格子から内部を覗くと、入母屋造杮葺立の派な厨子が見えました。長谷寺の信仰の中心であり、本堂の建物はこの厨子を保護する蓋屋の役目を果たします。
 様式は禅宗様ですが、年代は室町時代後期となり、やや形式化しています。二手先の組物を用い、軒を扇垂木とするなど本格的な建築手法によっており、厨子でありながら正規の仏堂に準じた構えを示します。
 軸部や軒廻りの各部材および屋根葺材にも当初の材がよく残ります。この時期の建築遺構は、山陰地方においては稀で、貴重なものです。国の重要文化財に指定されています。

 厨子内には、秘仏本尊の木造十一面観音菩薩坐像が安置されます。 十四世紀代の佳品で、おそらく守護職山名氏の寄進または庇護によって造立されたものとみられます。檜の寄木造で像高は101センチ。倉吉市指定文化財になっています。


 本堂には天井が無く、屋根裏の小屋組みがよく見えます。厨子を守る覆屋としての性格がよく表れており、修理や改造が容易に施せます。空間的にも広いため、部材に絵馬を懸けて奉納するにはもってこいでした。
 それで室町期から江戸期にかけての絵馬が多数伝わり、そちらの歴史的価値も極めて高いです。一括して鳥取県保護文化財に指定されており、現在は本堂裏の袖廊に収容して陳列し、時折一般公開しています。 (続く)

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