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「パンツァー・リート」の次は「SHINY DAYS」や「ふゆびより」を聴いて元気を貰います

「倉野川」の倉吉をゆく シーズン2の2 「打吹山の麓で」

2016年06月14日 | 倉吉巡礼記

 倉吉の打吹玉川の街並みは、中世戦国期に守護所が置かれた打吹山の北麓に広がります。かつての城下集落には、伯耆国の古代からの中心であった国府からの移転もなされたようで、平安期には既に衰退していた国府の動向は、鎌倉期にはほとんど不明となります。

 古代の国府は、大山を望む広い台地上に建設されて、東には国分寺も配置されましたが、陸路を主要交通ルートとしたために交通量に限界があり、政情および治安の不安定化によって都市機能は中世期にはいちじるしく低下したようです。
 これをふまえて、守護職山名氏は新たに海に近い国府川の北にまず拠点を移し、次いで小鴨川と天神川に挟まれて水運ルートも大いに利用できる打吹地区を、国府に代わる新たな街として構築しました。水運ルートを活用すべく街中にも船が行き来出来るように掘割を設けて、有事の際には防御線としても機能するようにしました。この掘割が、現在も街中を流れる玉川です。
 そして天然の要害である打吹山に城を築き、山麓に統治の拠点を置き、街を山城と二つの川で囲んで護る形に整備し、因幡街道を街区の中に取り込んで交通の要衝としました。そうした経緯が、いまの倉吉の街並みの歴史につながっています。

 だから、打吹山は、倉吉のランドマークとも言えます。ランドマークは、通常は人工的な構造物を指しますが、歴史的な要素も併せ考える場合には、政治や経済文化の拠点となった城跡なども含めますので、日本の地方都市では城郭および城跡のある山をランドマークとする所が少なくありません。


 町並み散策を始めました。前回の探索で見つけられなかった、ひなビタのキャラクターパネルの残りを求めて、まずは東側の店舗などを見学しながら歩きました。上図の日本料理店「飛鳥」は、まだ入ったことがありませんので、どのようなお店なのかはよく知りません。


 大岳院にも立ち寄ってみました。本堂前の山形まり花のパネルがありました。打吹玉川地区の街並みは、この寺を東端としますので、キャラクターパネルの設置範囲もいちおう大岳院を東限とみるべきかな、と考えました。その東は普通の住宅地なので、そういうエリアにパネルがあるようには思えませんでした。


 そこで、北限と推定した記念道路の辺りまで街中を北上しました。倉吉の象徴ともいえる土蔵があちこちに美しい白壁をみせています。


 町並みの北側のあるお店のウインドーには、ひなビタのポスターなどが貼ってありました。いちおう重要伝統的建造物群保存地区の外側にあたりますので、掲示物などに規制はかからないはずですが、それでも控えめに公式配布品のみにとどめています。
 ガルパンの大洗のように、公式非公式織り交ぜて何でもかんでも貼りまくるのとは大きな違いです。ファンからの寄贈展示品の類は、倉吉では一切見かけませんので、街並みの景観全体の調和性は良好に保たれています。
 ひなビタとのコラボは予算を組んでしっかりやるけれど、変に力を入れたり、のめりこんだりはしない、という倉吉市当局の基本姿勢がよく伺えます。このあたりは、大洗が学ぶべきポイントの一つであるようにも感じられます。


 北側の街区でもなかなかパネルが見つかりませんので、南へ引き返して玉川沿いの街並みに戻りました。観光客の姿も増えているようでした。


 町並みの防災センターとなっている「くら用心」の土蔵です。近年の再建建築ですが、倉吉の伝統的な土蔵のスタイルを再現しています。倉吉市のマスコットキャラクター「くらすけくん」のモデルとなった建物であるらしいです。


 「くら用心」は因幡街道に面して外観は町並みの景観に合わせてあります。平成15年に火災で焼失した建物の跡地に、明治時代の倉吉の町屋を参考にする形で復元されました。重要伝統的建造物群保存地区のほぼ中央に位置し、街並み防災センターとして市が運営し、教育委員会が維持管理にあたります。
 なので、パネルが置いてある可能性は高い、と思いましたが、見当たりませんでした。


 ところが、内部で展示解説をしていた観光ボランティアの方と話をしていて、4月17、18日の桜まつりイベントの時にはここにもパネルが置かれていたことを知らされました。現在は他の場所へ移されたようだ、ということでした。市の観光交流課がパネルの運用管理にあたっていて配置も位置変更も全て行なっているため、地元の方々でもパネルの行き先すら知らないのだそうです。

 聞いていて、これはある意味正解だな、と思いました。キャラクターパネルを観光に活用してパネル巡りのコースを自在に設定しファンに楽しんで貰うためには、パネルの位置情報をなるべく知らせないことが前提となります。探して街中を歩く、というスタイルを基本として定着させよう、という意図があるのは間違いないでしょう。
 この点も、ガルパンの大洗とは対照的です。大洗のキャラクターパネルは全て位置情報が開示されネット上でも検索出来ます。簡単に回れるわけですが、それだと探す楽しみがありません。配置も固定されていますから、一度見つけたら終わり、になってしまいます。

 さらに、驚くべき情報を教えていただきました。倉吉のひなビタのキャラクターパネルは全部で30枚近くあるらしい、ということでした。


 パネルが30枚近くある、と聞いて、これは容易ならぬことになったぞ、と思いました。前回の訪問時に見つけたのが19枚で、今回はまだ1枚も見つけていません。そもそも正確に何枚あるかも分からないのです。倉吉市の観光広報でも、「20数枚」としか発表していません。30枚近くある、という話とあわせれば、実際の配置数は30枚未満であると推定しました。

 そうなると、私の場合は、あと10枚ぐらいを見つけていないことになります。街並みから車で10分近くかかるパープルタウンにもパネルがあったわけですから、これはひょっとすると想定以上の遠隔地にも散在しているのかもしれない、と考えました。
 しかも位置情報がまったく公表されていませんから、広い倉吉市のエリアをひたすら探し回るしか方法が無いのでした。

 ふるさと工芸館の戸口に芽兎めうが居ました。このようにある程度位置が固定されているパネルもあるようです。全部が全部ランダムに配置変更してしまうと、ファンも探すのに苦労して疲れてしまうでしょうし、少しは「お馴染みのスポット」を作っておくべき、との配慮があるのでしょう。


 さあ、どうするか、と街並みの中で立ち止まって、打吹山を望みながら腕組みしました。以前に紹介されていたヒントは、前回の探索時にほぼ使い尽くしているので、別な観点からパネルの配置を推定するしかありませんでした。

 パネルは市の所有物であるので、配置場所としては、町並みの観光スポット、町並み内の主な店舗、市の施設または公共施設、の三種類が挙げられます。前回に見つけた19枚も、そのいずれかに相当していましたので、今回もその線で探してみるより他に無い、と考えました。 (続く)

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