月刊パントマイムファン編集部電子支局

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『パントマイムの歴史を巡る旅』第2回(TOKYOマイムシティ代表・細川紘未さん②)

2011-05-10 01:46:44 | スペシャルインタビュー

佐々木 1985年の第二次気球座の旗揚げ公演には、細川さんはご出演されたのですか。
細川 はい。それが『創世記』という作品です。
佐々木 『創世記』は、地球の胎動と生命の誕生から人類の発生と発展、そして現代の過密した都会的な生活まで描いた壮大な作品ですね。現在のパントマイムに似た作品が全く見当たりません。この作品はどうやって生まれたのですか。
細川 恐らく並木先生の中でずっと温めていたものがあったのだと思います。4部構成になっており、それまでの活動の中で、主になる部分は出来上がっていたようでした。ソロ活動を主体としていた、「マイムトループ気球座」を発展させて、劇団としての「マイムトループ気球座」を作りたいという思いがあり、ちょうど良いタイミングであの時にメンバーが揃い、第二次気球座の旗揚げとなりました。

佐々木 どういう方が出演したのですか。
細川 (本多)愛也さんと、ハトリ(羽鳥尚代)さん、そして、ツノ(津野至浩)さん。ツノさんは、ハトリさん、愛也さんが所属するプロジェクトPを主催しています。それに、キヨシ(川口喜由)さん、野原まち子さんと、畠中ゆみじさん。ゆみじさんは、気球座の制作をなさって、その後も活動をともにしました。そして、篠塚三九夫さんと、加瀬一則さんの、全部で男女9人で上演しました。

佐々木 会場はどこだったのですか。
細川 当時、労音会館という劇場が水道橋にありまして、けっこう大きな劇場でした。
佐々木 海外で上演していたらきっとすごい反響があったでしょうね。
細川 そう思います。ですが、この時代はネットもない時代でしたから、世の中に伝えることもままならなかったのです。作品世界は時代を先取りしていたと思います。それくらいの何かが並木先生の世界観の中にはあったんですね。
佐々木 映像を観ると、作品の世界の広がりがすごいですね。イメージの豊かさっていいますか。
細川 本当にびっくりする世界観でした!パントマイムという既成の概念を取り払う表現だったと思います。演じてる私が観たいくらいでした(笑)

佐々木 第二次気球座は、アンサンブルだけをやっていこうという感じだったのですか。
細川 いえ、アンサンブルもソロもできる人の集団になろうというスタンスでした。私も何度もソロ公演やユニット公演をやりましたよ。

佐々木 第二次気球座は、どれくらいのペースで公演を上演していたのですか。
細川 大がかりなアンサンブルは、そんなにできなかったですね。旗揚げ公演の『創世記』を10月に上演し、その後、ぜひ再演をしようということで、翌年(86年)10月に労音会館で再演しました。その後は、聖蹟桜ヶ丘のアウラホールのこけら落とし公演でやった程度です。
佐々木 『創世記』の再演はほとんどなかったのですか。
細川 85年の12月に、劇団員のシノちゃん(篠塚三九夫さん・25歳)が交通事故で亡くなられたので、再演の時はメンバーも変わりました。あの時はメンバー一同が悲嘆にくれました。余談ですが、最近、並木先生も含め、みんなで公演(『気球座の動物の謝肉祭』85年頃)をした際のビデオを発見したんです。そのビデオの最後に、なんとその時の楽屋風景の映像が残っていたんです!そこでシノちゃんも並木先生も元気にしている映像があって、本当に懐かしい想いになりました。私もとっても若いんです。今も若いけど(笑)

佐々木 他にはどんな作品を上演したのですか。
細川 第一次気球座の時から上演していた『気球座の動物の謝肉祭』(サン・サーンスの作曲の同名曲をパントマイムにアレンジし、子ども向けに親しみやすい作品にしたもの)を小学校や、特別公演などで上演していました。並木先生は、パントマイミストやパントマイムの観客を増やすためには、小さい頃からパントマイムに触れる機会を持つことが必要だとおっしゃって、小学校や幼稚園や地域での作品上演に熱心に取り組んでいました。

佐々木 僕も子供の頃にパントマイムを見る機会があったら人生が変わっていたかもしれませんね。
細川 もう十分に変わってると思いますけど(笑)

佐々木 大掛かりな作品は、『創世記』の他にもあったのですか。
細川 『創世記』の後の大掛かりな作品として2本目に出来たのが『黎明記(れいめいき)』という作品(「創世記」を基に生命の発生から終わりまでを描きながら現代人類の過密さを浮き彫り出す作品)です。『創世記』上演後、何年もたってからの上演でした。
佐々木 『黎明記』は、青山円形劇場で上演されたそうですよね。あの劇場で大人数のパントマイムの公演をやったというのは、今でもすごい事ですよね。
細川 本当ですね!今思うと奇跡的です(笑)
佐々木 ビデオを観ると円形の舞台を活かしていますが、他の劇場だと難しかったんでしょうか。
細川 はじめに青山円形劇場で公演をすることを決め、それに合わせて作品を作っていったのだと記憶しています。円形を生かした本当にすごい作品になりました。

佐々木 当時はパントマイムを観る人口が大変多かったわけではないでしょうね。
細川 そうですね。だから本番の時も客席が満席ということでもなかったです。ですが、とっても良い拍手をいただいたのを覚えています。今、ビデオを観てもわかります。
佐々木 観客が少なかったのは本当に勿体ないですね。ビデオで拝見しました(『‐並木孝雄ビデオ上映&小作品上演会‐”MIME MINE 2010“』10年10月)が、本当に前衛的というか画期的というか、観たことのない表現でしたね。
細川 そうなんです!ぜひ、再演をしたいと考えて何年も経ってしまいましたが、なんとかこの夢を果たしたいと思っています。
佐々木 今度全編上映会をやるというのはどうですか。絶対観たい人がいますよ。オールナイトでやるとか。寝ちゃう人もいるかもしれませんが(笑)。
細川 全編を観ると本当にびっくりすると思いますよ。
(つづく)
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