ガクの山遊びと徒然帳(goo)

趣味の登山とお酒が好きなオジサンのつぶやきです

同期生・男子会-軍艦島を訪ねる

2015-10-13 | 旅行

長崎周遊・社会見学 2015.10.08(木)-10(土) 晴 (3人)
恒例(高齢?)の友人たちと男子会で軍艦島を訪ねる旅に出ました。
○10/8 雲仙市、小浜温泉泊   
・由緒ある旅館で由緒ある部屋、由緒ある食事で旧交を温める
・最上階の露天風呂に行ってみると外人さんが二人いた。 聞けばドイツから来て日本滞在約一週間の予定という。
 ボクはサンセットは見れなかったが、彼らは美しい夕陽を見て感激、ドイツでは見れないとのこと。
 翌日は長崎観光とのことでゆっくり楽しんで欲しいと分れた。

*今回、オトボケジジイのスーパースターがいないので珍事はないだろうと思いきや、未遂事件がありました。
 10/9早朝の出来事、朝湯に浸かることになり2人は先に行き、後刻ボクも1階浴場に行った処、誰もいない。
 さては最上階の露天風呂に行ったのだと思い、のんびりした後浴場をでると直ぐのホールに2人がいた。

 「なんでここにおるの?露天に行ったのか?」、『イイヤ、昨日と同じ2階浴場に入ってた』と言う・・・(オイオイ!)
 「2階は今朝は女湯だろ!」、友ab『エッ! そうなの?』、
 友a『そういえば、出た時に女湯の暖簾があったような・・・』、友b『誰も入ってこなかったぜ』とうそぶく。
 「エーッ!! なんてことを!危ないなあ、 もし女性が来とったら大騒ぎで犯罪者扱いの警察沙汰かもぜえ!」
 友ab『そうじゃなあ、ヤバかったのお!』など未遂事件の笑い話で終わった・・・とりあえずセーフでした。

○10/9 雲仙~軍艦島   
・仁田峠付近の展望所から普賢岳を仰ぎ、被災死者の冥福を祈る
平成2年(1990)11月頃に噴火、平成3年(1991)2月頃再噴火、その後土石流、火砕流と人的被害は大規模でした。
その後、成長し現在に至っている。

・説明板資料による噴火後の普賢岳の成長経過







・土石流跡の斜面、今も麓まで続いている跡が見られる・・・靄っていて下方は十分には見えなかった


*軍艦島(正式名:端島(はしま))へ(外観が軍艦「土佐」に似ていることから「軍艦島」と呼ばれるようになった)
・長崎市大浦海岸通り付近の港から出航(片道約45分、島内外見学約1時間)

・三菱重工長崎造船所、建造中の大型旅客船



・軍艦島、逆光のため黒っぽい・・・軍艦に見える

・外周見学



・一旦、離れた所から

・上陸用桟橋側から

・島内概略図
 本来は小さな瀬だった。南北約320m、東西約120m、これを明治30年(1897)~昭和6年(1931)に6回埋立。
 現在は南北約480m、東西約160m、面積約6.3ヘクタール、海岸線の全長約1200m
 
*歴史的背景:1810年頃石炭発見。佐賀藩が採炭開始、明治23年(1890)から三菱の所有となり本格的に海底炭鉱を操業。
 地下約1,000mを超えてまで採炭、隣接の高島炭鉱とともに日本の近代化を支えてきた。
*最盛期には日本最古の鉄筋コンクリート造り(30、31号棟7階建)のアパートなど林立、人口5,000人を超えての生活。
 世界一の人口密度だった。昭和49年(1974)閉山、無人島。 その後、売却に出したが買い手つかずで長崎市に寄贈。

・上陸しました(直ぐに第1見学広場だが、後続船の140名?が来るとのことで第2から案内説明を受ける)
 (大団体は中国からの観光客)

・山頂付近にある給水塔

*第2見学広場
・鉱山の中枢で赤レンガ造り(総合事務所、炭鉱マン用の共同浴場もあった)

・天川(あまかわ)の護岸(明治期に石灰と赤土を混ぜた「天川」と呼ばれる接着剤を用いた石積工法で島内に多数残っている)
(世界遺産)



・会議室、第二抗港など跡

・工場跡(坑内機械修理、鍛冶、製缶など)

*第3見学広場
・残存している30号、31号棟アパート(中央建物の屋上部にある柱は増築予定のためだった)

・プール跡(昭和33年完成、25mプール、幼児用プール併設、海水使用)

*第1見学広場
・左上に幹部用社宅、奥に端島小中学校

・右に並んでいる橋脚状柱はベルトコンベアー(貯炭場に蓄え、石炭運搬船に積み込まれた)

・貯炭場跡

*生活概要:社宅や光熱費など無料、給料は一般的会社の2,3倍。昭和30年代まではカマド、以後プロパンガスを利用。
 島には共同浴場、商店、学校、病院、映画館、スナック、パチンコ店(24時間営業?)など娯楽施設も充実。
 アパート屋上で家庭菜園も。 家庭にはテレビ、冷蔵庫など家電品充実。
*病院、娯楽施設、家電製品など殆どは三菱系列・・・三菱支給の給料は循環し三菱へ戻るとなる。『恐るべし三菱』
 ガイド氏の説明には随所に『恐るべし三菱』を付け加え笑いを誘っていた。
*島内の建物など補強管理するには約160億円との試算もあり困難なため崩壊を待つだけの状況とのこと。

・記念撮影

・上陸証明書と石炭をもらいました


・帰路・・・長崎造船所、後方に稲佐山

・投宿先の稲佐山中腹のホテルから・・・緑色のクレーンはスコットランドから100年以上前に購入、現在も稼働中(世界遺産)

・長崎市内、中心部でしょう

・港湾は結構大きい(右中央部、長崎造船所)

・100万ドルと言われている夜景






○10/10 大宰府天満宮   
・友人の一人は初めてとのことで案内した。 観光客は9割以上外国人(殆どが中国人)



*友人と写真を撮っていたら、女性からシャッターを押しを頼まれた。 「頼もうにも日本人が中々見つからなくって、
 やっと日本の方と出合えたんです」と喜んでいた(一目見たくらいでは区別が難しいデス)
 大駐車場と本殿までの沿道では終始中国語が飛び交っていた(韓国語も少し)
 駐車場にいたバス運転手に聞くと「今日は200台位、明日はもっと多いと思う」、毎日のように続いているということだった。
 ・昔、日本からも『ノーキョー』の団体ツアーが世界を飛び回っていてニュースにもなったことを想い出した。

*今回、人数的には寂しい温泉旅だったが収穫はやはり「軍艦島」に尽きる。
 次回は何処で温泉旅をするのだろうか楽しみじゃ。
 


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
お久しぶりです (ランボー)
2015-10-16 08:59:06
おはようございます!
親しい友との旅行、楽しそうですね。
それにしても凄い外国人観光客。どこに行っても多い・・・
ランボーさん (ガク)
2015-10-16 22:26:18
オヒサです。
旧友とは一年振りで生死を確認しあいました(笑)
今や観光地は日本人より外国人の方が多いのではないでしょうか。
いつか、また何処かで。

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