(元)流山スローライフ日記

流山でのアーバン&スローライフを綴っていたBlog。
震災をきっかけに神奈川県相模原へ移住。今はTweetまとめ。

手を挙げよう、どんな小さな手でもいい

2011-05-08 21:02:33 | パラダイムシフトな言葉
この広漠たる宇宙の中で、
人間はその自らの秩序を守る責任をもつ唯一の存在である。

新たな秩序を生み出すことすら出来る唯一の存在である。


しかし、この自由は、
秩序を自分で打ち砕く自由をも許しているのである。

この自由の故に人間は、その機構を人間が見守らないと、
自分で自分の秩序を投げ捨てる危険をも許すのである。


今、人間は、その危険の前に立っている。
人々は、自分がその危険を感じていながら、
その理由が判らないことがある。

それを、拒否すべきことを知りながら、
否定の理由がハッキリ判らないことがある。

拒否すべき現実がハッキリしながら、
否定すべき理論がハッキリしないことがある。

それは否定のない拒否である。


それは往々にして、いらいらした、断乎として、
と言った様なやりきれない心持、いわば、信念となって来る。


この信念の中には、過去に一度理由をもったが、
今は他のものとなった
宗教的な、又は封建的な、商業的な、産業的な
いろいろの残滓物がゴッチャになって、
チラチラとフラッシュの様に隠顕する不安定なものとなる。


このイライラしさが暴力に手を貸すとき、
人類の秩序は一瞬に於いて破滅に面するのである。


どんな小さな手でもいい。


その軌道が危険であることを知らすためにさし挙げられなければならない。







これ、昭和12年3月23日に書かれた文。
日本が軍国主義に突っ走ろうとしていた時代。
書いたのは中井正一さん。

反ファシズムの小さな自由な新聞「土曜日」を大阪を中心に出版していました。
でも、そのために京都大学の地位を失い獄中にあった方。

その娘さんにこのゴールデンウィーク期間中、
北海道でお世話になっていました。


「今の時代にでもあう言葉が詰まっていると思って、おほほ。」

とちょっと恥ずかしそうに、でも朗らかに渡された、
手作りの冊子にこの言葉達が紡いでありました。


みんなの心・体・脳みそにも化学反応が少し生まれればよいなと思います。

戦時中に大変な苦労をなされながらも、
自由と自立した市民の権利を訴え続けてこられた中井正一さんと、
子供達の能力を最大限に引き出す場をずぅっと作リ続けれた、
娘さんの徳村杜紀子さん、徳村彰さんご夫妻に敬意を表して、
転載させて頂きます。