以前にも書いたが、これは必然的に起きた事件に思えるので、社会の方向性にあらためるところがあるのではないか?という疑問があって、、
その答えになるかもしれないって、、
私自身の経験でも、過去に工場なんかの生産現場で働いたことがあるのですが、、
今ならスマホなどの電化製品であったり、コンビニ食品であったりの一定の質が保たれた製品の生み出される生産スピードはすさまじい!ですよね!
あのベルトコンベアーのスピード自体がこの国の経済力というか、社会を反映しているように思えたりで、、
あの生産性についていける人だけが、この国では人として認められ、ついていけない人は人としても認められず、社会からはじかれるというようなところがあるのでは?って、、
象徴としてもね、、
当然だけど、あれについていけることと、人間性は全く関係がない!ですよね
実際、社員であったり、ベテランのバイトスタッフが、新人やできないスタッフに対して暴言を吐いたり、人格を否定するような態度をとるところを何度も目の当たりにしてきてね、、
そして企業も一定の割合の人が辞めることを前提として生産コストに最初から入れているところがあり、あれについていけない人を使い捨てているようなところがないかな?って、、
いじめを心理的、物理的攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているものと定義するとこれはある意味、大人によるいじめではないのかな?って、、
いわゆる、今で言うパワハラってことかな?
このようなことが当たり前に行われている社会で子どもに対していじめはダメ!って言えるの?ってね
こういう社会だと、生産性のない人間は社会に必要ない、居ないほうがまし!と考えるようになってしまうだろうなって、、
人間は社会人になったら完成!じゃないって、、
やっぱり人間はどうしたっていつまでも不完全な生き物なので、社会人になっても人としても成長し続ける必要があるって思うんですよね
また、障害のある人の保護者の本音にも触れたことがあるんだけども、、
でもでも、それはまた別のこととして、保護者や本人の周囲に支援が不足しているのならそれが問題であって、、
障害のある人がこの世から居なくなれば良い!
ってことではないんだってね
言葉が出ないなどで、自ら発信出来ない人が本当にはどう思っているのかなんて誰にもわからないって、、
だからこそ、障害者福祉に従事する人間だけは、
やるからには理想を常に持ち続けなければいけない!
それを持てない人は違う仕事をした方がお互いにとっていいんじゃないかな?って、、
でないと、一つ間違えば今回のような事件になってしまう、、
ここまでいかなくてもね、、
辛い辛い、やりたくない!と思いながら支援しても伝わってしまうだろうし、いい関係性が築けないし、いい支援もできないってことで、その方がお互いにいいだろうって、、
現場スタッフが不足していて大変すぎるというのも痛感しているけれども、、
それが障害のある人が居なくなれば良いということにはならない!んだって
それは人手を増やせばいいだけの制度や低賃金のまた別の問題だろうってね
私自身の障害児入所施設での経験では特に重度の障害のある人との関わりが多くて、寝たきりの人の支援であったり、時には叩かれたり、暴言を吐かれたりなんかもあったけれどもね、、
それでも常に理想を持って、障害のある人も当たり前に自分らしく生きていけるようにまた生き続けられるように少しずつでも前に進めばいいなって思いながら支援していました
これまで障害者福祉をしてきて思うのはね、、
最初から福祉系の大学卒業なり資格を取ってまでしても障害者福祉の現場で働こうとする人とそうでない世間一般?の人との意識の差が大きすぎるなあってことで、、
そういう考えが全然違った人が一緒に障害者福祉の現場で働くので、色々利用者とも支援者間でもぶつかってしまうことが多いんじゃないかなと思ったりで、、
あのベルトコンベアーのスピードこそが、障害のある人への差別を生む象徴のように思えてならなくって、、、
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