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新コーナー「Day-1-pics」開始。どうなることやら。

国旗国歌ーー大新聞がムキになる愚

2004-03-18 17:38:16 | JPN/日本のニュースなどにからむ
今日の朝日の社説を読んで、アゴが25cm下まで降下し3分間脳が停止してしまった。
うっとうしいのはどちらなのか。

節目に掲揚される国旗に敬意をはらい、国歌を歌うというのが「国旗や国歌の自然なあり方」ではないか。
世界的に見て、「学校を卒業できる」だけで幸せなことなのだ。明日の命を心配せずに学校に通えるのは、とても恵まれたことなのだ。自分を安全平和にそこまで育ててくれたのは家族だけではなく、社会のすべて、国のすべてのシステムなのだと意識し、感謝と敬意をはらう。だからこその国歌斉唱であり、国旗掲揚なのだ。
それは子供たちに即座に理解されるモノではないのかもしれない。彼らが社会に出て、苦労して金を稼ぎ、そこから税を納めて、はじめてわかることかもしれない。だが現状の教育現場では、そうした側面を教える事無く、子供たちに「侵略の象徴で~」だの「アジアの人々がいやがる~」だの「君たちには自由がある」だの、国旗国歌が嫌な教師たちが、「国旗国歌が嫌な子供」を生み出すために必死なのだ。

冷静に考えてほしい。理由はともかく、日本が他国に軍を送り領土を得ていたのは事実だし、そのときに日の丸が掲げられたのも事実だ。過去に天皇主権だったが現状はそうでないのも事実なら、君が代の歌詞が天皇をさすという論があるのも事実だ。しかし、それを以て「私は嫌です」だの「良くないことに使われたので変えたらどうでしょう」などと言うのは、ただのガキンチョの意見である。正も負もすべからく背負うからこその、国の象徴なのだ。今がどうであれ、この瞬間のこの国家を形作るために流れてきた全ての歴史を背負うからこそ、国歌は君が代であり、国旗は日の丸なのだ。
これは、押しつけでもなんでもない。国旗と国歌というものが「どういう意味を持っているのか」の論だ。この事実を教えるべきはずの人々が、なんとか国旗国歌を破壊して自己満足を得ようと、子供をダシにし、式典を対立の場にしているのである。


それにしても「不毛な対立」を煽り、常識を破壊したのはどこの新聞社だっただろうか。恥も新聞も無いとはこのことである。

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