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歩かない旅人

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謝罪外交を恥じない連中のレッテル貼り

2015-08-07 11:38:36 | 産経新聞を読んで

 

  

 これで三日連続。「反知性主義」的考察という月刊誌『正論』9月号の特集記事について書きたいと思います。森本あんり氏、八木秀次氏に続いて、今度は全体9人のうちから誰を選ぼうか迷ってしまいますが、今日は小浜逸郎氏に決めました。

 盛んにレッテル貼りが行われていますが、こういう作戦はチャイナや韓国の、言葉に語彙がない国には、意味も分かる簡単な言葉が有効だと日本も学んだのでしょうし、いかにも凋落気味の日本メディアの姿かもしれません。

  

 誰がこの「反知性主義」を用いて、今の政権を非難しているかまだその姿ははっきりしません。そのうち消えてしまうかもしれませんし。勢いがついて華々しく騒がれるかもしれません。まず最初に雑誌に載った、前文から載せて行きます。

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  この頃「日本社会が反知性主義に陥っている」と言った類の社会批判をよく目にする。特に、社会主義的もしくは進歩的、「リベラル」な知識人やマスコミが、「反知性主義」という言葉を好んで使っている。

 彼らによると安倍晋三首相の靖国神社参拝も、日本の外交、安全保障政策の変化も、背後には反知性主義があるそうだ。しかし、それは本当なのだろうか。

  

 リチャード・ホーフスタッターの「アメリカの反知性主義」によると、反知性主義はもともとキリスト教によって育まれたそうだ。話題の書「反知性主義」の著者、森本あんり氏は、権力に結びついた既存の知性に対する新たな知性の反抗を、

  

 「反知性主義」と定義している。だとすれば、日本の知識人やマスコミのように単純に他人を非難する言葉として使うのは、あまりに反知性的のようにも思える。私達は「反知性主義という言葉と、どう向き合うべきなのだろうか。

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 (月刊誌「正論」2015年9月号より)

 《私の「反知性主義」的考察》

 新手のレッテル貼り その正体は・・・

  

      評論家   小浜 逸郎

 

 軍国主義者、ナショナリスト、ショウヴィニスト、ネトウヨと続き歴史修正主義者が来て、今度は「反知性主義」ですか。次々に新しいレッテルが出てくるので、ついて行くのが大変ですな。

 じつは私、世事に疎いので編集者の方から寄稿依頼を受けた時、思わず「それ、誰がコトアゲしているんですか」って聞いちゃいました。とりあえず佐藤優氏と内田樹氏のふたりの名前が出てきました。

  

 佐藤氏って、国際関係にかかわる「インテリジェンス」を売りものにしている人ですよね。でもこの場合のインテリジェンスは、あくまで「情報」。「知性(intellect)と語彙的に共通しているからといって、

 ご本人まで両者を混同して反知性主義批判者を標榜するのは、何か流行に便乗しているだけみたい。もちろん、物事の正否を判断するのに豊富な情報や確実な知識は必要で、佐藤氏はそれらを提供してくれて重宝ではあるものの、

 失礼ながら、どうも「知性主義者」のようには見えません。知性とは、知識・情報を統合してある問題に関しての的確な価値判断を下す能力のことです。

 では内田氏はどうでしょうか。以前私はこの人を本誌(正論・2014年1月号)で徹底的に批判したことがあります。朝日新聞や共産党と寸分違わない幼稚な反権力思想と政治や経済に対する音痴ぶりに、見事な「反知性」を見たからです。

  

 また彼は「戦争指導部も『このままでは革命が起きて自分たちが殺されるかもしれない』という恐怖に取り憑かれて、ようやくポツダム宣言を受託した」とか

 「中韓の日本に対する謝罪要求が終わらないのは、謝っていないからです」などとデタラメを振りまき、信じられない「反知性」を発揮している人です。(中略)

  

 そのご当人が『日本の反知性主義』(晶文社)なる本を編み、そのまえがきに、こんなことを書いています。「ホーフスタッターの『アメリカの反知性主義』は(中略)アメリカ人の国民感情の底に絶えず伏流する、

 アメリカ人であることのアイディンティティとしての反知性主義を●決した名著でした。現代日本の反知性主義はそれとはかなり異質なもののような気がしますが、それでも為政者からメディアまで、ビジネスから大学まで、社会の根幹部分に反知性主義・反教養主義が深く食い入っている事は間違いありません。」

 たしかに内田氏もその一人と考えれば、「~大学まで反知性主義が深く食い入っていることは間違いない」でしょうな。ちなみに恥ずかしながら私はホーフスタッターの「アメリカの反知性主義」を読んでおりませんがすぐ分かる事があります。

 それは内田氏が、この歴史的な大著の権威をちょいと借りてきて、本の中身などそっちのけで自分の反権力気分を拡散させるためにだけ利用しているという事実です。それってとっても「反知性主義」的。

  

 で、その気分の標的とされているのは、国会での安保法制化という安倍政権の動きとそれを容認している国民なわけですが、それなら次の動きは反知性主義ではないでしょうか。

 ①・・反日知識人のほとんどは、今回の安保法制化の具体的内容とその現実的な必要性をきちんと検討もせずに「戦争への道」というネガティブキャンペーンで国民を煽っている。

 ②・・煽られた国民は、やはり法案の中身を調べずにデモやビラ配りを行っている。

 ③・・反権力の空気醸成のために次々と新手のレッテルを考え出す。

  

 私自身はといえば、この法案の中身をちゃんと検討した上で、「不十分ながら賛成」の立場を取っていますが、単に安倍政権を支持しているわけではなく、その経済政策には根拠を示しつつ、金融緩和策以外すべて反対しています。

  

 ホーフスタッターなど、「教養主義」的に読まなくとも、時局問題についてきちんと勉強した上で価値判断を示す。その勉強には浮ついた日本知識人の観念的な反対をよそに、自衛隊を始め様々なきつい現場で、黙々と

  

 必要事をこなしている人々に想像力を馳せる行為も含まれます。それを反知性主義と呼ぶなら、喜んで反知性主義者を標榜しましょう。

 

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 今までの権威と言われたモノが、ボロボロとメッキが剥がれだした時代に突入したとしか言えないでしょう。政治の世界でも、今まで一番幅をきかせていた東京大学法学部出身者が、ほとんど政治に中枢に居なくなってきた事です。

 彼らの多くは何処へ行ってしまったのか。政治に良い人材が集まらなくなってきたとよく言われますが、政治こそ日本中枢中の中枢を担っているのですから、ここに人材が集まらないというのは問題です。

 


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