いこいのみぎわ

主は我が牧者なり われ乏しきことあらじ

聖書からのメッセージ(195)「悔やまない生き方」

2014年05月11日 | 聖書からのメッセージ
 ピリピ人への手紙3章2節から16節までを朗読。

 13,14節「兄弟たちよ。わたしはすでに捕えたとは思っていない。ただこの一事を努めている。すなわち、後のものを忘れ、前のものに向かってからだを伸ばしつつ、14 目標を目ざして走り、キリスト・イエスにおいて上に召して下さる神の賞与を得ようと努めているのである」。

 今年もいよいよ最後の聖日礼拝を迎えることができました。アッという間の一年、瞬時にして過ぎ去ったように思いますが、振り返ってみると、いろいろなことが盛りだくさん、あふれるばかりにあったな、と思います。その中にはうれしいこともあれば悲しいこともあり、つらいこともあり嫌なこともあり、また楽しいときもありましたね。よく悲喜こもごもという言葉を使いますが、いろいろなことが次から次へと起こってまいります。一年を終わるにあたって、よく「どうも思ったように、願ったようにはいかなかった。あのような失敗もあったし、このようなことがあって嫌な思いをした。あるいはこういうことがつらかった」と言って、悔やみます。「もう少しこうでなければいけない」「ああしなければいけなかった」「こうしておけばよかった」という思いがよぎって、自分を責めます。

 私も一年を振り返ると、誠にふつつかで取るに足らない、何といいますか、中途半端なことしかできなかったな、と痛切に責められる思いがします。反省これしきりです。反省はそれで非常に大切なことだと思います。しかし、反省の何がいけないかと言うと、「私が悪かった」と自分を責めることです。これがいけないのです。「じゃ、反省とはそういうことじゃないのか」と言われますね。「私が駄目だった」「私がいけなかった」という反省は、世間では「なるほど立派なことだ、よく分かったか」ということになりますが、神様が私たちに求めているのは、実はそのようなことではない。と言いますのは、自分自身、一年の歩みを振り返って「あそこが成ってなかった」「ここが足らなかった」「もうちょっと私が何とかしておけば……」と、自分を責める思いが先立っていたのです。そういうとき、はたと教えられたことが、このお言葉なのです。「後のものを忘れ」と。では自分の責任はないのか? と言いますと、確かにあるのです。神様の御心に従い得なかった。あるいは神様の求めていることにかなわなかった。努めたけれども、励んでみたけれどもそれができなかった。その点においては「誠に神様、申し訳ありませんでした」と言うほかはありません。それは当然のことです。私どもはどのようなことをしてみても、神様の求め給う標準に自分の力では達し得ないのです。いくら踏ん張って努力してみても、私たちはそこに行き着くことはできません。常に足らないのです。しかし、その反省の中には「神様、申し訳ありませんでした」という心と同時に、主はまた私たちを許して憐(あわ)れみを注いでくださった。「主のいつくしみは絶えることがなく、そのあわれみは尽きることがない」と哀歌(3:22)にうたわれていますが、誠に神様は私たちの言葉にならない心の痛み、あるいは思いを知り給う御方、神様はそのように認めるときに、私たちを許し憐れみ、その罪を清めて、神様の手に握ってくださっているのです。

 先ほど申し上げた「自分はもっと頑張ればよかった」「あれが足らなかった」「これが足らなかった」と自分を責める思いは何が間違いかというと、自分はできるという前提があるからです。私はやればできるのにしなかった。私は頑張ればやれたはずだ、という思いが、自分を責める。だから、よく「自分が悪うございました」と、まさにそこに自我があるのです。「私が悪かった」というのは、「じゃ、お前がしようとすればできたのか」と問われるならば、「できない」ことをまず認めることが私たちの始まりです。足らない者であり、ふつつかな者であり、不足だらけ、欠けだらけの者である私があって、そういう私たちが今日ここに生かされ、許され、在らしめられている。それはただ一重に神様の一方的な憐れみと恵みによる。だから、私たちは自分ができるところを怠けてしなかったから、私が申し訳なかったというのは、謙そんなようでごう慢ですよ。そうではなくて、私たちが言える事は、ゼロであった者が、何一つできない者が、今ここに憐れみによって立たせられている。この一ヵ年を振り返って、転びつまろびつ泥だらけ、罪の塊のような私であったけれども、神様が憐れんで生かして、一つ一つの業をさせてくださった。だから、私がしたことは、私がしたのではなくて神様が私にさせてくださったこと、だから振り返ってみてあれができた、これができたと感謝することがあったならば、まさにそれこそが神様の恵みであって、私の力でも業でもなんでもない。絶えずそこに心をとどめていかなければ、うっかりしていたら、サタンに私たちの心を奪われてしまいます。私たちはいつも不完全な者として立っていかなければ失敗します。ところが実は、神様は私たちを不完全なままに放っておく方ではありません。

 今読みましたこの記事は、2節以下ですけれども、伝道者パウロの信仰告白です。3節以下に「神の霊によって礼拝をし、キリスト・イエスを誇とし、肉を頼みとしないわたしたちこそ、割礼の者である。4 もとより、肉の頼みなら、わたしにも無くはない。もし、だれかほかの人が肉を頼みとしていると言うなら、わたしはそれをもっと頼みとしている」と語っています。パウロはそのような肉の頼み、言い換えると、この地上における自分に与えられたタラント、能力、才能、家柄、そのようなものを誇りとするならばいくらでも誇ることができるし、実はそれを土台として彼は生きていた。だから、宗教的にも熱心になって教会を迫害した、クリスチャンたちを迫害した。それは、私が正しい、私はこういう家柄で、私のどこを取っても間違いはない、私はパーフェクトだ、という自負心といいますか、ごう慢な思いが、彼を激しい情熱に駆られた迫害へと押しやっていったのです。

 ですから5節以下に「わたしは八日目に割礼を受けた者、イスラエルの民族に属する者、ベニヤミン族の出身、ヘブル人の中のヘブル人、律法の上ではパリサイ人、6 熱心の点では教会の迫害者、律法の義については落ち度のない者である」。実に立派です。彼はどんな人に比べても抜きん出て素晴らしい家柄であり、才能であり、育ちであります。だからこそ彼は、自分はどこにも悪いところがない。私がすることは完璧(かんぺき)、完全だ、という強い誇りがありました。けれども、そのような彼がイエス様に出会った。そのときに初めて自分が頼みとしているものは、目に見えているこの世の自分の立場や、自分の義を誇りとし、そこにより頼んでいたことを悟りました。実は、これが神様がいちばんお嫌いになる、罪であることをイエス様に出会って初めて知ったのです。だから、彼はイエス様に出会って木っ端みじんに打ち砕かれたのです。

 パウロはダマスコの町へクリスチャンを迫害するために意気揚々と出掛けていく。その途中で天からの激しい光と耳をつんざくような大きな音に地面にたたきのめされる。これは言うならば象徴的な出来事で、彼が自分では立てない、いかに自分というものが無能無力であるかを徹底して知った出来事でした。その後、彼は目が見えなくなりました。今まで自分の考えで、自分の計画で、自分の知識で、自分の業で頑張って生きてきた彼が、目が見えない、人に支えられなければ歩けない、そのような無能な、誠に惨めな彼に成り下がってしまったのです。この経験は彼にとって大変大きな恵みであったと言うほかはありません。彼はそこで初めて砕かれたのです。人というものが家柄であるとか、自分の才能であるとか、あるいは自分の努力だとか熱心さによって、正しい人間と成り得ない。実は、神様の力によらなければ、神様の憐れみによらなければ、人は生きることができない。自分が罪の塊であることをはっきりと知りました。だから後になって、彼は「わたしは、その罪人のかしらなのである」(1テモテ 1:15)と言ったのです。誠にこのときのパウロは、本当に幸いだったと思います。

その後どういう生き方であったかと言うと、8節に「わたしは、更に進んで、わたしの主キリスト・イエスを知る知識の絶大な価値のゆえに、いっさいのものを損と思っている」。イエス様に出会って、イエス様のご愛と恵み、神様の彼に抱いてくださった大きなご愛、また憐れみを知ったときに、彼はそれまで自分が誇っていた一切のものを損と思う。そんなものを持っていて、かえって迷惑と。その後に「キリストのゆえに、わたしはすべてを失ったが、それらのものを、ふん土のように思っている」。もうそんなものは塵芥と言いますか、汚らわしいものとして、捨てるべきものとして、一切捨ててしまった。「それは、わたしがキリストを得るため」、イエス様に連なるためでした。実は、人間と言うか、私たちの完成した姿とはイエス様ご自身です。私たちは不完全です。できないところだらけ、欠けだらけであり、何一つ正しいことを考えることもすることもできない者です。そのような私たちの本来あるべき完全な姿は、イエス様ご自身のように成ることです。イエス様のように私たちが成る。大変なことを神様から求められている。皆さん一人一人が、イエス様のように成ることです。「わたしがキリストを得るため」と言っていますが、そうしなければ私たちは完全な人として、神様に造られた、神様が願ってくださった人間としての生き方、在り方は完成しないのです。だから、神様は、私たちのうちにキリストのかたちを形作ろうとしておられます。今、私たちのこの地上の旅路はまさに神様の再創造、私たちを造り変えてキリストのかたちが完成される道程です。

一年を振り返って、年頭から今に至るまでいろいろなことの中を神様はお通しくださった。まさに最初に申し上げましたように、悲喜こもごも、うれしいことも悲しいことも、つらいこともありました。しかし、振り返ってみますと、そのような問題や事柄を通りながら自分を知り、神様のご愛と恵みに触れて、少しずつ自分自身が変えられていく。造り変えられていく。何がそのモデルかと言いますと、その出来上がった姿はイエス様です。そのように言われると、自分を振り返ってイエス様のことを思うと、雲泥の差です。そこに至るまで道のりは長く、険しいと思うでしょう。しかし、これは私たちに「せよ」と言われるのではない。あなたが努力してこの目標に達しなさい、というのではなくて、神様のほうがそうやって私たちを造り変えてくださる。これが私たちの大きな慰めであり、望みです。

9節に「律法による自分の義ではなく、キリストを信じる信仰による義、すなわち、信仰に基く神からの義を受けて、キリストのうちに自分を見いだすようになるためである」。先ほどの「キリストを得るため」、そしてそれに続いて「キリストのうちに自分を見いだす」、これはまさにキリストご自身と私たちが不即不離、全く一体となって、一つ姿になることです。イエス様のことを見ればそこに自分を見出すことができる。あるいは自分を見るときそこにイエス様しかないという者に、神様は私たちを造り変えてくださる。「そうなるために」と9節にパウロは語っていますね。10節に「すなわち」、それを言い換えますと、キリストのうちに自分を見出すようになるため、「キリストとその復活の力とを知り、その苦難にあずかって、その死のさまとひとしくなり、11 なんとかして死人のうちからの復活に達したいのである」。言い換えますと、イエス様がこの地上の旅路を歩んでくださって、ついにあの十字架に砕かれて、墓に葬られなさった。そのように自分自身もいろいろな問題、事柄、苦難にあずかって、いろいろな事柄を通して、自分はキリストと共に死んだものとなりきって生きる。これは私たちが新しく造られるための大切な条件であります。キリストと共に砕かれた者となること。そのために私たちはいろいろな問題や事柄の中に置かれます。自分の誇りであったり、自分の利益であったり、あるいは自分の何かを求めて、神様に従えない自分に出会うのです。

私自身もこの一年を振り返ってみて、いろいろなことで自らを探られます。思いを刺されます。そうやって、主のみ前に自分が空になっていく、死んだ者となっていく。「わたしはキリストと共に十字架につけられた」とパウロが告白するように、一つ一つの事柄の中でキリストと共に死んだ者となる。10節に「その死のさまとひとしくなり」と、イエス様の死の状態に等しくなって、更にそこから「死人のうちからの復活」、あの墓を打ち破ってよみがえってくださったイエス様と同じように、私たちも全くキリストの栄光の姿、かたちに変えられたい。これがパウロの切なる願い。12節に「わたしがすでにそれを得たとか、すでに完全な者になっているとか言うのではなく、ただ捕えようとして追い求めているのである」。

ところが、パウロは、だからといって、今私は、パーフェクト、完全な、どこを取ってもキリストそのものにはまだなっていない、と告白しています。私たちもそうではないでしょうか。誠に自分を振り返るときに、ああ、まだまだ、そんな「イエス様に倣(なら)え」と言われても、イエス様がモデルケースと言われても、自分の生活、心の状態を見るならば到底そのようなものには程遠い。これは失望落胆だ、と思うに違いない。しかし、安心してくださいというのはおかしいのですが、パウロもそのように言っているのです。「わたしがすでにそれを得たとか、すでに完全な者になっているとかいうのではない」と言うのです。そうですね。私たちもまだ不完全です。しかし、この年も神様は私たちを見捨てず、手放さず、憐れみをもって、ご自身のみ業を完成させようとして、様々な事柄に干渉してくださった。私たちは何と感謝してよいか分からない。私どもは、今自分たちがどのような者として、神様の前に立たせられているかを絶えず自覚していきたいと思います。

ですから、12節の後半に「ただ捕えようとして追い求めているのである」。そうですね。パウロも自分はまだまだ捕らえたと思っていないし、到底完全な者となっていない。しかし、「捕えようとして追い求めている」と。これが私たちにとって大切なこと、何とかしてキリストの姿かたちになるまで、渇いて求めていく。お互いわたしたちは不完全な者であります。つまずき転びついろいろな事柄でぶつかったり、しょ気返ったり、仕様もないことで有頂天になってみたりします。しかし、その度ごとに神様は教え導き、御言葉をもって諭(さと)してくださる。それを素直に受けていくこと、これ以外にない。ここにありますように「捕えようとして追い求めている」。

この一年、私どももパウロのように日々に主の恵みにあずかり、キリストの姿かたちがわずかでも、少しでも我が身になされるようにと願いつつ、求めつつ生きてきた旅路であったと思います。この旅路を振り返るとき、確かに足らない、欠けたところ、不足だらけの自分が見えます。しかし、それは先刻ご承知のことです。まだ捕らえたとは思っていない。完全な者とはなっていない私たちですから、それは甘んじて受ける以外にありません。本当に駄目人間であります。しかし、だからこそ神様が憐れんでくださって捕らえてくださって、キリストに似る者に造り変えようとしてくださっている。

ですから、12節の後半に「ただ捕えようとして追い求めているのである。そうするのは、キリスト・イエスによって捕えられているからである」。私が自分をイエス様に似る者と造り変えていただきたいと渇き求めていくことはもちろんです。しかし、それよりも何よりも、神様のほうが私たちを捕らえてくださっていらっしゃる。これを信じていく。私たちが求めてつかんだから、神様が「よし」とおっしゃるのではなくて、神様のほうが私たちを根こそぎ捕らえてくださった。だから、喜んで主の姿かたちになるように追い求めていく。

13節に「兄弟たちよ。わたしはすでに捕えたとは思っていない。ただこの一事を努めている」。私たちは足らないこと、不足を言うならば、欠けたところを見るならば、どうにも仕様がない、お手上げであります。失望するしかない。しかし、そのような者でも、神様は決して見放さない。捕らえてくださって、握ってくださって、何とかして私たちを造り変えて、キリストの姿かたちにまで清めて新しくしようとしてくださる。ところが、私どもはすぐ自分の過去を振り返って、あるいは自分を見て、こんなだから駄目だろう、先生はあのようなことを言っているけれども、聖書にもそうはあるけれども、私のようなこんなねじくれた者が変わるかしら、私にはそのようなことは縁遠い話だ、あの人ならば、この人ならば、とすぐ横を見て思います。しかし、そうではない。13節後半に「すなわち、後のものを忘れ、前のものに向かって」、私たちはすぐ過去に捕らわれるのです。自分がこれまで生きてきた生き方や何かに捕らわれて、こうだから仕方がない、こうだからもう駄目だ、これはこうだからもう望みがないというように、自分で決めてかかっている。それは私たちが過去に捕らわれている、過去に引きずられている姿です。そうではなくて、「後のものを忘れ」、たとえ自分がどのような自分であったとしても、どんなに不足だらけ、欠けだらけな者であったとしても、神様はそれを忘れて、私たちを造り変えてくださる。私たちの一切を新しくしてくださる御方です。この神様に私たちが望みを持っていくこと、それが「前のものに向かってからだを伸ばしつつ」というこの一言です。「前のものに向かって」、後ろのものを忘れないと前に進めません。幾つも、幾つも、過去のしがらみを引きずって、前に進もうと思ってもなかなか進めません。だから今年も、足らなかったこと、悔やむこと、後悔すること、いろいろなことがありました。確かに、それは不完全な私たちですから、当然のことです。しかし、そのような私たちを見捨てないで、憐れみをもって握りつかんでくださった主が、私たちを造り変えようとしてくださった一年でもあります。そして、あるかないか分からないような自分の変化、どこが変わったかしら、と思うような私たち、そのような私たちをも神様はきちんと造り変えてくださっている。更にまた新しい年、前に向かって私たちを進めてくださる御方。私たちはいつも「後ろのものを忘れ、前に向かって」と、前を望み見て生きる者でありたいと思うのです。

家内の父がホスピスに入りました。先週クリスマスのすべての行事が終わりましたから、私は訪ねました。そうしましたら大変変わっているのです。顔つきから、言う事から、変わっている。既に何度もお話していますから、いかに頑固で、かたくなであるか、お話したとおりであります。私はこの人はこういう人かなと思って、決めて掛かっていました。ホスピスに入ったときもそうでしたが、大変きつくて「おれはもう死ぬ。あと一週間だ」とか「一ヶ月だ」とか、ぐちゃぐちゃ言っていましたし、することなすこと気に食わなくて、家内は怒鳴りつけられました。ところが、変わっているのです。これは神様の業としか言いようがない。周囲の看護師さんから、お医者さんからみんな優しいのです。その優しさに触れたのです。義父(ちち)は12月が誕生月だったのです。そうしたら病院の先生が「お父さんの誕生月だから、誕生日のお祝いをしてあげたい。だから来てください」と言われました。決められた日に行きました。すると病棟の看護師さんたちがみな集まってくれて、花かごのプレゼントをくださった。病室で歌を歌ってくださった。義父は生まれて初めてです、そのような誕生会をしてもらうのは。自宅にいるころ、義父の誕生日だからとプレゼントを持って行って何かしてやろうとすると、「そんなものせんでいい!年は自然に取るもんや!」と、けんもほろろでした。ですから全然したことがない。ハッピーバースディーなんか歌ってやったことがない。今度は看護師さんたちが集まって歌ってくださる。そればかりでなくて色紙に一言ずつメッセージを書いてくださる。読みましたら素晴らしい。義父は「阿部」というのですが、「阿部さんが一日を笑って過ごせるようにお助けしたいと思います」、「阿部さんが心楽しくこの病室で過ごせるように、できるかぎりのことをさせていただきたい」と、そのような言葉ばかりです。主治医の先生まで「阿部さんが本当に心から安らいでおられるように努力させていただきたい」。入院して看護師の方からこのようなことを言われた経験があるでしょうか。そのような周囲の人々の優しさに触れて変わっていく。もちろんそこにはキリスト教の背景があるわけですが。

それまでも私は義父の病室から帰るときには、義父が喜ぼうと喜ぶまいと「お祈りをしましょう」と言ってお祈りをするのです。以前から、殊勝に「ああ、そうか」と言って座って聞いてはくれていたのですが、近ごろは少し変わってきたのです。この間まいりまして「お父さん、それじゃ、一言お祈りをしましょうね」と、「あ、頼む」と言ったのですよ。びっくりですね。それでお祈りを終わった。すると私の耳に口を寄せるようにして、こそこそっと言うのです。「あのー、お母さんのことだけどな、何とか信仰に入るようにやってくれんかね」。はぁ、私は耳を疑いましたね。義父がそのようなことを言うとは。

義母(はは)もその病院から数百メートルぐらい離れた所にあるケア・ハウス、老人ホームに入っている。そこも同じ病院の経営です。週に一度病院で行われる「安らぎの会」というキリスト教のお話を聞く会があるので、そこに義母を連れて行ってくれる。そのついでに義父を見舞ってきます。義母がそのような集会に出ていることを義父は大変喜んで「やっぱり信仰がないといかんぞ」と、「おれはいいけれど」と後に付け加えたのです。それは義父の本心ではないと思う。強がりですよね。今まで「おれは無宗教で大丈夫」と言い続けてきた体面上、「おれも頼む」と言えない。しかし、明らかに心が変わった。顔つきが変わりまして、全く優しい顔になりました。私どもが行きますと、「ありがとう」と言うのです。今までそのように「ありがとう」と言ったことがない。それで「これ持って来たよ」と言ったら、「あ、ありがとう」「これ食べる? 」と言ったら「あ、ありがとう」。最近では、元気になってつえをつきながら病棟の廊下を歩けるようになった。すると看護師さんが見かけて「阿部さんが歩いている」と飛んできて一緒になって写真を撮る。その写真が病室にはってあるのです。その顔を見ると、同じ人とは思えない。

どんなに頑固でかたくなな心でも、神様が働いてくださるとき、出来ないことはないですね。13節後半に「後のものを忘れ、前のものに向かって」と、まさにこの事です。私たちはつい過去に捕らわれ、あの人が駄目だから、こうだから、こういう事だから、これはもう無理だからこれはもうあきらめなければならない、これはもう仕方がないとしてしまう。そのようなことを忘れて前に向かっていく。前に向かうとは、神様を望み見ていくことでしょう。13節後半に「前のものに向かってからだを伸ばしつつ」、私たちはともすると、つい周囲の目に見える状態や事柄、過去のいろいろなことを思い浮かべ、「これは無理だ」、「これはもうできない」、「これはもう到底かなわない」、あるいは「私のような者が救われるはずがない」「キリストのようになるなんて、私には到底縁のない話だ」というように、後ろを向いていくようになる。そうではなくて、神様はできないことのない御方。だから前に向かって、神様に体を伸ばしつつ主にすがっていく、主を求めていく。そのとき神様は驚くべき事をしてくださる。

義父が、自分たちはこの地上にあって親戚(しんせき)付き合いとか友人知人との交際、交わりはできなくなった。だから、みなが心配するといけないから、あいさつ状を書いてくれ、と言ったのです。それで文面は任せると、私も困りまして、どのように書くかなと思って祈っておりました。そうしましたとき、今年の5月から事が始まりましたが、その一連の経過を追いながら一つの文章にまとめました。このような状況に今ありますから、皆さんとの交わりはできなくなると思います、と書いたのです。そのときにズーッと義父や義母の経過をもう一度振り返ってみたときに、神様の一つ一つ備えられたステップ、ステップがあったな、と深く思わされました。先ず、義父が義母を介護しての生活、二人っきりの生活はできないと行き詰ってしまって、病院に入院しました。2ヵ月半ほど入院した後、戸畑のケア・ハウス「ふれあいの里」に入りました。これもまた素晴らしい神様の時であったと思う。病院からもう一度自立して、自分独りででも生活をしてみようという境遇に彼を置いてくれた。そこで二ヵ月半ほどの月日を経て、自分でも自立的に動けないという決定的な状況になって、初めて福岡のホスピスに入ることになった。これが家庭から一気にホスピスには行けなかったと思う。一段、一段、ワンステップ、ワンステップ、神様が義父の心と思いを整えてくださった歩みだった、と思う。また義母も同じでして、義母も義父がそうやって入院しましたから、取りあえず老人介護施設(老健)にあずけました。そこは以前からデイ・ケアーに通っていましたから、一応おなじみさんということで、長くて一年は置いてくださるという話でしたが、いずれにしても出なければならない。老人介護施設は一部屋4人です。その施設は込み合っていましたから、確かに食堂らしいものはあるのですが、廊下の一部分を成したような所で食事をする。そしてプライベートな空間はない。私どもはそのことも心を痛めて祈ってまいりました。やがて神様は私どもの住まいの近くの特別養護老人ホームに入れてくださいました。近くになって良かったようで、これまたいろいろな問題が出てまいります。また特別養護老人ホームという特殊な境遇ですから、義母にとっては、ちょっと場違いな場所であった。でもそこに入ることによって、自分がどのように恵まれた状態にあるかを知ることができる。神様はいろいろな所へ置いてくださって、義母を整えて、私たちから少し離れましたが、今度は「かめやま」という介護付有料老人ホームへ入れてもらった。そこは広いワンルームが自室として与えられる。そして食堂が別個にあって、ロビーと食堂が分かれている。ほとんどの施設が、食堂とロビーが一緒ですが、そこは非常にスペースが広々としていて、食堂とロビーが区別されており、お風呂も週に三回入れてもらう。それまでも「老健」も「特養」も食事は比較的冷たいものです。作り終えたものが上がって来ますから、おつゆも冷めているし、ご飯も比較的冷めた状態です。ところが、そこの施設はすべてがあったかい。週に三回、介護の人がお風呂に入れてくれる。週に三度リハビリにマッサージをしてくれる。食事は上げ膳据え膳、自分の部屋で好きなことができる。まるで温泉ホテルにいるようです。この寒空でも、自宅に居たときにはすき間風で何枚も着込んでいた生活から全館冷暖房です。神様は本当に憐れみ深い御方だなぁと思います、そして何よりも信仰に触れる場所へと神様は救いの道を導いてくださっている。

ここにありますように「前のものに向かって」、更に神様に期待しつつ、「目標を目ざして走り」とあります。私たちの目標はどこにあるか。キリスト・イエスのかたちに成るまで、それまでこの地上を去るわけにはいかない。神様は私たちを頭の先から足の先まで清めて全く新しい者と造り変え、神の賞与を与えてくださる。どうぞ、迎えます一年も神様を前に置いて、主を望み見て、後ろのものを忘れ前に向かって、ますます主を求めていく者となりたいと思います。そして神様の驚くべき御業、私たちを通してなそうとしてくださるくすしき業を味わう一年としていただきたいと思います。

ご一緒にお祈りをいたしましょう。

最新の画像もっと見る