民俗断想

民俗学を中心に、学校教育や社会問題について論評します。

治安維持法と共謀罪と二・四事件

2017-02-27 10:08:23 | 政治

 昨日「二・四事件」に学ぶ長野・上水内集会が長野であり、参加してきました。午前に「二・四事件」のドキュメンタリー映画「草の実」を観て、午後は長野方面で検挙された先生を幾人か取り上げて、その生涯、生き方について発表がありました。私は、「二・四事件」は長野県そして全国の近代史の上で、戦争へと人々を駆り立てる分水嶺になった出来事で、今を考える上で忘れてはならない事件だと思います。そもそも、「二・四事件」とは何かをいわなければなりません。1933年(昭和8)年2月4日から、長野県の教員を治安維持法違反で多数検挙し、共産主義運動はもちろん自由主義、あるいは戦争反対の運動を壊滅させ、以後戦争への道をまっしぐらにたどらせることとなった事件です。わずかの非教員を含めて、検挙者は230名、このうち共産党員は1名もおらず、党関係の活動家が執行猶予のついた刑であったにもかかわらず、教員だけは13名が懲役2~3年の実刑判決を受けました。また、この時の検挙を理由に、免職や休退職に追い込まれた先生も多かったのです。時代は不景気の真っただ中です。昼食を持参できない欠食児童(私の父も昼を持って行けず、昼食時は校庭で遊んで時間を過ごしたそうです)や、女子の身売りなど数多く、まじめな先生方ほど子供たちを救いたいと苦しんでいました。子どもの貧困が叫ばれる現在と重なるものがあります。子どもを救いたい、世の中を変えたいと思う先生をすべて共産主義者、国の転覆を狙う者として、治安維持法で検挙したのです。実際に何かをしたのではなく、仲間と集まって子どもの窮状を話し合う、現状をどうとらえたらよいか本を読む、そんなことをしただけで捕まえる。以後、治安維持法はどんどん拡大解釈され、政府批判をする者を検挙していくのです。午後の部の、検挙された先生の生涯の紹介では、どれだけ有能でまじめで子どものことを考える先生方であったかがよくわかりました。

 今「共謀罪」が問題になっています。この法がその他の法と大きく異なるのは、犯罪が実際に行われる前の段階で摘発・処罰される点です。行為に対して処罰されるのではなく、頭の中にあるもので処罰されるのです。頭の中にないものをあるといって処罰することができます。これは治安維持法と全く同じです。治安維持法も一般の人が検挙されることはないといって成立させたといいますうから、これもまた全く同じです。政府に都合の悪いことをいう人は、頭の中に世の中を転覆させるための計画が詰まっているといえば検挙できるのですから、「二・四事件」の悲劇をまた繰り返しかねません。