○△□ ∞ 鶴千亀万 人間百年

『鶴は千年、亀は万年、人間は百年へ』

2月10日(金)のつぶやき

2017-02-11 | ねっと・さーふぃん

 

以前(1980/5/21)いわゆる戦犯1068人を弔う五重の塔の模型を、日本の僧侶が、当時の法王であるヨハネ・パウロ2世に送り、それがサン・ピエトロ寺院に置かれている…ってのが事実です。

 

ヨハネ・パウロ二世がその五重塔の意味をどこまで知っていたか?、日本の戦没者と説明したのか、「いわゆる戦犯」と説明したのか、どういうつもりで法王はサン・ピエトロ寺院に置いたのかまでは解りません。


ちなみに送ったのは、真言宗醍醐派の仲田順和さんってお坊さんです。結構エライ人です。”

 「五重の塔 バチカン」の画像検索結果 バチカン(日本人戦犯へのミサ)image_convert_20140122185632
” 事実その1 靖国神社の存続を助けたのはカトリック司祭たちだった

かつて、米軍が靖国神社の存続を滅する計画をたてていたときのこと。
それを押しとどめ、神社の存続を促したのが
当時の上智大学学長、ヴァチカン日本支部代表のブルーノ・ビッテル神父
およびメリノール宣教会のパトリック・バーン神父の両名だった。


両神父は、マッカーサーの靖国神社の焼却処分案に猛烈に反対し、
そのさいビッテル神父は、こんな言葉を残している


「いかなる国家も、その国家のために殉じた戦士に対して、
敬意を払う権利と義務があると言える。
それは、
戦勝国か、敗戦国かを問わず、
国家のために命を捧げた人に“敬意を払う”のは
自然の法、平等の真理でなければならない


「もし靖国神社を焼き払えば、それは連合国軍の占領政策と相容れない犯罪行為である。
米軍の歴史に不名誉な汚点を残すことになろう」


「靖国神社が国家神道の中枢で、誤った国家主義の根源であるというなら、
排すべきは国家神道という制度であり、靖国神社ではない。

われわれは、信仰の自由が完全に認められ、
神道・仏教・キリスト教・ユダヤ教など、
いかなる宗教を信仰する者であろうと、

(日本の)国家のために殉じたものは、すべて、
靖国神社にその霊をまつられるようにすることを、進言するものである」


事実その2 日本人殉難者のためのミサが、かつてヴァチカンで行われていた

「昭和の戦争記念館」第3巻、大東亜戦争の秘話のところに、
1980年5月21日、昭和の殉難者のために、荘厳なミサが
ヴァチカン・サンピエトロ寺院で行われた
・・・という事実として記載されている。


その内容について、「他の資料」と交えてまとめると、以下のようになります。

かつて、 
時のローマ法王・パウロ6世に、「日本人殉難者のためにミサを」と訴えたのは
仏教徒の仲田順和師であった。
彼は、昭和50(1975)年、ヴァチカンを訪れ、法王に謁見した。


大戦後、パウロ6世が宗教・宗派間の争いが絶えないことを憂いて、
世界を飛び回っていたこともあり、
順和師は、この法王なら判って貰える・・・そう思い、
謁見時に率直に質問してみたという。


「第2次大戦後、戦勝国は敗戦国日本に対して軍事裁判を行ない、
 1068人を死刑にしました。そのことを法王としてどう思われますか」


すると法王は
「それは恥ずかしいことです。
 私は処刑された人々のミサを行いたいと思います」
と答えたという。


仲田住職は感激したそうだ。
 「さすがカトリック教徒11億人のトップに立つ法王だ。
 宗教宗派の対立解消を念願しているばかりではない。
 戦争観や歴史認識においても、正邪善悪や敵味方を超えて、
 相互理解を図ろうとしている。

 これこそ宗教者としての本来のあり方であり、平和精神の体現者ではないか
と。


こうして、かねてより住職が心を痛めていた「戦犯とされた人々」
鎮魂と慰霊のために、宗教の違いを超えた願いが出された。



そのさい、
戦死した日本の13万人の学生たちの霊のため、
特別の恵み(祝福と加護)を依頼した・・・ともされている。


順和師の父、先代座主でもあった順海大僧正は、学徒兵や殉難者の法要を欠かさず、
「七戦犯の鐘」など、慰霊の鐘も護持していた。
この先代座主の遺志をついだ、真言宗醍醐寺派別格本山品川寺(ほんせんじ)
仲田順和師の願いを、パウロ6世は快く承諾したのだ。

しかし、喜んで帰国した順和師にその後届けられたのは、法王の訃報だった。
その後、ヨハネ・パウロ1世も急逝。
異教徒の願いは空しく閉ざされた・・・と思われた。


しかし、その5年後(昭和55年4月)。
順和師のもとに、ヨハネ・パウロ2世から親書が届けられた。
そこには、なんと「5年前の約束を果たしたい」とあった。

 
ローマ法王庁は、異教徒の願いを忘れてはいなかったのだ。

この日まで、過日のパウロ6世の真心に応えようと、
帰国直後から、
「戦犯」慰霊に共鳴していた栃木県大田原市の木工芸家である星野皓穂氏に
醍醐寺五重塔を精巧に模した塔作製が依頼されており
星野氏は、その後3年の歳月をかけ、その依頼を無料奉仕で完成させた。”