↓レコーディング風景です。↑
https://www.youtube.com/watch?v=rnpQepd0Noc
コンサート風景です。↑ ↓
海運橋のジョニーという名のジャズ喫茶を営みつつ、有名なジャズピアニスト穐吉(あきよし)敏子さんの活動を支援されていらっしゃるという、有名な照井顕さんが恩人なのですが、その照井顕さんに頂いた紹介記事です。
※「関根恵子主演大映映画主題歌・樹氷悲歌(エレジー)」を歌って、1970年にコロムビアからデビューした歌手・高田和明(本名・管野健一)には、10万枚を記録した「三陸旅情・ビクター」と「夜の指輪・ビクター」という二つのヒット曲がある。
メディアに乗り、火がついての10万枚という一般的なそれとはまったく違い「地道な努力」という言葉がよく似合う、自らの手売りによってのみ達成したヒット曲なのである。
それにかけた情熱もまた9年、10年と、気が遠くなりそうな年月をかけて、キャンペーンしながら歌い歩いた不屈の根性が成せたもの。
単純計算で1日30枚ずつ10年間も自らの出前歌唱のみでの達成となれば、そこそこの歌手が逆立ちしたってできるものでも、続けられるものでもないことは誰の目にも明らか。
だから当時の所属元であったビクターは「特別賞」としての「ヒット賞」を2度、彼に贈った。
8枚のシングル。1枚のアルバム。この数もまた歌手生活40年余りの彼、高田和明にとっては、少なすぎる数字ではあるが、自ら手売りした数十万枚もの数となれば、何十タイトルものリリースに匹敵するだろう。
最新盤は2007年にキングレコードから発売した「棄てましょう/ その名はフジヤマ」のシングルですsrc="https://www.youtube.com/embed/GK3sGBLu7TE" width="350" height="210" frameborder="0" title="YouTubevideoplayer" allow="@@@" ></iframe>
https://www.youtube.com/watch?v=rnpQepd0Noc
●私がこのブログを書くにあたり、種々検索して知ったことや、自らコツコツと手売りで、10万枚以上ものレコード売り上げの記録を成し遂げた高田和明さんもそうであるように、東北人気質のどっしりとした凄さを、改めて感じ取りました。
◆高田和明さんの、実家の隣が私の夫の実家で、1歳年上の彼にくっついて遊びまわって育ったそうで、高田和明さんの実家が酒屋{今のコンビにみたい)で何でも売ってあり、高田さんのお母さんからおやつを頂き、ふたり分け合って食べていたのが、楽しい思い出だそうです。
https://www.youtube.com/watch?v=rnpQepd0Noc
コンサート風景です。↑ ↓
海運橋のジョニーという名のジャズ喫茶を営みつつ、有名なジャズピアニスト穐吉(あきよし)敏子さんの活動を支援されていらっしゃるという、有名な照井顕さんが恩人なのですが、その照井顕さんに頂いた紹介記事です。
※「関根恵子主演大映映画主題歌・樹氷悲歌(エレジー)」を歌って、1970年にコロムビアからデビューした歌手・高田和明(本名・管野健一)には、10万枚を記録した「三陸旅情・ビクター」と「夜の指輪・ビクター」という二つのヒット曲がある。
メディアに乗り、火がついての10万枚という一般的なそれとはまったく違い「地道な努力」という言葉がよく似合う、自らの手売りによってのみ達成したヒット曲なのである。
それにかけた情熱もまた9年、10年と、気が遠くなりそうな年月をかけて、キャンペーンしながら歌い歩いた不屈の根性が成せたもの。
単純計算で1日30枚ずつ10年間も自らの出前歌唱のみでの達成となれば、そこそこの歌手が逆立ちしたってできるものでも、続けられるものでもないことは誰の目にも明らか。
だから当時の所属元であったビクターは「特別賞」としての「ヒット賞」を2度、彼に贈った。
8枚のシングル。1枚のアルバム。この数もまた歌手生活40年余りの彼、高田和明にとっては、少なすぎる数字ではあるが、自ら手売りした数十万枚もの数となれば、何十タイトルものリリースに匹敵するだろう。
最新盤は2007年にキングレコードから発売した「棄てましょう/ その名はフジヤマ」のシングルですsrc="https://www.youtube.com/embed/GK3sGBLu7TE" width="350" height="210" frameborder="0" title="YouTubevideoplayer" allow="@@@" ></iframe>
https://www.youtube.com/watch?v=rnpQepd0Noc
●私がこのブログを書くにあたり、種々検索して知ったことや、自らコツコツと手売りで、10万枚以上ものレコード売り上げの記録を成し遂げた高田和明さんもそうであるように、東北人気質のどっしりとした凄さを、改めて感じ取りました。
◆高田和明さんの、実家の隣が私の夫の実家で、1歳年上の彼にくっついて遊びまわって育ったそうで、高田和明さんの実家が酒屋{今のコンビにみたい)で何でも売ってあり、高田さんのお母さんからおやつを頂き、ふたり分け合って食べていたのが、楽しい思い出だそうです。