河豚公国(かわぶたこうこく)

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実験。Sicm+Anthyを疑似的に飛鳥化したものは戦力になるか?

2009年02月23日 01時40分58秒 | PC関連アプリケーション
『実験。Sicm+Anthyを疑似的に飛鳥化したものは戦力になるか?』

 Sicm+Anthyというのは、Linuxの日本語入力の手段のひとつ。現時点で、最もポピュラーなフリーで使用できる日本語入力の入手可能な手法。
 これは、疑似親指シフトにも対応している。親指シフトにも数種類あるので、それらを一通り切り替えられるようにしてある上、ユーザーが独自に編集することも出来る。
 すなわち、ある程度飛鳥カナ入力に近づけることが可能、ということ。

 なぜ、他の親指シフトは正規採用しているのに、飛鳥カナ入力がないのか?
 答は簡単で、決定版が無数に存在しているから。自分が覚えた飛鳥カナ入力は345番の配列。その前に、2百番台のものを試している。ホームページに、それが最新だと書かれていたから、その通り真に受けたのだが、実際には34x番まで出ていた。それを会得し直している最中に、345番が出てきて、これが最終版だというので、345番を覚えることにした。その間も、幾度か更新されたらしいが、もう、自分の指には345番が一番馴染んでしまっていた。もともと、最初からブラインドタッチを要求される入力である。専用のキーボードなど存在しない。だから、会得してしまったものをおいそれと気軽に変えることは出来ないのだ。
 もう一度覚え直し、それを345番と使い分けろと言われたら、新しい指と新しい頭が必要になる。自分は、345番でなんの不満も感じていないので、その先のことはもう見ないことにした。ニューバージョンを次々と発表するのは制作者の性分らしい。
 というわけで、飛鳥カナ入力の良さを認める人の中には、多数制作者を非難する人間がいる。飛鳥カナ入力の存在を知らない人は非難する理由もなにもないので関係のない話なのだが、一度は憧れ必死に練習して、それを、「次のが出来たよ。それは欠陥品」と切り捨てられて、そんなことをなん十回と繰り返していれば、世間が「いい加減にしろ!」と怒り出すのは、むしろ当然の話だと思う。自分は、そのような制作者が何をしているかには関心を示さず、ひたすらキーを叩き、少しでもスキルを上昇させることに力を注いだので、次々更新されようといっこうに気にならなかったが、「最高のものを会得しよう」という気でいた完璧主義の気のある人には、次々と現れる「決定版」の発表には、苦々しい感情が伴ったことくらい、容易に想像がつく。そして、ニューバージョンを次々と発表した制作者の気持ちも判るつもりだ。
 改良を重ねるとういことは非常に楽しいものだからだ。
 一度はまると、際限無く繰り返すことになる。宮沢賢治は、『銀河鉄道の夜』に生涯手を加え続けたという。
 自分にとって掛け替えのないものであればあるほど、改良したくなるのは人間の常なのだと思う。

 幸い、自分は完璧なものなど最初から求めてはおらず、『「親指シフト」を通常のキーボードで疑似的に再現できる』という、その話を聴いただけで舞い上がってしまっていたくちなので、「親指シフトから派生した改良版の飛鳥カナ入力というものがある」という情報だけで、もう他には特に気にならなかった。
 腱鞘炎で悩んでいた手首への負担が、ローマ字入力よりも圧倒的に減った。それだけで、もう十分に満足できた。

 当初のお題から、かなりかけ離れてしまったようなので、話を戻そう。

「飛鳥カナとは違うものだ」と割り切ってしまえば、指が覚えている資産を十分に活用できる。但し、シフトキーの押し続けが癖になっている筈なので、その点が非常にネックとなる。特性の違いを身体で覚えるまで、当面はストレスに悩まされることだろう。しかし、おそら最終的には、元の入力方式の方に影響が出るという形で決着がつくのだと思われる。そのことは、飛鳥カナ入力の利点であるシフト押しッぱなしを自分の意志で放棄する。ということを意味するが、自分は、それならそれで構わないと思っている。親指の有無で入力文字が3通りに替わる飛鳥カナ入力は、頭と指とが連動しない、ブラックボックス的な部分がある。少なくとも自分のケースはそうだ。頭で考えた文字を打つのに、どの指をどこに置いて叩くかなど、覚えてはいない。リズムで打っている。文字位地は、単語毎に指が覚えている。最悪の場合は、「あいうえお」、等必要な文字のある50音のあ行さ行という行単位で思い出す。脳が覚えているわけではないから、その分脳を考えることに集中させることが出来、淀み無く指がそれを汲み取ってくれる。自分は、そんな風に感じている。ロ-マ字入力の時は、明らかに言葉を意識していた。飛鳥入力でキーを叩いている間は、そのようなプロセスはない。数字を入れてボタンを押せば答が出てくる電卓と同じ。ブラックボックスになっている。ブラックボックスは指の中にある。そこを、人間がもう一度、今度は指ではなく脳で修得する。曖昧で済ませている部分をキッチリと把握し直す。その作業が必要になると思う。従って、即戦力にはならないと思う。しかし、一度はその道を通っておいた方が、最終的にはよい結果をもたらしてくれるような気がする。
 指と脳、どちらも記憶している方が、ミスタイプが減るはずだ。
 それを無意識に行える様になれば、キー入力で恐いものはなくなると思う。
 上級者には、あの言葉は、あの同音異義語の中の何番目にある。ということも記憶していて、キ-入力による「学習」をあえてoffにしている人がいる。
 直漢入力というキーふたつの組み合わせで、2千文字以上の文字を確実にタイプ出来る冗談のような人もいる(この入力が、機会にとっては一番負担がかからない。文字辞書が必要ないからだ)。苦労する分は、自分も、そういう人達に、少し近付くのだと思えばよい。


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