教育基本法ね

教育基本法をさまざまな角度から視る

個人主義のもとは競争社会

2006年07月23日 | 戦後教育

 教育が荒廃したのは、戦後の民主主義教育によって、個人のことしか考えない人間がたくさん育ったからだという説がある。だから、人権保障は最低限にとどめるべきであり、公共心や国を愛する心を法定してでも教えるべきだという主張である。

 しかし、個人のことしか考えなくなるのは、民主主義が原因とは思えない。

 近代民主主義は、個人の権利の主張を認める。しかし、これは「自分のことだけを要求していればいい」を意味しない。人権尊重は、他者の人権尊重も求めるからである。民主主義は、「みんなのことを考える社会」をいかに作るかのやり方でもある。民主主義は、公共性に行き着くものである。

 利己的な人たちを見ると、たいていは自分の身を守るのに精一杯であるか、目標に取り憑かれているかのどちらかである。

 学校で、生徒が身を守るのに精一杯になってしまうのは、教師が独善的か無能であるときである。また、生徒同士のわがまま、無思慮がまかり通るときである。いずれも、学校内の人権擁護システムが確立していないためである。

 目標に取り憑かれた人間を生み出すのは、賞罰によって目標を植えつける教育が原因になる。賞罰によって生徒を誘導するのは、「自分の利益だけ考えろ」と教育しているのと同じである。「目標に向けて頑張る」は「周りを見ない野心家になれ」の上品な言い換えでもある。

 競争も、自分のことだけ考えるように仕向ける。
 点数を競わせる教育は、「自分の成績さえ上がればいい」の強要ではないか。特に、入試による動機付けは、無意識のうちにも「自分の成績だけ気にする人間」を作っている。

 学校も官庁も会社も、実は「自分の成績だけ気にする人間」をうまく利用して成り立っているのではないだろうか。目標を与え、点数をつけていれば組織運営できるからである。しかし、このことが無意識になってしまい、「創造性がない」「責任感がない」などの弊害にだけ文句を言っている。
 学校でも企業でも、「自分の成績だけ気にする」をむき出しにする人間は少ない。しかし、その人間を動かす重要な動機付けになっている。


 社会が個人へと分解することは、むしろ、「万人が万人に対して狼である」競争経済の社会に由来するものだと思う。それを、民主主義のせいにするのは、ずいぶんと無理な論法ではないかと思う。
(転載歓迎)

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3 コメント

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Unknown (険心)
2006-07-23 17:52:31
教育の荒廃と子供達の心の病は戦後他国からの占領教育の成果でしょう(かれらは意図して行ったから)。これからは格差社会を作り優秀だけど貧しい子供達を兵隊にしていく、その為には今から愛国心の洗脳教育で仕上がりなのでしょう。世界を支配する悪魔的なものが、アメリカはもう使いすぎてボロ雑巾だからもうだめ。次は多極化政策だそうですが世界中あちらこちらで戦争を創り始めたようです。日本もその政策の一環で愛国心でしょう、おそらくさらに激しい国家統一的スローガンが巷を賑わすでしょう。わたし達は騙されてはいけません、子供達の尊い命を悪魔達の金儲けのために犠牲にしてはいけないと思うから。
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民主主義など学校にあったのか (匿名)
2006-07-25 13:55:47
私はこのような言説は疑問に思います。そもそも戦後教育や学校教育はは民主主義教育と呼べるのかと思います。部活動をやるかどうかも決められないで部活の強制もして制服も自由に着るかも決めることができない。民主主義というならこういったことは自分で決めるのが民主主義というものではないでしょうか。また生徒の発言権も保証されていないし。日の丸や君が代の問題をみても民主主義教育なのかと思います。諸外国では当たり前の教育委員の公選制も廃止してしまったですし。個人の権利など学校現場では尊重されなかったではないでしょうか。不登校の生徒は強制で学校に戻させもしましたし。個人の権利などないに等しかったと思います。私は中学生のとき部活が強制だったのですがそんなことも中学入学まで知りませんでした。小学生のとき卒業間近のとき入学説明会があったのですがそのとき部活動が強制なんて記憶でしたがいっていませんでした。部活の強制なんて説明会のときに言うべきでしょう。この不透明なやり方と説明責任がないのが腹が立ちます。人にいえないことなのでしょうかね。言うと嫌がられると思っているのでしょうか。いずれにしても汚いと思います。

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Unknown (もーちゃん)
2006-08-24 12:37:51
確かに学校には民主主義はないのかもしれません。校則や制服などはみな学校側が決めたもので、生徒たちが自主的・自発的に決定したものではないし…。学校生活の主役であるはずの生徒たちに、自分たちできちんと考えさせ、試行錯誤と経験によって人格形成を促させないのは、生徒たちを人間扱いしていないに等しいと思います。

もちろん、自分たちで決定し実行した結果についても、自分たちで責任を負わせる必要もありますが、それも民主主義の一側面です。

だから、「民主主義=個人のわがまま放題」ではないのです。

この国のお偉いさん方は全く理解されていないようですね。
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