■ せっかくの三連休だから濡れてもいいや
「梅雨明け十日」という言葉を知ったのはかれこれ35年ばかり前、三十代のなかばだった。教えてくれた古参のキャンパーは、濡れたカッパのフードから滴る水滴で顔を濡らしながら、空を仰いで「梅雨明け十日っていうのに、おかしい!」と悔しそうに嘆いた。
梅雨が明ければしばらくは安定した晴天が続くというのが「梅雨明け十日」の意味らしい。だが、あのころも梅雨は明けてもすぐに崩れやすい空の日々が続いてた。前の年は、8月になってもシトシトと長雨が続き、梅雨がなかなか明けなかった。以来、気になって「梅雨明け十日」を気にしながら夏を迎えてきた。
今年、7月17日(月)の海の日がらみの週末は、15日(土)からの三連休となったので、5月の大型連休以来のキャンプを早々と予定した。伊豆のキャンプ場へいきたかったのだが、さすが人気キャンプ場である。梅雨だというのに早々と満員になっていた。
しかたなく、信州にいくことにしたが、どこであれ、やっぱり空模様が気になる。
最初は梅雨の中休みを期待した。しかし、天気予報は芳しくなかった。九州地方の豪雨とは裏腹に、関東は空梅雨気味の今年、海の日をからめた週末の三日間の予報は曇りであり小雨という梅雨空そのものである。
この時期、「曇り時々雨」のマークが並ぶのは毎年のこと。きっと気象台も、さすがにどうなるかわからないのでとりあえず出しておく予報なのだろうとしか思えない。
5月初め以来、ふた月ぶりのキャンプなので多少の雨でも出かけるつもりになっていた。関東甲信越の梅雨明けはだいたい7月の21日くらいが目安になる。それより一週間ばかり早く連休となったのが今年の不運でしかない。小雨でしかもときどき降るくらいなら濡れてもいいと覚悟を決めた。
もしかしたら、雨はふらないかもしれない、とも。予報が大雨に変わったり、雷雨で荒れそうなら逃げ帰ってくればいい。これまでだって、何度となく尻尾を巻いて逃げてきた。
メリットもある。雨の予報なら、キャンプにいこうなどと思う人間も限られてくるだろう。その分、静かなキャンプが楽しめる。
■ 高原なのに珍しく湿度が高い
前日の金曜日になって、天気予報は劇的に変わった。太陽のマークと曇のマークが重なった三連休となったのである。「関東甲信越は梅雨明け宣言が出るかもしれない」というネット情報も読んだ。
濡れずにすんでうれしい反面、せっかくの静かなキャンプができなくなるかもしれないという身勝手な心配さえはじめていた。
海の日が一週間遅くなって小学校の夏休みに重なると、このキャンプ場は5月の大型連休のころより混雑する。たしかに標高1,300メートルの高原の5月はまだ寒い。朝起きたら雪が積もっていたという年もあったそうだ。
ぼくたちも5月の寒さに震え上がって以来、真冬に近い装備で出かけているのに、寒さと曇天に辟易して一泊で切り上げたことさえあった。しかし、7月ともなればさすがに夏である。年によっては木々の緑がまだ少し浅いということもある程度だった。
すっかり深緑に包まれた今年のキャンプ場へ着いたのは午後2時近かった。テントの数はゴールデンウィークの半分程度だろうか。やっぱり夏休みに入っていない連休の人出はゆるやかである。
子供たちの声がないわけではないが、ときたま見かける子供も就学前の年齢とおぼしき子供たちが圧倒的である。夜も、夜陰に興奮して騒ぐ小学生がいないから夏のキャンプとは思えないほど静かだった。
夏の陽気はめまぐるしく小さな変化を見せた。初日は明らかに湿度が高かった。ときおりだが、強い風が吹き過ぎていく。その風が湿った生暖かい大気を運んでくることがあった。高原にいるというのに肌がベタついた。シャワーを浴びにいくのも面倒なので寝る前に、タオルを濡らして身体を拭いたくらいである。
「梅雨明け十日は天気が安定しないよ」などと軽口を叩いていたのは、てっきりもう梅雨が明けていると早合点していたからだった。直前で見た天気図だと、日本列島付近から梅雨前線はかき消えていたからだ。
■ 雷が暴れないと梅雨は明けなかったんだ
キャンプの期間中は理想的な天候だった。最終日は朝から曇っていて、撤収を終えるころに日差しが戻ってきた。おかげで涼しい中で撤収の作業ができたし、テントやタープも最後にちょっと風に当てれば乾いてくれた。早めに撤収作業をはじめたので夏の日差しに肌を焼かれることもほとんどなかった。
以前だったらこのまま夏休みをとって、あと二泊くらいしていたかもしれないが、今年は休み明けから仕事が待っている。それはともかく、今回はせがれもつきあわせたのでやっぱり二泊三日が限度だった。
撤収を終えて現地を出発したのが10時30分。いつもより2時間ほど早い出発である。三連休とはいえ、初日から一泊したキャンパーの半分近くが二日目で帰っていった。
前の晩遅くに着いて、ランタンやクルマのヘッドライトを頼りに大々的に設営した若い家族も二日目の昼過ぎには撤収していった。そういうキャンプがあってもいいだろうが、さぞやお疲れさまだからさすがに年寄りにはマネできない。
東京へ戻り、ひと息ついてようやく関東甲信越ではまだ梅雨が明けていないと知った。現地ではぼくたちのスマホが圏外であり、下界のどこからかかろうじて漏れてくる電波を拾ってインターネットにつながっている状態だったのでほぼ3日間、情報貧困者に陥っていた。
梅雨明け前にありがちな雷雨の予報を受けて出かけた18日、都心では場所によって大きなヒョウが降ったし、ぼくの会社のある飯田橋でも激しいにわか雨に見舞われた。雨は瞬く間に上がって夏の日差しに変わり、翌19日、関東甲信越の梅雨明けとなった。
そうだった。雷が暴れあとにようやく梅雨が明けるのが関東甲信越の梅雨の姿だった。この梅雨明けの洗礼をキャンプ場で受けずにすんでよかったとしみじみ思う。「梅雨明け十日」よりも、梅雨明けそのものの暴虐ぶりを忘れないことのほうが大切だった。