私家版 野遊び雑記帳

野遊びだけが愉しみで生きている男の野遊び雑記帳。ワンコ連れての野遊びや愛すべき道具たちのことをほそぼそと綴っていこう。

ようやく知った夏キャンプの快感

2006-08-29 22:21:02 | Weblog
 この数年こそ、ときたま真夏にもキャンプに出かけるようになったが、それ以前だと、真夏は野遊びから遠ざかっていた。
 まず、どこへいっても暑い。朝夕は別にして日中は原則として暑い。夏だから当然だけど、涼を求めて野山に繰り出したのに熱中症と隣り合わせじゃ腹が立つ。
 また、夏は暑いだけじゃなく、天候も安定しない。若いころに出かけた日光の山中では、毎日ほぼ決まった時間になるとそれまでのピーカンが嘘のように一転にわかに掻き曇り、雷光が乱舞する激しい夕立に見舞われたものである。いまでもときどき利用する八ヶ岳の北麓にあるキャンプ場の真夏は終日、東の方角から遠雷が聞こえ、夜ともなるとときおり同じ方面の空を雷光が跳梁する。
 
 いまでこそ雷の避難場所として最適なクルマが身近にある野遊びになってしまったから雷雨であわてることもなくなったが、身ひとつで装備を背負ってフィールドに通っていたころには深刻だった。もちろん、いまでも、トレッキングに出かけたりするときには、もし、雷雨に遭遇したらどうするかを想定しておく必要がある。
  
 フィールドは害虫や害獣のテリトリーである。夏は彼らとの遭遇が跳ね上がる。とりわけ獰猛な吸血昆虫たちが跋扈(ばっこ)する季節である。
 吸血昆虫でなくても、とにかく虫が多い。どんな小さな灯であっても虫は確実に集まってくる。キャンプ用のランタンを使えばなおさらだし、ちょっと油断をすると飲み物や食べ物のなかへ飛び込んでくる。

 吸血昆虫以上に性悪な生きものも大挙してフィールドに押し寄せてくる。いわく人間という獰猛きわまりない生きものだ。子供たちは興奮して昼夜を問わず騒ぎ、大人たちも宴会キャンプで傍若無人のていたらく。親も子も締めくくりは花火でさらに興奮し、恬として恥じないのだから夏の日本のいちばんの害獣といえよう。 
 ほかにも夏の野遊びがうんざりする理由はまだまだあるが、愚痴になるからやめておく。
 
 25日から標高1400メートルの群馬県嬬恋村の鹿沢高原へキャンプへいってきた。顔ぶれはこの2年余り毎月キャンプにおつきあいいただいているMご夫妻とわが夫婦の4人。去年の同じころ、このキャンプ場へ案内してくれたのもMさんだった。
 着いた日、設営をはじめると空模様が怪しくなり、超特急でテントとスクリーンタープを張り終えた。Mさんもほぼ同時に設営完了。と、雨……。
 それから3泊は霧のなかで過ごすことになる。霧というより雲のなかだったのかもしれない。木々はしっとりと濡れて雫(しずく)を落とした。あたりにたちこめる水の細かい粒子が、ときおり、雨のように舞ってテントもタープも乾く暇がなかった。
 
 おかげで日中でも気温が20℃を越えない。せいぜい18℃止まりで、夜になるとさらにぐっと冷え込む。常に霧のなかにいながら空気は乾いているからそれほど不快を感じることがない。テントの外側はびしょ濡れでも、テントの内部は意外なほど快適だった。
 下界の様子はわからないが、天気がよくないから動こうという気になれない。今回はひとりでトレッキングをするつもりで仕度をしていったが、装備はクルマに積みっぱなしで帰ってきた。久しぶりなので非常食も本格的なヤツを準備したというのに……。
 それぞれに事情があって、M氏もぼくもたまたま小さいノートパソコンを持ち込んだが、当初の目的を果たすとふたりともそれっきり。やっぱり、フィールドにモバイルオヤジは似合わない。けっきょく、昼寝をしたり、本を読んだり、キャンプ場のまわりを散歩したりと、大半の時間を思いおもいにのんびり過ごすことができた。
 
 ここで思わぬ快感に出逢う。森林浴という快感である。
 今回のキャンプ場は、細い渓を抱いたミズナラの林を中心に、シラカバ、ダケカンバ、アカマツ、などが混生するエリアにあった。その先にはカラマツの森が広がる。若いころからさんざん高原の森や林に通ってきたが、今回ほど森林浴効果を実感した記憶がない。
 森林浴のキモであるフィトンチッドが木々の葉や枝から放出されているのが目に見えるようにわかる。自然の恵みマイナスイオンもしかり。霧に閉じ込められてはじめてわかった森林浴効果だった。 
 このキャンプに出かける直前、左足を傷めてキャンプの実行そのものを危うくした犬も、11歳の高齢にもかかわらず傷めた足がたちまち快癒して、2日目の朝の散歩では走りだそうとするありさま。もう一匹の、6歳の犬を相手に暴れはじめるのを必死に止めなくてはならなかった。
 
 天気予報が前線の通過で雷雨があるかもしれないと告げていたのと、キャンプ中に会社では仕事上の面倒な案件がいくつか発生したというメールが飛び込んできて、4泊の予定を前倒しして3泊で切り上げた。
 撤収が終わると同時に太陽がのぞき、たちまちにして霧を蒸発させてしまった。濡れた高原に夏の活力がみなぎった。悔しいとは思わなかった。霧に閉じ込められたおかげで森林浴の素晴らしい快感と出逢えたのである。
 
 今朝、本来ならまだ1400メートル高地にいたはずなのに、出社と同時にフル回転してきょうという1日が終わった。すでにススキの白い穂が風にそよいでいたあの高原に満ちみちていたフィトンチッドとマイナスイオンを求めて、秋たけなわのころにもう一度出かけてみたいと痛切に思った。
 陽気は安定し、秋の涼味があふれ、吸血昆虫たちも鳴りをひそめ、何よりも、この世でもっとも凶暴な生きものの群れもない。あるのは静けさだけ。そんな高原へ……。

旅は地図とともに

2006-08-24 21:30:25 | Weblog
 明日からの野遊びに備えて、地図を買ってきた。国土地理院が出している二万五千分の一の地形図と登山者用のエリアマップである。
 野遊びに出かけるときは必ず二万五千分の一の地形図を持参する。運がよければ1枚ですむし、運がなければ4枚必要になる。運不運はそのときの遊び場が地図のどのあたりに記載されているかによって変わる。4枚必要になるときやその旅の行動予定によっては五万分の一も持っていく。
 
 地図を広げるのはテントサイトからトレッキングに出かけるとき、あるいは周囲の山々の名前を知りたいときなどである。地図をじっと眺めていると等高線がイメージ化してきて、だんだん地形がせり上がってくる。やがて、目の前にそびえる山の裏側の光景まで想像できる。これも野遊びの楽しみのひとつである。
 むろん、地図の記号だけですべてがわかるわけではない。渓流の規模も地図だけではわかりにくい。イワナやヤマメをあてにしていってみたら枯れ沢だったという経験も一度ならずある。針葉樹林帯でもスギの林とカラマツの林では様相がだいぶちがう。等高線がゆるいから道も歩きやすいかと思ったらガレ場のようなルートで往生したことがある。

 そこで国土地理院の地形図とは別にハイカーや登山者向けに出ているエリアマップも持参する。登山ルートや所要時間、水場、避難小屋、眺望のよしあしなど遊び場周辺の情報が記載されていて重宝する。
 エリアマップにもいちおう等高線は描かれているが、植生の様子をはじめ想像力を刺激してくれる記号などの記載がほとんどない。決して迷うことのない整備された登山道をひたすら山頂を目指す旅ならエリアマップだけで十分だろうが、山麓をぶらぶらしながら自然を楽しむトレッキングとなるとやはり地形図がほしくなる。
 お仕着せの登山道を避け、新たにルートファインディングを試みながらの山麓歩きとなるとやっぱり二万五千分の一が最強である。
 
 若いころは出かける前に地図に4cm間隔の磁北線を記入しながら地図を読んでいる時間がたまらなく楽しかった。磁北線を4cmずつ平行に引くとその間隔は二万五千分の一で1km、五万分の一で2kmということになり、大まかな距離を知ることができる。
 この磁北を割り出すためにもコンパスはシルバ(SILVA)のオリエンテーリング用が便利である。
 
 あらためて説明するまでもないだろうが、コンパスが指している北は真北(北極点方向)ではない。地磁気という磁場の影響でコンパスの指す北の方角にずれが生じる。日本では真北より少し西に傾く。これを計算に入れて方位を見る必要があるわけだ。
 たとえば、いま、手元にある二万五千分の一「嬬恋田代」には磁北が「偏西7°10′」と記載されている。つまり、コンパスが教えてくれる北は真北よりも西に7度10分傾いているということになる。
 
 ものの本には、山歩きの途中、コンパスで方位を確認し、あたりの風景と地図を見比べながら現在位置を確認する方法が解説されていて、それらを読むかぎり、いともたやすいように思いがちだが、実際にやってみるとなかなかどうしてそれほど容易ではない。書いている本人を連れていき、実際にやらせてみたいものである。
  
 最近はデイパックを背にテントサイトからトレッキングにでかけることもめっきりなくなったし、山の中でのキャンプが減ってしまったので地図を携帯してもマップケースに入れっぱなしで一度も出さずに帰ってくることのほうが多い。
 それでも地図とコンパスを持っていくのはいわば習性になっているからだろう。
 
 海外へ出かけるときもその都市(まち)の地図を持っていく。日本で発行された日本語版の地図である。そして、目的地の街へ着いて両替をすませ、ホテルにチェックインすると真っ先に現地版の詳細な地図を買いに出かける。
 観光名所をめぐるだけの旅なら日本語版で十分だが、ヨーロッパなどの街を歩く旅だと日本語版だけだと限界がある。路地などが大幅にカットされているからだ。
 そこで日本語版と現地版の地図を使い分ける。ちょうど、エリアマップと地形図の関係に似ている。
 
 自然にひたる旅であろうと、異邦の街をさすらう旅であっても、その旅が充実していたかどうかは使った地図を見れば一目瞭然である。さまざまな書き込みで地図が汚れている旅ほど思い出も多い。そんな地図はわずか2、3日使っただけなのによれよれになっている。
 またここへ戻ってきたときのために――との思いからの書き込みをするが、次に同じ場所へ行く機会があれば新しい地図も一緒に持っていく。しかし、古い地図を広げるのは稀(まれ)である。二度めだろうが、三度めだろうが、旅はたいてい新しい感動を与えてくれるからだ。
  
 マップケースに入れっぱなしの地図ばかりが増えてしまわないような、そんな野遊びの旅を再開したいと思う。とりあえず、明日の旅から……。

ぼくがトートバッグを買いあさるわけ

2006-08-16 22:07:15 | Weblog
 会社のデスクにトートバッグが1個届いていた。だいぶ前に企画書を持ち込んできた青年がブリーフケース代わりに持参していたのと同じ製品である。「在庫が切れていて、お送りするのが遅れましたことをお詫び申し上げます」と、丁寧な文面の送り状が添えられていた。 
 無心したわけではなく、そのデザインのよさをほめ、昔、L.L.Beanのトートバッグを買うか買うまいかで長い間悩んだ話を手短に語り、いまは選択肢が無数にあり、しかも安価でトートバッグが手に入るいい時代になったと感想を述べたまでである。「小社の製品をお褒めいただき」とあるから、褒め代として気を利かせて送ってきてくれたのだろう。
 
 トートバッグといえばL.L.Beanの製品しかなかった時代があった。かれこれ30年近く前、L.L.Beanというブランド自体、はじめて知ったころである。L.L.Beanの目玉商品は「メインハンティング・シューズ」だった。値段はたしか12000円くらい。銀座・数寄屋橋のソニープラザで手に入れた。
 このとき、もうひとつほしかったのが赤い手提げのついたトートバッグだった。値段は6000円余りだったと思う。迷いに、迷って、けっきょく、買うのを断念した。シューズのほうは実用品だから高価でも惜しくはないが、6000円もするトートバッグはゼイタク品でしかない。
 「でも、いいな。ほしいな」と懸想しつづけた。
 
 ある夏、当時のぼくらの野遊びのホームグランドだった本栖湖へ仲間のひとりが使い込んだL.L.Beanのトートバッグを持ち込んできた。「クルマで動くようになってから、ザックのなかの小物類をこのトートバッグに放り込んでくる」のだと彼はさりげなく説明した。
 「ちょうどいい大きさなんだよね。クルマのトランクにも収まりがいいしさ」
 それを聞いて、ますますほしくなった。しかし、ためらいつづけた。

 すでにICI石井スポーツで買った似て非なる安物のトートバッグを使ってがまんしていた。色も形も大きさも一見したところL.L.Beanに見えるけど、生地がまるでちがう。L.L.Beanは空のままでも型崩れなんかしないで自立しているほどしっかりしたキャンバス生地。じっさいに試したことはないが、水を入れて運べるというほど目が詰まった生地である。安物のほうは簡単にたたむことができた。

 けっきょく、ぼくがL.L.Beanのトートバッグを手に入れたのはそれから10年ばかりあとになってからだった。おりしもキャンプブームで、コールマン製品をはじめ、ありとあらゆるキャンプ道具が大量に、しかもリーズナブルな価格であふれはじめていた。
 あるショップのバーゲンの目玉商品でL.L.Beanのトートバッグが出てきた。定番の大きいほうのが3000円あまり、ミディアムの小さいほうは2000円台で買った記憶がある。バーゲンとはいえ、はじめて出逢ったときのおよそ半額になっていた。
 
 それからおよそ20年、いま、手元にあるトートバッグは、L.L.Beanが5個(大2小3)、Colemanの大きなヤツが2個、ほかにモンベル、REI、FoxFireなどおよそ目につくアウトドア有名ブランドのトートバッグが20個以上あって野遊び用の小物の整理に役立っている。
 つい最近もFilsonを買う寸前までいったがかろうじて思いとどまった。女房がいなかったら確実にコレクションがふえていただろう。
 
 袋物フェチ――女房はぼくのことをそう呼んであきれている。
 長い間、あまりにL.L.Beanに懸想しつづけたためにそんな人間になってしまたのだろう。会社へ送られてきたトートバッグにしても、もしかすると、彼の持っているバッグを見るぼくの目が尋常でない光を宿していたので恐れをなして新しいのを送ってきてくれたのかもしれない。
 そのうち、お礼にどこかでおごってやらねば……。高くついたトートバッグである。

そういえば、ドキドキしたっけ……

2006-08-14 15:53:13 | Weblog
 この間から、通勤電車のなかで気になる広告を見つけていた。
 ヘッドコピーにしびれた。
 
   蚊帳を張ると
   ドキドキした。
   あれは、家の中の
   キャンプだった。
   
 蚊帳など知らない若い人たちにはわからないドキドキだろう。この広告を見たとたん、思わずうなずいてしまい、ニッコリ微笑んでいるのはある年齢以上にかぎられる。広告主は高齢者施設であり、そういう意味でも、「うまいなぁ」と感心した。

 夏の夜、蚊帳のなかで過ごす時間が好きだった。まさに家のなかのキャンプだった。キャンプを経験していなくても想像力のある子供ならだれもがドキドキしたに違いない。あれは家のなかの隠れ家であり、テントだった。

 蚊帳に入り、眠りに落ちるまでの時間、あれこれ想像してはドキドキしたものだった。とりわけ台風が近づいた夜など、外にテントを張り、そのなかで過ごしている情景を思い浮かべながらドキドキしていた。
 「そうだ、周囲に溝を掘らないと」とか、「風に飛ばされないようにロープをしっかり固定しておこう」と、父から教わったキャンプの基本を思い出し、イメージすると血が騒いだものだった。
 
 いまでもテントをキッチリ張り終えて、その夜の寝床を作るとき、とても幸せな気分になる。ここは森のなかの隠れ家である。だから、ぼくはどんなときでもペグダウンをしっかりすませ、張り綱でしっかり固定する。
 もし、激しい風雨に見舞われてテントがつぶされたり、裂けたり、吹き飛ばされたら、それはテントの能力の限界を越える悪天候だったのであって、自分の設営が甘かったからではないと納得できるように。 
 
 むろん、実際に大雨や大風に襲われたら、それなりの対処はする。そのために予備の張り綱やペグ、ショックコードなどをクルマに常時積み込んでいる。とくに大型のテントでは必需品である。
 
 台風が進路を変えたために群馬の山中から逃げ帰ってきたときも、テントは強風によく耐えていた。それでも逃げたのは、雨で林道が崩壊し、下界への道をふさがれるのを怖れたからだった。
 
 子供のころ、蚊帳のなかであれこれ想像した嵐の夜を、実際のフィールドで何度か経験した。かつての想像をはるかに越える刺激的な時間をドキドキしながら耐える快感もまたテントの醍醐味である。

思い切って荷物を減らす

2006-08-12 12:07:51 | Weblog
 ザックを背負ってキャンプへ出かけていた時代は、いかにして荷を軽くするかに腐心していた。歯ブラシの柄までギリギリの長さに切っているというアメリカのバックパッカーの気持ちがわかるような気がしたものである。

 たかが歯ブラシの柄だが、とことん無駄を省くという覚悟のあらわれだろうか。ほかにも、1本の歯ブラシを共用しているという夫婦のバックパッカーが雑誌に紹介されていたこともあった。
 あの国の人たちはなにかをやるとき行動が、ときとして、偏執的になるきらいがある。多民族国家ゆえ、意思の疎通をはかるためには端的という以上に尖鋭的なイグザンプル(実例、みせしめ)が必要になるのだろう。
 ザックを背負ってウィルダネス(原野)へ→荷物を極限までタイトにしなくちゃならない→歯ブラシの柄まで切る――たしかにわかりやすい。かつては、ぼくもそういうアメリカを無批判で真似していた。

 クルマでキャンプへ出かけるのが当たり前になってからというもの、荷物は急速に膨張をつづけた。クルマが大きくなり、キャパシティがふえると、それだけ荷物も大型化していった。
 装備がふえ、豪華になると設営は楽しい。目的地に着いてテンションは上がりっぱなしだから設営作業だってまるで苦にならない。
 ところが、撤収のときにうんざりする。雨が降ったりしたらなおさらだ。次回からは荷物を減らそうと誓い、これはいらない、こいつも次には持たずにこようと検討しながら荷をたたんでいく。 
 でも、性懲りもなく、次のキャンプにも山のような荷物をかかえていく。撤収の面倒よりも使っているときの快適さのほうが記憶に鮮明だからだ。文字どおりの「喉元過ぎれば熱さを忘れる」というわけである。
 
 最近、こんなことじゃいかんと一大決心をして、装備減らしに手をつけた。
 7月のキャンプでは、まず、コールマンのツーバーナーを持たずに出かけた。いちおう、ホワイトガソリンを燃料とするピークワンストーブは持っていくが、真冬のキャンプ以外なら家庭用のカセットコンロのほうがはるかに役に立つこともわかっている。いまや、カセットコンロがメインのストーブでピークワンがサブにまわってしまった。
 
 7月でまだ吸血昆虫たちもあまり跋扈していないだろうとの判断からスクリーンタープも省いた。いつも一緒に出かける相棒のほうのスクリーンタープを共同装備で使わせてもらっているのでたしかに無駄ではあったのだが……。 
 ただ、梅雨が上がっていなかったので用心のためにヘキサゴンのタープを持参した。予想以上の雨に見舞われたので、これは大いに役立ってくれた。
 
 8月第一週のキャンプは1泊で勝手知ったるキャンプ場だったが、夏休みで混雑しているだろうからどんなサイトが割り当てられるかわからない。雨の心配はほとんどなかったものの、日陰サイトじゃないかもしれないのでやはりヘキサゴンのタープを持っていった。さいわい日陰のサイトが空いていたのでタープは張らずにすませることができた。
 ただ、外に出しっぱなしの荷物が夜露に濡れるのを防ぐために、寝るときはいつも持参しているグランドシート(写真)をかぶせておいた。
 
 このシートはとても役に立つ。適度にハトメがあるのでコード(細引き)を使い、木々の枝や幹を利用して予備のタープとして利用することもできる。知恵と技術があれば、何枚かを組み合わせてシェルターを作ることだって容易である。
 グループキャンプのときは、同じ5枚のシートが持ち寄ったテーブルのテーブルクロスに化けたこともあった。
 
 ランタンはいつも2個持参する。夏は1個を蛾のオトリに使うが今回は混みあっているだろうからオトリ用は省いた。
 ハイシーズンのキャンプ場は昼間のように明るい。みんなが競うようにして高性能のランタンを点けてくれるからだ。なまじ、オトリ用なんかを使うよりまわりにおまかせしておいたほうが蛾はそちらへいってくれる。

 ほかにもテーブルは1卓だけにしたし、細かいものもいくつか減らしたからクルマの荷台はかなりスカスカになった……はずだった。でも、コールマンのGIコットを2脚積んでしまったのでスッキリしたとはいえない。
 わが家のキャンプには二匹のワンコが同伴してテントのなかで一緒に寝る。4人用のテントとはいえ、大人ふたりにワンコ2頭となるとそれほど広くはない。犬は夜中に寝る場所を移動する習性がある。コットを使うとワンコたちはその下をくぐって移動できる。荷物もコットの下にまとめることができるから整理しやすくなる。

 夏場はただでさえ湿気に悩まされることが多い。コットの下を空気が循環すれば寝袋もあまり湿らずにすむ。
 コットの利点はほかにもあるので、かさばりはするものの、やっぱりなかなか削る決心がつかない。
 かくして、「荷物を減らす」という悲願は中途半端なまま推移していくことになる。

恥ずかしげもなくブランド志向

2006-08-07 22:25:05 | Weblog
 まだ、キャンドルランタンがアウトドアでの夜の定番だった時代、ザックのなかには家に常備してある懐中電灯を忍ばせていった。単一乾電池2本を使う筒型のヤツでけっこう重かった。単三乾電池2本を使うペンライトという軽いフラッシュライトも使ったことがあったが、メリットは軽いというだけで、光量はないし、なによりもすぐに壊れた。
 やがて、アメリカからマロリーのフラッシュライトが伝わり、まもなくミニマグライトが紹介されるとぼくのアウトドアはすっかり快適になった。かくして、20余年、野遊びの現場ではマグライトを信頼し、マグライトも信頼を裏切らずにきてくれた。
 マグライトのほかに野遊びの状況に応じてプリンストンテックのヘッドランプも使うし、フレックスライト(Flex-Lite)も愛用してきた。
 
 ところが、ふと気づいたら、ポケットに入れておくハンディライト、行動用あるいは作業用のヘッドランプ、テント内用のランタン型ランプ(写真)、クルマに常備している発電ライト――これらアウトドアでのフラッシュライト類の大半がLED(発光ダイオード)の製品に変わっていた。
 いつごろからアウトドア用品にLEDが入ってきたのかは知らないが、2年前、コールマンランタンの達人とキャンプをご一緒したときにはじめて実物をみせてもらい、そんな製品があるのを教わった。そのとき、LEDがどれだけすぐれているか、いかにアウトドアに向いているかをわかりやすく解説してもらって納得し、キャンプの帰り道にいきつけのアウトドア用品店へ寄って達人氏と同じ「PETZLジプカプラス」を手に入れた。
 
 使ってみてびっくりした。かつて、マグライトを手にしたときもその明るさと、手のひらにつたわる信頼感に驚愕したが、白色発光ダイオードを使ったランプはそれ以上のカルチャーショックだった。
 明るさもさることながら、振動に強く、寿命が長くて故障の確率も低いというのがアウトドアではなによりもうれしい。電池の寿命も長いそうだが、まだ実感できるほどに使い込んでいない。

 2年前、「PETZLジプカプラス」は5000円ほどの値段だった。
 高いけどそれに見合うだけの商品――達人の言葉に嘘はなかった。使うほどに5000円が安く思えた。しかし、「PETZLジプカプラス」を手に入れて半年ばかり経ったころ、ディスカウントショップで似たようなLEDのヘッドランプが1000円を割る値段で売られているのを見つけた。さっそく買ってきて使ってみると通常の使用にはなんの問題もない。
 ほかにマグライトのようなLEDの安いライトを見つけるのにさほど時間はかからなかった。手ごろなヤツをふたつばかり買ってきて、実際のキャンプで使いはじめた。いくら安物だからといっても新品だからそう簡単に不具合が生じるはずもない。
 そうこうしているうちに、この春、ある大型アウトドア用品店の新規支店のオープンでこの写真のようなランタン型のランプを特売品のなかに見つけた。
  
 フラッシュライト系の世界では、いまやLEDが主流になりつつあるように思えてならない。こうなったらマグライトもLED仕様が出てもおかしくないはず。さっそく調べてみたら、残念ながらLEDのマグライトはない。改造用のキットはあったが、むろん、純正品ではないという。
 いま、ぼくが持っているLEDのライトは、「PETZLジプカプラス」をのぞいて信頼できるメーカーのものではない。特に2個のハンディライトは見かけこそウォータープルーフ(防水)になっているものの、その性能はどれほどのものか未知数である。
 マグライトにまつわる伝説(6年間、コンクリートに埋められて石のような姿になっていたのに、スイッチを入れると当たり前のように点灯したという)のように、LEDの新たな“伝説”を作ることができるくらいタフネスだろうか。雨はいうにおよばず、雪、泥濘、砂塵などにまみれたハードな環境でも弱音を吐かずに耐えることができるというマグライトに肩を並べることができるだけの品質なのか。

 むろん、ぼくのアウトドア、野遊びはマグライトの性能を十二分に発揮させるほど過酷な環境にはならない。それでも、無名のLEDのフラッシュライトが、風雨のなかで雨水がしみこんだり、水溜りに落としたくらいで壊れたり、防水機能がすぐ役立たずになったりしないかと気になるのである。つまり、マグライトのように消耗品のバルブ(電球)は別にして、10年、20年にわたっての耐久性があるかどうかが問題なのである。 
 
 ぼくはアウトドア以外ではまったくブランド志向ではないが、アウトドアではかなりブランド志向の強い人間の部類に属するはずである。特に若いころ、安物を買って何度か失敗している。まがい物をつかまされてひどいめにあっている連中も何度となく見てきた。パクリ商品ではないけれど、見かけ倒しの製品にもずいぶんだまされた。
 安物買いの銭失い――この俚諺はいまやぼくの血となり肉となっている。
 
 アウトドアでブランド志向にならざらるをえないのには、もうひとつ理由がある。
 どんな道具であれ、その道具がアウトドアで役に立たなくなると、ときには、せっかくの予定を変更し、離脱を余儀なくされる場合がある。極端な言い方をすれば命にかかわることだってあるだろう。
 昔のことだが、当時、ぼくも使っていた山岳テントのグラスファイバーのポールがときどき折れることがあると知った。折ろうとしても容易に折れる代物ではない。それが、設営中に簡単に折れてしまう。長期縦走の途中で下山を強いられたくらいならいいが、(ぼくは関係ないけど)冬山での吹雪のなかだったらどうなってしまうのか……。
 このメーカーの商品は遠征隊も使っていたほどだから当然いい加減な製品ではない。むしろ、当時としてはもっとも信頼できる高級テントだった。そんなブランド品でもこういうことが起こる。ましてや、ノーブランドのギアとなると、代替品がすぐに調達できる日常生活と異なるアウトドアでのシーンではかなり厄介である。だから、ぼくはブランド志向になってしまった。
 
 そういうわけで、同じLEDのライトでも、「PETZLジプカプラス」以外はまったく信用してない。当面、これまで愛用してきたライト類との併用になって、結局、荷物を増やしただけのことらしい。