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お笑い芸人『キングコング』の梶原の母親も生活保護を受給していた 不動産所有でも受給できた理由とは?
母親の生活保護を受けてたとして連日話題になっている吉本興業の芸人、河本準一だがこれに続き、自らの母親が生活保護を受けていたことを明かす芸人が現れた。それは人気お笑いコンビ『キングコング』の梶原雄太。梶原雄太の母親は昨年3月から生活保護受給がはじまった。
受給理由は祖母の介護をしながら弁当屋でパートをしていたが、そのお店が倒産し収入が無くなってしまったという。さらに足を骨折していまい年齢的にも働き口が見つからず生活に困っていたという。
福祉事務所に相談に行くと「祖母ではなく、あなたが生活保護の受給者になった方がいい」とアドバイスを貰い、生活保護の受給が開始したという。
連日の河本準一の報道があって、梶原雄太自身は後ろめたい気持ちから全てを話してしまったのだろう。しかしネットでは次の様な意見が書き込まれている。
・おそらく梶原の母ちゃんの生保は問題無いんじゃないか?
・祖母の介護してるんか母親 ならしょうがない
・これ見ると、そこまで悪くないな
と、擁護する意見も多少出ている。しかし母親は過去にマンションを息子の梶原雄太から購入して貰い、そのローンが月40万円続いているという。もちろん支払っているのは息子の梶原雄太。生活保護は不動産を持っている場合はそれらを売却し、生活費に充てるように促される。今回のケースは母親の名義ではなく息子の梶原雄太の名義だったために、生活保護が受給できたのかもしれないが、500万円以上の不動産を所有している場合は通常、受給できない。
批判する意見もちろん分かれているが、梶原雄太の母親は仕事先の倒産、骨折、祖母の介護とかなり苦労した面も見られる。
これを気に生活保護を受けて居たことを自白する芸能人が今後も出てきそうだ。
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なんか、ぼくからすると「日本の生活保護」という制度は
「なぁんかヘン」「なぁんか、中途半端」な制度に思えてしまうのである。
一応「人間の生存権を保障してくれる制度」という建前にはなっているんだけども、
どこまでの生活レベルを「生存権」として認めるのか、
現場現場の役所の受付窓口の職員の裁量に寄ってたり、
そのときそのときの厚生行政当局の方針で
ゆるめられたり引き締められたりであったりすることの可能な制度のように思える。
また日本国民の考える「生活保護需給者の生存権」としての
生活レベルの見積もり方の基準は相当低いのじゃないかなぁと思えるのである。
「人間らしい生活を営む権利」の「人間らしい生活」をどの程度として見積もるのか。
たとえば、車は持っちゃいかんらしいが、地方で暮らすなら車は贅沢品ではなく
生活必需品に近いと思うし、
どんなに古くてボロボロの家であっても持ち家=財産を所有しているということであれば
需給を受けられなかったり、
昔はエアコンを持つことが贅沢品であるということで認められなかったり、
「自分の葬式費用のために」保護費から貯金してたら
職員に没収されたりした件で裁判になったりしたとか…。
また、この制度は就業までの一時凌ぎ的制度であったはずのものが
最近は高齢者や重い病気の人など新たに職につける見込みの薄い人々の
増加に適用せざるをえない状況になってきていて、
制度のすっきりとした運用がなかなか難しくなってきてもいるのではないだろうか。
あと「生活困窮者への親族の扶養義務」という考え方もどうなんだろう?とか。
皆それぞれ自分の世帯の家計運営のためにカツカツの思いをしているのに、
「あなたは扶養義務者なのだから生活困窮者の親族のめんどうを是非とも見て下さい」
とか役所から言われたとしてもそれを受け入れる人がどれくらいいるものだろうか。
「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を保障するためには
裁量行政に頼らないすっきりとした形の制度改革が求められるような気がするのだけど…。
お笑い芸人『キングコング』の梶原の母親も生活保護を受給していた 不動産所有でも受給できた理由とは?
母親の生活保護を受けてたとして連日話題になっている吉本興業の芸人、河本準一だがこれに続き、自らの母親が生活保護を受けていたことを明かす芸人が現れた。それは人気お笑いコンビ『キングコング』の梶原雄太。梶原雄太の母親は昨年3月から生活保護受給がはじまった。
受給理由は祖母の介護をしながら弁当屋でパートをしていたが、そのお店が倒産し収入が無くなってしまったという。さらに足を骨折していまい年齢的にも働き口が見つからず生活に困っていたという。
福祉事務所に相談に行くと「祖母ではなく、あなたが生活保護の受給者になった方がいい」とアドバイスを貰い、生活保護の受給が開始したという。
連日の河本準一の報道があって、梶原雄太自身は後ろめたい気持ちから全てを話してしまったのだろう。しかしネットでは次の様な意見が書き込まれている。
・おそらく梶原の母ちゃんの生保は問題無いんじゃないか?
・祖母の介護してるんか母親 ならしょうがない
・これ見ると、そこまで悪くないな
と、擁護する意見も多少出ている。しかし母親は過去にマンションを息子の梶原雄太から購入して貰い、そのローンが月40万円続いているという。もちろん支払っているのは息子の梶原雄太。生活保護は不動産を持っている場合はそれらを売却し、生活費に充てるように促される。今回のケースは母親の名義ではなく息子の梶原雄太の名義だったために、生活保護が受給できたのかもしれないが、500万円以上の不動産を所有している場合は通常、受給できない。
批判する意見もちろん分かれているが、梶原雄太の母親は仕事先の倒産、骨折、祖母の介護とかなり苦労した面も見られる。
これを気に生活保護を受けて居たことを自白する芸能人が今後も出てきそうだ。
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なんか、ぼくからすると「日本の生活保護」という制度は
「なぁんかヘン」「なぁんか、中途半端」な制度に思えてしまうのである。
一応「人間の生存権を保障してくれる制度」という建前にはなっているんだけども、
どこまでの生活レベルを「生存権」として認めるのか、
現場現場の役所の受付窓口の職員の裁量に寄ってたり、
そのときそのときの厚生行政当局の方針で
ゆるめられたり引き締められたりであったりすることの可能な制度のように思える。
また日本国民の考える「生活保護需給者の生存権」としての
生活レベルの見積もり方の基準は相当低いのじゃないかなぁと思えるのである。
「人間らしい生活を営む権利」の「人間らしい生活」をどの程度として見積もるのか。
たとえば、車は持っちゃいかんらしいが、地方で暮らすなら車は贅沢品ではなく
生活必需品に近いと思うし、
どんなに古くてボロボロの家であっても持ち家=財産を所有しているということであれば
需給を受けられなかったり、
昔はエアコンを持つことが贅沢品であるということで認められなかったり、
「自分の葬式費用のために」保護費から貯金してたら
職員に没収されたりした件で裁判になったりしたとか…。
また、この制度は就業までの一時凌ぎ的制度であったはずのものが
最近は高齢者や重い病気の人など新たに職につける見込みの薄い人々の
増加に適用せざるをえない状況になってきていて、
制度のすっきりとした運用がなかなか難しくなってきてもいるのではないだろうか。
あと「生活困窮者への親族の扶養義務」という考え方もどうなんだろう?とか。
皆それぞれ自分の世帯の家計運営のためにカツカツの思いをしているのに、
「あなたは扶養義務者なのだから生活困窮者の親族のめんどうを是非とも見て下さい」
とか役所から言われたとしてもそれを受け入れる人がどれくらいいるものだろうか。
「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を保障するためには
裁量行政に頼らないすっきりとした形の制度改革が求められるような気がするのだけど…。