mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

「お伊勢さんの不思議」Seminar報告 (3)天皇制と私

2017-03-30 10:30:06 | 日記
 
 なんだか江藤淳の本のようなタイトルになったが、伊勢神宮が天皇家の祖神の宿る処であることと私が「お伊勢参り」をすることとの「かんけい」を考えておきたいと思う。
 
 私が高校生の頃、図書館で一人の同期生と天皇制について言葉を交わしたことがあった。その人から「天皇さんは家庭の父親みたいなものよ」といわれ、「どうして?」と私が問うたことからはじまった。彼女が言った趣旨は、簡単にまとめるとこういうものであった。私たちの祖先を辿るとイザナギ・イザナミノミコトにいきつく。その血脈を「万世一系」に受け継いできているのが天皇だから、いわば私たちの御先祖の純粋なかたち、尊敬せざるべからず、と。それは古事記、日本書紀にも記されている、とも。
 
 当時すでに私たち高校生は日本史で隼人や蝦夷のことを教わっていたし、古事記や日本書紀が「神話」であると位置づけていた。また、日本人の源流が大雑把に言っても、南から海流に乗ってきた隼人系の人たち、朝鮮半島から来た人たち、北からやってきたアイヌ・蝦夷系の人たちなど、三潮流があり、それも一度にではなく、ばらばらに何波にもわたってやってきている。後に天皇部族が平定統一したにすぎない、と教わっていた。それらをあげて尋ねると彼女は言葉に詰まり、「ともかく今は、天皇さんのくにです」といったことで、「天皇のためにとたくさんの人が死んでいった先の戦争をどう考えるのか」と論点が移り、「天皇の戦争責任」云々で話しが終わったことを覚えている。
 
 いま振り返ると、「神話」の中には経てきた歴史的な出来事がかたちを変えて組み込まれているから、高校時代に考えているほど単純に白黒つけて世界を見るわけにはいかないとわかるが、「神国日本」はほぼ完璧に否定されていたから、「天皇さんのくに神話」を固持する「生長の家」に属する彼女の分が悪かったのは当然と言えば当然であった。「敗戦」は、国家と社会を切断した。私たちの心裡でいえば、「くに」と「国家」とが切断された。「ふるさと」と「日本国」とも分けて考えるようになった。「愛郷心」と「愛国心」も別物と考えた。それらを一緒くたにして天皇制に収斂させて一億一心ということに辟易していたのである。歴史的な継続は、「断裂」していた。
 
 以前にも書いたが、1942年、戦中生まれの私たちは、戦禍をくぐって戦後に育った。日本国憲法の「基本的人権・平和主義・民主主義」の精神も、GHQに押し付けられた教育というよりも、戦争を遂行した世代の反省に立った教育と受け止めて、吸収した。そのようにして、先行世代と私たち後続世代の「かんけい」を紡いだともいえる。つまり占領軍による占領支配という(主体的な歴史性の)「断裂」を、(大人世代の反省に立って継続されている)「新生日本」と考えることによって「つないだ」のであった。この「つなぎ」の部分で、捨象されたもののひとつが「天皇制」であった。簡略に言えば、天皇が戦争責任を取らなかったことが、その後の私たち世代の「天皇制」に対する考究の「あいまいさ」を残してしまったと私は考える。だがそれも、昭和天皇がなくなってしまってからは、薄らいでいった。
 
 ただ「考究のあいまいさ」の時期にも、いくつかの心裡の進展はあった。そのひとつが、明治期に「天皇制神話」が改編・創設されたと知ったことであった。明治の国家体制づくりを急いだ維新政府は、西欧の近代化の推進力の根柢にキリスト教の強固な信仰が底流していることを見て取った。そして、キリスト教に代わって「神道」を日本の国家統合の基本に据えようと考えたのである。廃仏毀釈が起こる(1870年)。天皇は「現人神」とされた。それが私たちの識る「天皇制」である。これは、薩長主導の政府からすると、自らの権力の正当性の背景に天皇という権威を必要としたからであった。それを西欧の(精神的支柱の)キリスト教と重ね合わせた。それは、のちの明治憲法と照らすと明白になるが、二重構造になっていた。西欧の民主主義制度を導入する(権力機関という)視点からすると、立憲君主制である。のちに美濃部達吉が唱えたとされる「天皇機関説」は、これを意味している。だが他方で、キリスト教的な「信仰」――つまり国民の心情的共有性(権威の体制)――としては「現人神天皇」であった。天皇を主権者とする明治憲法が権力機関の暴走をチェックするシステムを有していなかったことは、後に軍部の独走を許容することになってあからさまになったが、そういう意味では立憲君主制も西欧の物真似であって自ら築き上げた「立憲制」ではなかったといえる。
 
 ともあれ、明治維新以前にも存していた「権威の象徴としての天皇制」は、明治政府によって見事に政治的に利用され敗戦にまでいたった。つまり明治維新の時点において「天皇制」としては「断裂」があったのである。これを第24回Seminarの講師・M.ハマダくんは、「天皇はんをお返しなはれ」と京都の人が謂う根拠としたのであった。
 
 「お伊勢さんの不思議」の講師・Oさんの語る「お伊勢さん」は、あきらかに明治以前の天皇の祖神である。私たちはいまそこに戻って、あらためて「神々」と言葉を交わす機会を得ている。二度の「断裂」の意味を探るためにも、私たちの身の奥に底流している(と言える)天皇部族の原像に触れてみたいと思う。
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