mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

病膏肓に入る

2018-02-11 15:19:40 | 日記
 
 気管支炎の薬は間違いなく効いている。だが、少し静かに養生していないと、途端に夜寝入ってから、咳き込みが激しくなる。水曜日に薬を処方してもらった。たいぶ楽になった。そう思って、金曜日の夕方、ご近所の公民館でやっているストレッチ体操に足を運んだ。1時間半、ストレッチとリンパの流れをよくする体操をやっている。負担にならない程度に手を抜きながら、身体を動かす。気持ちがいい。そうして帰ってきて夕食をとり、10時ころ床に就いた。

 ところがしばらくすると咳が出る。夢うつつだから寝入っているはず。なのに、自分の咳き込みで目が覚める。電車の通る音がするから、一番電車が来たんだなと思って時計をみたら、午前一時ころ。終電の時刻だ。夕方体を動かしたのが、影響したとしか考えられない。こうしてまた、少し振り出し近くに戻る不安を抱えて昨日を迎えた。

 案に相違して、しずかに一晩を過ごすことができた。薬は五日分。つまり、今日の夜で服用は終わる。はたしてこれで、完治するか。
 
 じつは今、手掛けている「原稿」がある。どうするか考えるともなく、これまで書き散らしてきたエッセイの内の関連項目を拾って、一冊に仕上げようという代物。タイトルは『Rと孫たちと爺婆の二十年』という限定四冊の私家版の本だ。Rには固有名詞が入る。その「はじめに」は次のように始まる。

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 R君が二十歳になる。ということは、私たち婆と爺も二十年を迎です。S君、H君、S子さん、Yさんと、五人の孫に恵まれて、すっかり人類史的お努めを終えた気分でいます。

 住まうところは離れていますが、そのときどきに応じて行き来し、顔を合わせ、一緒に遊び、言葉を交わす。そのときに感ずる孫たちの生長の速さと様子の変化の大きなことには、いつも驚かされてきました。

 そしてどの孫も、おおむね小学校を卒業するあたりから、爺婆とは距離をとり、子どもたち同士の世界や近隣の地域や大人の社会の仕組みの中に心を傾けていきます。その自然の成り行きが微笑ましくも、頼もしい。そう体感してきた二十年でした。幸せな爺婆だったと思う。いうまでもなく、孫の親たちが元気で、事故にも遭わず、しっかりと暮らしを築いてきたからです。同様に、孫たちが順調に成長してきたからでもあります。
 
 孫を相手にする爺婆の暮らしは、じつは、爺婆からすると、兄弟姉妹のいた自分の子ども時代を想い起して振り返ることでもありました。また、わが子育ての面白さや至らなさに、目が届いていなかったと教えられることでもありました。さらにまたそれは、自分の子どものこと、子育てのこと、あるいは人が生長するということや人間をどう見ているか、人生の意味を問い返すことでもあり、ときには世界観を問い直したくなるようなことにもつながっていました。学校の教師をしていたということもあって、わが仕事の上での生徒との関係を振り返ることにもつながっていたことは、言うまでもありません。

 同居しているわけではありませんが孫がいると、世の中のものごとを観る目が爺婆目線になります。Rを連れて行ったら恐がるだろうか。でもそのあとできっと喜ぶだろうなあと思ったりしながら、山や街を歩いたことがあります。R君が中学生になり、爺婆と遊ばなくなってからはS君がやってくるようになりました。そのとき、S君の立ち居振る舞いの中に、R君がいることを感じたことは、一度や二度ではありません。兄弟姉妹は、お互いの存在によって自らの立ち居振る舞いを真似たり、反発したりして、自己形成します。もちろん親の存在が土台に入っていることも忘れてはなりませんが、いまここに不在だからと言って、存在しないわけではない。ときには意識しないうちに、その存在が影響を与え、言葉や振る舞いを決めていることもあります。つまり、爺婆にとっても、Rが生まれ自分たちが爺婆になること、孫たちが増え、孫たちの爺婆になることが、爺婆の世界を見る目を変えてきたのだ。そうしていま、そのように変わって来たことを言祝ぎたいと思っています。
 
 娘の嫁ぎ先の姑さんが鷹揚に娘夫婦をみてくださったから、実家に帰りもしないで、第一子・Rを出産することができた。「さいたまばあちゃん」と呼ばれてきたこちらの婆は、R誕生のころから、折を見ては西宮に手伝いに行ったり、お祝い事の旅によばれては爺も足を運びました。爺さんになったということがどういうことか実感が湧かなかった爺にも、こうした「孫」との付き合いが積み重なって、諄々と「孫」が染み込んできました。そうして、つれずれに書き留めていることにも、あきらかに「孫」を介在させている影響が滲み出てくるようになったというわけです。
 
 ここにまとめたエッセイは、爺が仕事をやめてから暇に任せて書き綴ってきたもの一部です。「孫」に触発されて変わってきた自分自身の自画像を描き出すようなつもりで、振り返ってみました。これが、R君への二十歳のお祝いであり、彼とともに「孫」となっている人たちへの感謝であり、幸運にもこのような「孫たち」を育ててくれたご両親と関わってきた方たちへの御礼であり、それともに爺婆として過ごしてきた二十年をお祝いする自画自賛のお話しです。さいたま婆ちゃんやさいたま爺ちゃんは、こんなことを考えながら「孫」とつきあって来たのかと、ご笑覧いただければ幸いです。

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 いやまさに自画自賛の物語を紡いでいるところです。締め切りは、あとひと月ちょっと。完成は、さらにそこからひと月ほど。すでに四百字詰め原稿用紙にして450枚くらいになっていますから、削りに削り、少しばかり付け加えようと、パソコンにむかっています。

 こういうことに集中している間は、不思議に咳が出てきません。病膏肓に入っているからだと、思っています。だから、昼間はしずかにしていられるのですね。

 ブログを書くのが間遠になるのは、そういう事情があります。ご容赦ください。