mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

希望は自然に任せる白馬岳とは? (2)他人事ですが……

2017-09-05 09:25:22 | 日記
 
 昨日お昼を食べるときにTVをつけたら、日野皓正がジャズイベントで中学生の髪をつかみビンタをくれた「もんだい」を取り上げていた。たぶん観客の撮ったであろう映像を見せる。全体を収めているから一人一人の人物は小さく、表情や細かい動きはわからない。舞台いっぱいに、7,80人の中学生がそれぞれの楽器を持って座って広がるステージの左上隅の方でドラムスを叩いている一人の中学生がいる。舞台前方からそこへ足を運んだ日野が後からスティックを取り上げて、放り捨てて元の位置に戻ろうとするが、当の中学生は手でドラムスを叩きつづけて、やめようとしない。日野は、今度は他の中学生のあいだを縫って前から当の中学生に近づき、はじめ髪をもって揺さぶり、ついで手でビンタをくれた。ほかの舞台上の中学生は日野の動きを注視しているようであった。このイベントがどういう趣旨で、どう準備されて行われたか(たぶん事前に説明はあったのであろうが)、そこは聴き落としている。コメンテーターのやりとりを聞いて、少しずつ補った。
 
 「どうですか?」と司会の坂上忍がひな壇の人たちに聞く。ビンタをくれるのがいいとは言わないが、日野皓正の対応が一概に悪いとは思わないと二人ほどのコメンテーターが、それぞれのいい方で発言する。どうも、一人ひとりの出演者にソロ演奏の時間が割り当てられているのに、当の中学生は自分の演奏をやめないでいつまでも叩き続け、日野がそれをとめようとして、起こった事態らしい。当の中学生の振る舞いはほかの演奏者に迷惑じゃないかというのが、共通する認識。一人のコメンテーターは、「発達障害ということもあるのだから、事前にわからなかったのか」と疑問を提示している。このイベント、世界的ジャズメン・日野皓正の指導を受ける2か月ほどの「学校」の成果を発表する(世田谷区教育委員会の)催しであったらしいと分かる。日野皓正を「校長だったのだから」と司会者も言っていた。
 
 「体罰はいいんですか?」と坂上忍がひな壇に投げる。ともかく体罰はいけないという論調が坂上忍のものなのか、TV局のPCからする制約なのかわからないが、要点を整理すると「校長」として指導力がないと言いたかったようだ。
 
(1)お客の前であんなことをしてもいいのか。
(2)このイベントに先駆ける2か月ほどの間に「指導」できなかったのか。
(3)暴走を止めるにしても、体罰以外の方法はとれなかったのか。
 
 TVの論議はしかし、事後の日野皓正へのインタヴューを挟んで拡散してしまった。日野は悪びれる様子もない。メディアの取材陣に対して「お前ら、バカだよ。お前らが文化を壊しているんだ」と悪態をついてから喋ったから、なんでメディアが文句言われなきゃいけないのかと、そちらへも非難が行ってしまう。あるいは日野が「こうしてマスメディアで取り上げるとね、私よりも当の中学生が傷つくんだよ。あいつあんなことをやりやがったっ、てね」と、すでに中学生は反省をしていて、親からも叱ってくれて感謝してると言われているとも説明し、それがまた「(何を言っているのか)わからない」と、日野の肩を持ちたい人たちにも不評であった。だからそれも、「言い訳」とか「居直り」と名づけられ、どうにも〈日野の体罰が悪い〉と結論付けたい番組方針があったような気配を感じさせたのであった。
 
 だが私からすると、坂上忍の言い分は、日野皓正の「いなおり」「いいわけ」よりも分からなかった。坂上の(1)は、芸人としての視線から出された発言であろう。世界的ジャズ奏者がみっともないところを見せていいのかと思ったのかもしれない。だが、世田谷区教育委員会のイベントとはいえ「学校」である。お客さんもジャズ演奏を聞きに来ただけの人たちではない。「芸人としての視線」は後に回すとして、破綻調の様子が出来するのを一番嫌うのが「学校」の常識。「そもそも論」を展開しようというのではないが、ジャズ演奏と学校というのが、破綻調の出発点にある。
 
 坂上の(2)で、この子がこんなことをすると(あるいはほかの子でもいいが、こんな事態が起こると)見抜けなかったのかという意味だとすると、7,80人を「指導」していて、「この子が」とは見抜けないものだ。ジャズを演奏するのであるから、こういう事態が起こり得ると考えないはずはないのだが、二か月の「指導」の間の「生徒」たちの態度が従順であり、それなりに「指導」が行き届いていれば、上手の手から水が漏れることも考えられる。
 
 坂上の(3)は、普通の学校の教師たちの悩むところだ。しかも速戦即決しなければならない。破綻調に逸脱した場面を、どういうアクションを加えて予定の路線に戻すかと、学校の教師たちは試行錯誤している。全部経験則的に鍛えてきたやり方である。スティックを取り上げて投げ捨てるというのもその一つだ。でもそれも効き目がなかったとしたら、どうしたらいいだろう。そここそ、日野を非難するのではなく、TVの前で考えて、名案を提示してもらいたかったと、私は思う。
 
 では、この事態をどうとらえているのか。お前さんはどうすると良かったと考えるか。
 
 この中学生、たぶん演じているうちに、完璧にスウィングしてしまったのだ。これこそ、日野皓正の指導の精華ではないか。もう面白くて止まらない、そう、あの中学生の動作は全身で表している。狂ったのだ。あとで(当人が)考えてみれば、「じぶんでも止まらなくなった」というかもしれない。つまり日野は、順番に、交代で演奏しているという事前の設定をここでぶち壊してでも、自らも同調してスウィングし、それこそ舞台の全員を促して、それにノッテ演(や)るという、二か月の究極の精華を披露してみせることではなかったろうか。当初予定のプランをぶち壊した当の中学生を叱ることは後にして、それはそれで、今後出入り禁止にしてもよい。お客に見せるというよりも、ジャズというのがこれほどに人を狂わせ、それゆえに楽しいものだと提示してみせる。そうしてもらいたかったなあと、他人事ながら私は思っている。
 
 坂上忍も芸人なら、そこまで踏み込んで狂うことの楽しさ、危うさを、お茶の間でお昼を食べながらみている視聴者に提示してみせる。そこにこそ芸人の本望があるのではなかろうか。他人事ですが……。