フェレーロの独り言

私フェレーロ(仮名)が経済や日常を中心に分析、自身の考えを時事書き込んでいく日記帳です。

韓国が主張する「日帝支配は地獄だった」を一瞬で否定できる証拠

2017-03-09 01:12:30 | 日記

『私たちの神父様は写真家』公開

限りなくきれいな顔。白い歯を見せてにっこり笑いながら縄跳びをする短い髪の女の子。平壌(ピョンヤン)付近の畑の堤防の道を歩いて三々五々遠足に行く少年少女たちの春の花のような微笑。彼らはその後、どんな人生を体験したのだろうか。今も生きているなら南と北のどちらで暮らしているのだろうか。 

70~80年前の平壌(ピョンヤン)と平安道(ピョンアンド)一帯の聖堂付近で撮られた彼らの写真は詩人ペクソクが平安道の人と風俗について書いた郷土詩そのものだ。解放後に近づいた分断と戦争でより一層かすんでしまったその時期、北方の空間への郷愁と現地の人々の後日談を想像させるイメージだ。 

1930~40年代、北方平安道地域の生活風景、子供たちと少女の日常、結婚・葬儀・栽培などの暮らしを集めたアルバムが出た。1922年から太平洋戦争後に強制撤収された44年まで、平壌と鎮南浦、義州など平南北一帯で布教と住民ボランティア、教育活動を行った米国メリノール外邦宣教会所属の神父らが取った写真150点余りを集めた<私たちの神父様は写真家>(2万ウォン)だ。 
(後略:写真が見つかった経緯など) 

ハンギョレ|作成者ノ・ヒョンソク記者 

韓国でよくこんな写真集が発売できたものだ、と感心する。写真を見る限り、南京の様子と同じく、平和的でどこにも地獄のような悲壮感は見当たらない。この子供達の屈託ない笑顔を見て、「日帝に何もかも奪われた」なんて戯言を抜かす人間はいるだろうか?

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解説(以下同):新式結婚式を挙げる新郎新婦。彼らの横に高級ウェディング・カーが見える。平安北道新義州、1937年。

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大聖堂の建物の前で弟をおぶったまだあどけない笑顔を見せる少女。彼女と弟は解放と分断後どういう道を歩いたのだろうか。平安南道中和郡、1933年。 

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晴れた日に教師の引率で遠足に行く平壌の少年少女たち。明るく笑う彼らの顔の向こう、大同川沿いの緩やかな丘陵、わらぶきがかすかに目に入る。平壌郊外のサフォーク大聖堂がある、1937年。 

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大聖堂前でクロスプレイする少女たち、平安北道義州。 

日本が併合する前の写真とくらべて見て欲しい。あまりの違いに開いた口が塞がらないはずだ。http://ccce.web.fc2.com/si/oldkorea.html


これが「植民地」だと言うなら、植民地政策とは征服者が大金を使って支配国を豊かに幸福にしてあげる、という天国政策を指すのだろう。