写真の葉っぱは、わが家の庭のカシワです。
この木を一般の庭に植えることはほとんどないらしく、植木屋さんに頼んでも手元になくて、数ヵ月後「群馬県から取り寄せました」と言って持ってきてくれました。
そこまでして欲しい木でもなかったのですが、宇治市の植物園で見たとき、葉っぱの形やつきかたが面白かったので「うちの庭にもぜひ」と思ったのです。
柏餅を作るつもりはありませんでした。
カシワの葉は、秋になって枯れても落葉しません。クヌギの葉もそうですが、未練がましくいつまでも枝にへばりついています。
その姿を「いとおかし」と感じる感性もあるようで、清少納言は『枕草子』の中で「柏木いとおかし 葉守の神のいますらむもかしこし」、葉を守る神様が宿っているようで畏れ多いと書いています。
当時は、「いつまでも葉が落ちないから縁起がいい」と解釈されていたようですが、わが家では「いつまでも汚らしい」と不評です。
このカシワ、英語で daimyo oak と言うそうです。
わが家の大名様は、はるばる群馬県からお越しになったのに、狭い庭で窮屈そうにしておられます。「余は不満足じゃ」という声が聞こえてきそうです。
この木を一般の庭に植えることはほとんどないらしく、植木屋さんに頼んでも手元になくて、数ヵ月後「群馬県から取り寄せました」と言って持ってきてくれました。
そこまでして欲しい木でもなかったのですが、宇治市の植物園で見たとき、葉っぱの形やつきかたが面白かったので「うちの庭にもぜひ」と思ったのです。
柏餅を作るつもりはありませんでした。
カシワの葉は、秋になって枯れても落葉しません。クヌギの葉もそうですが、未練がましくいつまでも枝にへばりついています。
その姿を「いとおかし」と感じる感性もあるようで、清少納言は『枕草子』の中で「柏木いとおかし 葉守の神のいますらむもかしこし」、葉を守る神様が宿っているようで畏れ多いと書いています。
当時は、「いつまでも葉が落ちないから縁起がいい」と解釈されていたようですが、わが家では「いつまでも汚らしい」と不評です。
このカシワ、英語で daimyo oak と言うそうです。
わが家の大名様は、はるばる群馬県からお越しになったのに、狭い庭で窮屈そうにしておられます。「余は不満足じゃ」という声が聞こえてきそうです。