未来の読書ノート

読んだ本のメモ。あくまでもメモでその本を肯定したとは限らない。そんなノート。

小田切明徳著 『山宣譚』

2009-07-31 | 学び
 「僕は特別に記憶も良い方です。そのくせノラクラとまとまった勉強もせず、このカナダにいるのがつらい。暫くスチーヴストンにいる間に嘉藤牧師に重々励まされ、数人の親友の刺激によってやっと目が覚めました。日に1時間ずつ学んでいけば1年に360時間の修養が可能です。人並みの勉強をやってみると決心しました。」 ㌻148

 未来記=小田切明徳著『山宣譚』には、こんな山宣自身の言葉がたくさん引用されている。生身の山宣を知ることのできる良書。
 1日1時間で1年に360時間という決意は大切だと思う。私も常に心掛けていることだ。

貧困研究会編 『貧困研究』 vol.2

2009-07-31 | 反貧困
 東海林智 日本人の中に、頑張ればなんとかなるっていう意識がものすごく強いんですよね。
 要するに、頑張ってもなんともならないところがあるんだ、ということを認めたくないんですよね。この社会がまあそこまで傷んでるってことを認めたくなくて、とにかく頑張ればなんとかなるんだから、なんともならない人は頑張っていないという理解で。だから今の世の中、頑張ってもなんともならないところがすでにあるんだっていうことを、やっぱり伝えていかなきゃなんないとこなのかなあと。 ㌻89

 未来記=「頑張ってもなんともならないところがある」ということを認識することが重要。しかし、そんなに簡単なことではないのも現実。認識格差をどう解消していくか。真実を知らせ、伝える以外に方法はないと思うが、もっとスピードがいるだろう。

貧困研究会編 『貧困研究』 vol.2

2009-07-31 | 労働
 女性パート、派遣・請負労働者、外国人労働者など多様な属性、雇用形態の労働者が正社員と共に働く労働の現場で、それぞれの労働者はどのような意識を抱き、行動し、関係を結んでいるのだろうか。それを明らかにすることは、連帯の困難さと意識変革の可能性を探る作業となるだろう。 ㌻78

 未来記=「連帯」をどう切り開いていくのか、いまそのことが大きく問われている。希薄な関係しか結ばれていない現状もあるが、そうしたもとで、いかにして労働者全体の意識を変えていくのか。これまでの思考の枠を突破することが必要。

貧困研究会編 『貧困研究』 vol.2

2009-07-30 | 反貧困
 「ネットカフェ難民」という現象は、派遣労働の拡大など雇用の不安定化、雇用保険の加入率低下、失業給付の給付率の低下など、雇用と社会保障の領域での変化を十分に踏まえて論じるべき問題である。貧困問題研究が、「貧困に陥った人」を対象に研究するのではなく、その貧困を生み出している政策制度も含む社会全体を対象にした研究として深められることを期待したい。 ㌻35

 未来記=極めて重要な指摘だ。

貧困研究会編 『貧困研究』 vol.2

2009-07-30 | 労働
 河添誠(首都圏青年ユニオン)
 低賃金で劣悪な労働条件の労働現場に労働者を集めるための、もっとも効率のよい方法として、派遣会社は「寮」をもつわけである。手持ちの金がなくなって貧困になると、このように仕事を選ぶ幅が狭くなってくるわけだから、非常に固定性が高まる。そこから脱出するということが難しくなる。 ㌻35

 未来記=派遣切りにあった人が、仕事と住まいを同時に失い、命からがら「年越し派遣村」にたどり着いた。そんな人が「もう寮付きの仕事はこりごり」と寮つき就業斡旋を選ばなかったと聞く。これは極端な例ではない。だからこそ「年越し派遣村」を頼ってきた人が大勢いたことを忘れてはならない。

貧困研究会編 『貧困研究』 vol.2

2009-07-29 | 反貧困
 「派遣切り」であれ「若年不安定就労者」であれ、まず行政窓口や労働組合が支えなければならないはずの人を、ホームレス支援団体が最後の最後のセーフティーネットとして、かずかな資源をもとに住居・生活資金の確保や就労提供で支え、その上で自立支援センター入所や生活保護受給という公的セーフティネットにつなげなければならないところに、施策の貧困の実態が横たわっている。 ㌻18

 未来記=湯浅誠氏は『派遣村 何が問われているか』(岩波書店)で、「年越し派遣村」に、自殺を試みて保護された警察官に連れ添われて来た人、ハローワークから回されて来た人が複数いたことを記している。
 「あろうことか、生活保護の担当部署である福祉事務所すら、「あそこに行けば何とかなる」といって派遣村に人を回してきました」と憤りをこめて告発している。
 いったい、この国はどうなっているのか!

貧困研究会編 『貧困研究』 vol.2

2009-07-29 | 反貧困
 Gさんは40歳前半。2008年10月1日に大阪難波で十数人が亡くなった個室ビデオ店放火事件の数日後、難波のネットカフェ生活者への相談呼びかけの時に出会った。同年9月半ばに製造派遣の仕事を辞めて寮を出てきたが次の仕事が見つからず、約1ケ月間個室ビデオ店やネットカフェで宿泊し、所持金も底を尽こうとしていた。事件のあったビデオ店にもその間何回か泊まったことがあった。「事件の日に泊まっていなくてよかったね」という私のひと言に彼が返した答えは「自分も泊まっていて死んでいられればよかった。寝ている間に死ねるのだったら」だった。 ㌻14

 未来記=このような言葉を聞く度に胸が締め付けられる。「死んだほうが楽」と言わせる社会はあまりに酷過ぎる。こうしたことに無感覚な人、わけても政治家には怒りを禁じえない。

貧困研究会編 『貧困研究』 vol.2

2009-07-28 | 労働
 「若年ホームレス生活者への支援の模索」沖野充彦執筆
 そして、わずか1年もたたないうちに、「派遣切り」とそれに伴う「屋根と仕事の同時喪失」の形で、危惧は現実のものになってしまった。労働組合が中心になった日比谷公園での「年越し派遣村」を見るとき、それはかつて35年前に釜が崎や山谷の日雇い労働者が、公園でテントを張り、炊き出しを行って、めしと寝床を確保して行政要求をせざるをえなかった姿そのものである。派遣や非正規の労働者を支援するには、「屋根とめし、そして仕事を」という、寄せ場の日雇労働者運動や野宿者支援運動が長らく行ってきたスタイルで、労働組合自身が取り組まなければならなくなったことに、事態の深刻さが見てとれる。 ㌻12

 未来記=「年越し派遣村」は、「課題」と「連帯の希望」を同時に示した。しかし、その解決には至っていない。ここをどう広げていくか、一人ひとりに問われている。そして、労働組合、政党などの今後の姿勢も問われている。

柴田徳太郎著『資本主義の暴走をいかに抑えるか』

2009-07-26 | 労働
 そもそも、株式会社は「株主のためのもの」であるのだろうか。ここから疑ってみる必要がある。 ㌻257

 自由放任主義の克服 第五に、「市場に任せることが望ましい」、「自己利益を追求していれば世の中はうまくいく」という考え方を改める必要がある。 ㌻262

 未来記=基本的な著者の「経済学」論には同意できないことが多い。付加価値という概念を使い、「労働分配率」の問題意識にとどまっている。剰余価値がどこから生まれ、労働者がいかに搾取されているかという論議はない。
 しかしながら、こうしたタイトルの本が書かれるのは、現在の新自由主義の問題を考える経済学者が増えてきていることの現われでもあろう。中谷巌氏が『資本主義はなぜ自壊したのか』で、「構造改革」を懺悔したこととも機をいつにするのか。『資本主義はなぜ自壊したのか』は、市場原理主義からの「転向」の趣旨は読めたが、歴史認識などについては読めたシロモノではなかったが。

労働者教育協会 『学習の友』2009年別冊

2009-07-26 | 労働
 深刻な雇用不安のなかで、青年たちの自衛隊入隊が増えているのです。この春高校を卒業した十八歳の女性が入隊の動機をこう語っています。
 「今の時代、大学に行っても安定した職に就けるとは限らないし、母子家庭なら給料をもらえて、寮生活で食事も出るからお金がかからないし、タダで資格も取得できてかなり親孝行だと思ったから」 ㌻25

 この「貧困」「憲法」「安保」をバラバラにとらえるのではなく、「日米同盟」=日米安保体制を機軸にして総合的に情勢をとらえ、運動の発展に寄与するために、労働者教育協会は、二〇一〇年に向けて「なくそう貧困、守ろう憲法、やめよ安保」の総学習運動をよびかけます。 ㌻107

 未来記=『学習の友』別冊は、「なくそう貧困、まもろう憲法、やめよう安保」特集号で、それぞれが密接に関連していることを裏付けている。
 生活のために軍隊に入隊せざるを得ないことがアメリカではごく普通になっている。貧困と軍隊、戦争がいかに結びついているかは、堤未果著『ルポ貧困大国アメリカ』が詳しい。

労働者教育協会『学習の友』2009年8月号

2009-07-25 | 労働
 政府による労働法制の改悪
 第二に、この経営戦略のために、労働者を保護する労働法制の改悪が大規模に行われました。自公政権による「構造改革」路線のもとで、民主党も一緒になってすすめた「労働分野の規制緩和」です。その一つが、低賃金で不安定な働き方=非正規雇用を新たな装いで広げる派遣労働です。八五年に労働者派遣法が制定され、九九年対象業務が原則自由化、〇三年製造業への派遣が解禁。八五年から〇七年にかけて非正規雇用は六五〇万人から一七〇〇万人へ二・六倍に増え、三人に一人が非正規となりました。 ㌻75

 未来記=同号には、SABU監督の映画「蟹工船」の紹介がされている。「蟹工船」化された職場を現代に復活させた政治の罪は重い。自公政権だけでなく、民主もそれに手を貸したことを我々は忘れてはならない。総選挙で審判をくだそう。

『マルクス「資本論」入門』 KAWADA道の手帖

2009-07-25 | 資本論
 『時代はまるで資本論』(基礎経済科学研究所、二〇〇八)という本も出ており、小林多喜二の『蟹工船』ブームとあいまって、ほぼこうした発想は事実上、いまや広く共有されつつあるようにも思えるのです。実際、新自由主義以降の個人主義的な市場原理にすべてを委ねようとする政策方針のもとで、資本主義経済はその本来の作用をあらわにし、経済格差を拡大し、働く人々の雇用と生活を不安定化し、抑圧する傾向を強めてきています。どうしてそうなるのか。『資本論』を読みながら考えると分りやすいのです。 ㌻34

 未来記=本書に収録されている個々人の様々な読み取りすべてに同意できるわけではないが、いろいろな人々が今日の資本主義社会の矛盾を『資本論』によって、読み解こうとする流れがあることは重要だろう。
 『蟹工船』が世界中で翻訳され、あるいは翻訳されようとしていることや、ドイツをはじめ『資本論』が世界中で再注目を集めていることは、現代資本主義の限界が世界中の人々にしわ寄せされていることの反映である。
 『資本論』を現代の眼で読み直し、資本主義の本質を見極め、資本主義が歴史的産物であることを認知することによって、未来社会を問う方向になってきている。今後の展開に注目したい。

読売新聞大阪本社社会部編 『徹底検証「橋下主義」』

2009-07-25 | 政治
 いずれにせよ、メディア自身、どのように知事と向き合うかが問われるようになったのは事実だ。知事の過激発言を報道することによって、結果的に、知事の「敵」を追い詰めることになりかねない。結局、メディアは利用されているだけではないのか、という批判もつきまとう。 ㌻348

 未来記=ドキュメンタリーしたての本書には、報道では流されなかった事実も分析されている。裏舞台を知ることによって、今まで見えていない真実が少し垣間見えるかもしれない。
 「結局、メディアは利用されているだけではないのか」と自問しながら、現在も報道姿勢は改善されていない。
 本書には、まったく抜け落ちているものがある。不要不急の大型開発、進めれば進めるほど赤字が膨らむ箕面森町の開発、阪神高速大和川線などにはまったく触れられていない。当初は「予算の範囲内で」をくり返した橋下知事だが、いまでは従来の開発路線をさらに拡大しようとしている。そのことにまったく触れないことが、本書の最大の欠陥であり、読売の財界擁護の報道姿勢を端的に示している。
 大阪府の累積赤字は、過去の大型プロジェクトのツケであり、この路線を転換しないことには累積赤字は減らない。橋下開発路線は、またぞろ同じ路線にまい進し、そのツケはすべて府民に回されることを報じることこそ、メディアの役割ではないか!

読売新聞大阪本社社会部編 『徹底検証「橋下主義」』

2009-07-25 | 政治
 「僕は秘書使って、各施設を覆面リサーチかけているんですよ。国際児童文学館もビデオ撮ってきました。議会に呼ばれたら、証拠として持って行きたいと考えている」
 「ビデオ撮影は隠し撮りなのか?申し込みなのか?」
 記者からの問いに、橋下は、「隠し撮り」とはっきり答え、8月に2回、私設秘書の奥下剛光を使って、利用実態をひそかにビデオカメラで撮影させていたことを明らかにした。 ㌻313 

 「知事は絶対に超えてはいけない一線を超えた」「正直言って、そこまでするかと。我々のことを信用してもらえてないんですね」「職場の士気は下がりまくりですわ」・・・。
 そこかしこの職場で、幹部もヒラ職員も橋下への失望感を露わにした。
 議会も問題視した。 ㌻313

 「隠し撮り」発言から橋下と北口の論争まで、一連の経緯を取材していた祝迫は、問題となった盗撮映像を見てみた。
 記録は、平日8月7日と、日曜日8月24日の2回分。1階から2階へ、あるいは本棚の間を縫うように動き回ったわずか6分余りの長さで、手ぶれが激しく、特に平日分は携帯電話の動画で画質が粗い。一部略。
 橋下はそれを見て、「(運営改善の)努力の形跡は見られない。(職員は)やる気がないのでないですか」とこき下ろしていたが、何かを判断するにはあまりにも情報が乏しく、客観性に欠けている。撮影者の主観でどうにでも加工できるシロモノでしかなかった。 ㌻314

 橋下にとって、国際児童文学館は「廃止ありき」。実際には、漫画が蔵書全体の15%未満に過ぎないということも、恐らく関係ない。「漫画図書館」という批判は、一気にカタをつけるための方便でしかなかったかもしれない。 ㌻316

 未来記=目的のためには手段を選ばず。それも、過激な発言と演出によって、シロさえクロと言いくるめようとする姿勢が、この「隠し撮り」の顛末は物語っているのではないか。