お城へ行こう!

気ままなお城めぐりの旅の記録と写真を公開しています。

新善光寺城

2014-04-23 06:04:19 | 福井県
 新善光寺城

2014/4/12

福井県越前市のお城めぐり

 越前国守護斯波高経が築いた居城

≪ お城の概要 ≫

城名: 新善光寺城
よみ: シンゼンコウジ
別称:
所在地: 福井県越前市京町2丁目
現状: 正覚寺
築城年代: 南北朝期
築城者: 斯波高経
形式: 平城
遺構: 土塁
規模:
文化財: 市指定史跡
訪城日: 2014/4/12


≪ 訪城記 ≫

府中城から徒歩で新善光寺城に向かう。

府中城の表門が正覚寺に移築されているので、向かった正覚寺で偶然見つけたお城です。
越前市役所前の道を西へ歩き、二つ目の信号で西へ入ると総社大神宮の参道で、鳥居付近を南に行くと正覚寺があり、国道365号側から正門をくぐって入る。
この正門が府中城の移築表門で、門の左隅を見ると、なんと新善光寺城趾碑が建っている。
さらに、墓地のある寺の裏手駐車場の北側に土塁跡があり、土塁上には説明板が建っている。しかも、この説明板の地図には墓地の東側にも土塁跡があると書かれている。行ってみると大きな二本の木と杉の木のある場所が土塁跡で、この北側に福井藩主松平秀康(結城秀康)の四男で福井藩筆頭家老本多富正の養子となった吉松丸の墓所がある。


≪ 歴 史 ≫

南北朝期に越前国守護斯波高経によって新善光寺城が築かれる。
延元元年 (1336) 南朝方の杣山城主瓜生保の軍勢に攻められ落城するが、すぐに奪還する。
延元三年 (1338) 金ヶ崎城の落城で杣山城に逃れていた新田義貞勢と日野川で戦い、高経は敗走して、新善光寺城は新田義貞に奪われる。義貞の戦死後、義貞の弟脇屋義助が美濃へ敗走する。
貞治五年 (1366) 新善光寺城跡に正覚寺が建立される。


≪ 写 真 ≫


新善光寺城北側の土塁跡


東側の土塁跡


正覚寺入口


正覚寺正門(移築府中城表門)


新善光寺城趾碑


正覚寺


吉松丸墓所


現地案内図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR北陸本線武生駅から徒歩約800m、約15分。
<車>
北陸道武生ICを降りて庄町信号を左折、葛岡三叉路信号を右折、国道8号を北上、横市交差点信号を左折、県道2号を西進、村国Y字三叉路信号を斜め左折、日野川に架かる万代橋を渡り、JR北陸本線の上を通過、道が左旋回して一周する立体道を通り、約700m西進した道の北側に新善光寺城跡の正覚寺があり、寺の北側に駐車場がある。


≪ 位置図 ≫

新善光寺城(正覚寺)


紹介したお城の数 207城



Nikon デジタル一眼レフカメラ D7000 18-105VR キット D7000LK18-105
クリエーター情報なし
ニコン




レンズが撮らえた幕末日本の城―永久保存版
來本 雅之
山川出版社


最新の画像もっと見る

コメントを投稿