とんねるず主義+

クラシック喜劇研究家/バディ映画愛好家/ライターの いいをじゅんこのブログ 

続・3ばか大将の芸術

2013年03月03日 19時52分08秒 | 世界的笑世界



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これから3月3日を「3ばか大将の日」に制定します!!!

な~んて言うと、「神聖なひな祭りをアホコメディアンの日にするなんて不適切だ!」っつって、わたしも怒られちゃうのかしら(笑)








それはさておきまして。


こんなすてきなサイトを発見しました。

時間旅行:タイムトラベルをテーマに、フィクション・ノンフィクションあらゆるものを網羅したサイト。

「タイムトラベル映画50~60年代」の項で、3ばか大将の長編作品『三ばか大将、ヘラクレスに会う』(1962)が紹介されています。

日本で3ばか大将の作品をきちんと紹介するサイトは非常にレア。うれしくなってしまった。


リンク先でも説明されているように、『ヘラクレスに会う』は3ばか大将の数少ない長編作品の一本。そんな珍しい作品を紹介しているから、ますますこのサイトのレア度が増しています。


というわけで今回は、3ばか大将の映画制作の歴史を概観してみたいと思います。
3ばか大将のメンバー紹介、ひととなりなどについては、前回記事でおたしかめください。




○テッド・ヒーリー時代


3ばか大将(The Three Stooges)は、はじめからトリオ芸人だったのではありません。

寄席(ヴォードヴィル)に出演していた時代は、テッド・ヒーリーという名のコメディアンの“Stooge”、つまり、引き立て役、おにぎやかし、子分、といった位置づけでした。




テッド・ヒーリーと3ばか



このテッド・ヒーリー、当時は相当人気があったらしい。寄席から出発して、やがてブロードウェイや映画界にも進出。MGM、20世紀フォックスといったメジャーなスタジオと契約し、まさに前途洋々だった1937年、酔って喧嘩した相手に殴られてそのまま亡くなってしまいます・・・


3ばかは、テッド・ヒーリーと共にMGMなどで何本かのミュージカルコメディに端役で出演しました。




○コロンビア時代


酒癖と女癖が悪く、酔うと暴力的になり、ギャラも出し惜しみするテッド・ヒーリーに愛想がつきた3ばかは、1934年に独立。コロンビアと契約して、短編喜劇映画部門(Columbia Short Subject Department )に入ります。


このコロンビア短編喜劇部門というのは、クラシック喜劇ファンにはたまらない存在なんですよ!

とにかく、サイレント喜劇時代の巨匠たちが、みーんなここに流れ着いて作品を撮った。バスター・キートン、チャーリー・チェイス、ハリー・ラングドンなどなど・・・トーキー移行で行き場をなくした「笑いの神々」の、いわば受け皿になっていたんですね。


この話をしはじめると、長くなるので、別の機会にゆずりますが。

3ばか大将は、まさにこの笑いの天国で生まれた「神々の息子」だったわけです。


1934年から1958年。

3ばかがコロンビアの専属タレントとして映画を撮った期間です。24年間のながきにわたる専属契約は、ハリウッドでも最長と言われています。この間に、3ばかが作った短編映画の数、じつに190本!!


英語版ウィキのフィルモグラフィを見てもらうとわかるように、すべての作品には通し番号がついています。また、これらの作品はDVDボックス「The Three Stooges: Ultimate Collection」に収録されていて、全部観ることができます。(大きな声では言えないが、ネット上にもたくさんアップされています)




コロンビア時代の傑作『You Natzy Spy!』(1940)
ハリウッドでヒトラーをパロディした初めての作品(『独裁者』より数ヶ月早く公開された)


こんなに献身的に尽くしたのに、コロンビアは、3ばか大将にまともな報酬を支払おうとはしませんでした。

3ばかの人気は、ものすごかった。しかし、いまのようにマスコミが騒ぎたてたりしなかった時代のこと、映画界はまだまだ一般の世間からは遠い存在。3ばか本人は、自分たちの人気の高さを知らなかったらしい。そこにつけこんで、コロンビアは安月給で彼らをこきつかったわけです・・・




コロンビア社の“独裁者”、社長のハリー・コーンと






○テレビ時代


1950年代、戦後のアメリカは、テレビのアメリカだった。

テレビのコンテンツが豊富になるにつれ、短編映画の需要はどんどん減っていきました。コロンビアの栄光の短編喜劇部門も、ついにその幕を閉じることになり、3ばか大将は、25年目にしてついに契約をうちきられます。


ところが、運命とはじつに皮肉なもの。

3ばかのキャリアを終わらせたはずのテレビが、逆に3ばか再ブームのきっかけになった!


コンテンツが増えたとはいえ、まだまだ人材も題材も足りないテレビ界は、サイレント期からトーキー初期につくられた短編映画を再編集して放送しはじめました。

3ばか大将の短編がローカル局で放送されはじめると、人気に火がつき、やがて全国区で放送されるようになった。3ばか大将を初めて観る子どもや若者たちが、3ばかに熱狂しはじめたのです。

マイケル・ジャクソンが、兄弟たちと毎日「儀式」のように3ばかをテレビで見ていたのも、この頃です。


このうごきを見てコロンビアは、3ばかに長編作品をオファーします。


長編映画!それは、3ばかが24年間夢に見ながら、かなわなかった悲願でした。

かくして、3ばか大将“復活”第一作『Have Rocket, Will Travel』(1959)が公開されます。








この作品は、さっき紹介したアルティメット・コレクションに収録されています。わたしは、3ばかの短編は、あと10本ほどを残してすべて観てしまい、いま彼らの長編作品を追っています。最初に観たのがこの『Have Rocket Will Travel』でした。


これがねー意外にも、とっても良かったんです。


NASAみたいなところで用務員としてはたらく3ばかが、ひょんなことでロケットに乗って金星へ行ってしまうというSFコメディ。米ソの宇宙開発競争がはじまった時代にふさわしいテーマでもありました。


もちろん、短編時代のキレのある笑いや、ナンセンスさは失われている(メンバーも変わっているし)としても、基本、彼らはぜんぜん変わってません。3ばか大将の「変わらなさぶり」って、ほんとうに驚異なんです。


よく、「40才を過ぎたら、もうドタバタはやれない」なんて言われますよね。日本のお笑いの“大御所”たちが、たまーに水をかけられたり、すっころんだりしたら、「伝説の芸だ!!」なんてやたらに珍重されます。わたしも、けっこう珍重する派でした。


3ばか大将を知るまでは。


『Have Rocket Will Travel』を観たら、年齢を言い訳になんて、できなくなりますよ。マジで。

この作品を撮ったとき、3ばかのメンバーは全員が「アラウンド60」でした。最年長のモー(おかっぱ頭の人)は、なんと62才。しかし、見てください、この動き。この声のハリ!!




Have Rocket Will Travel (1959) clip






この作品を皮切りに、計6本の長編を彼らは撮ることになります。くわえて、テレビバラエティへのゲスト出演も数知れず。1960年代は、3ばか大将がまさにスーパースターになった時代でした。

全員60才代のドタバタ喜劇のスーパースター!・・・なんてすてきなんでしょう!




こんな愉快な3ばか大将を、次回の「第3講コメディ学入門」でとりあげます!

貴重な写真や映像をまじえて、たっっっっぷりご紹介しますよ。
ぜひぜひ足をおはこびくださいませ!

日時:4月7日(日)午後4時40分頃から2時間の予定。
場所:神戸映画資料館(JR新長田駅より徒歩5分)
http://kobe-eiga.net/
http://kobe-eiga.net/event/2013/04/#a001835



・・・と、最後には告知になってしまいました失礼しました。

ひとりでも多くのひとに、3ばかのおもしろさを知ってもらいたいのです!

60年代には、日本でも3ばかが放映されていました(吹替えで)。当時のファンだった世代のみなさんにも、ふたたび3ばかを見て笑っていただきたいと、切に思います!



*かつて放映されていた吹替え版3ばか大将の映像、とっても見たいです。
ビデオやフィルムをお持ちのかたはいらっしゃいませんか?情報をお待ちしております!







3ばか大将Tシャツ 欲しいぜ








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