先にお断りしておきます。明日は友人の家で鍋を囲み呑むので、帰れません。
ですから31日の更新は無いです。11月になったら、またお会いしましょう。
っていきなり「締め」かいな(笑)
タイトルですが、いじめによる子どもの自殺が続いています。
どうして「死」を選ばなければならなかったのか?
いじめられる事が「死ぬほど」つらいのは、私も中学1年の時いじめられたので、痛いほど分かります。
でも、死ぬほどつらくても、死んだらダメです。
みなさんは、お葬式に出たことありますか?昨日まで生きていた人が、亡くなって棺の中に入っている。
告別式では、会葬者全員で棺に花を入れ、蓋を閉めます。火葬場では、もう顔を見る事が出来ないので、最後に蓋を閉めたあと、顔の部分だけガラスごしに見える小さな窓を開けて、お別れで見送る。
霊柩車で向かうのは火葬場。到着すると棺は扉の中へ運ばれ扉が閉まり、火葬場の職員の方が「お別れです」と一言いい、扉が閉まる。
人の死って簡単な事じゃ無いんです。
私の両親は、もう高齢です。いつ「順番」が回ってくるか、私には分かりません。でも、必ず遠くない将来、両親を見送らなければならない。これは、とてもつらい事です。
もし、これが逆ならどうなるのでしょう?
まだ小学校とか中学とかまでしか行っていない子どもの葬儀をしなければならない親の気持ち、想像できますか?
お腹を痛めて産み、乳児から幼児への子育ては、半端なもんじゃ無いです。そうやってやっと10年とか、ある程度自分で何でも出来るようになった矢先に、子どもを自殺で奪われる両親の気持ち。私には想像出来ません。
いじめられている子どもたちに言いたい事は「死なないで」
辛かったら「逃げてもいいんだよ」
死ぬくらいなら、学校行かなくてもいいんだよ。
転校を考えてみたりしても良い。引越しとか親の負担とか考えないで。子どもに先に死なれるくらいなら、学校へ行かない、引越しなんて「屁」でも無いんだから。
いじめられている?って言う子どものサインを見逃さないで。親御さん。決して子どもを責めないで。子ども達は「う~んと」つらい思いして頑張ってきたんだから、親は最後のセーフティーネットなんだから。子どもが「死」を選ぶなんて事の無いように守ってあげて。
最後に、いじめをしている子ども。わるふざけでは済まない。いじめなんかする子どもは卑怯です。いじめに加わらないと自分がいじめられるなんて事も考えないで。先生に「ちくったて」良いじゃない。自分がいじめられたら、逃げたっていいじゃない。人をいじめて自殺に追い込む「加害者」になるよりマシでしょう。
先生へ。先生という存在に誇りを持って対応して。間違ってもいじめに加わらないで。「遊びのつもりだった」なんて言い訳、通用しません。
校長、教育委員会。ここら当たりが、一番の「癌」だと思う。責任逃れは見苦しい。いじめがあった、無かったと二転三転する。「有る」「無い」の問題じゃ無い。すでに傷ついて居る子どもがいれば、それはいじめ。有った無かったというのはイコール知っていたか知らなかったかの違い。あまりにも無責任。
いじめが有ったと言ってしまうと「責任」を負うとか、そういう考えは止めて欲しい。責任が負えないのなら、教頭も校長も教育委員会全員、免職ですよ。責任者は責任を負うために居るのだから。責任逃れの言い訳だけは、もう聞きたくありません。
明日の新聞から、子どもの自殺の記事が無くなる事を私は祈ります。
親御さんたちの悲痛な泣き叫びは、もう聞きたく無いのです。