三多摩の鐘

The Bells of San Tama -関東のキリスト教会巡り-

カトリック町屋教会

2011年04月11日 | 東京のカトリック教会
カトリック町屋教会(教会堂名:聖家族)
創立:1931年 ◇ 住所:東京都荒川区町屋4-7-9

東日本大震災から1ヶ月が経過した。被災地の復興は遅々として進まず、放射能の恐怖も収束しない。菅政権と東電の無為無策は、目も当てられない深刻な有様だ。こんな異常事態に、マスコミと学界の有識者は沈黙している。人々の苦しみを顧みず、政界は大連立構想に沸いている。その昔、関東大震災後の社会不安に乗じて、人権弾圧の治安維持法が制定された歴史を思い起こす。「挙国一致」の美名のもとに、全体主義を容認する流れは恐ろしい。

営団千代田線の町屋駅で降りる。地上に出ると、都電荒川線が走っていた。赤堤教会の記事でも触れたが、この荒川線は都内でも珍しい路面電車形式を残している。三ノ輪橋と早稲田を結ぶ全区間の乗車料金は、嬉しい160円均一だ。しばらく荒川線に沿って歩き、右折した住宅街の中に小さな町屋教会がある。 ここは三河島教会の分教会となっているが、その歴史は昭和初期に遡る。当時の町屋は、関東大震災で家を失った被災者が多く住んでいたという。

1931年、上智大学のラッサール神父が訪れた時、町屋は「帝都最大の困窮地帯」だった。 間もなく、この地でカトリックの救済事業が開始され(注)、ミサも捧げられるようになった。現在も上智クリニックや上智厚生館保育園などの医療・福祉施設がある。教会は存続が危ぶまれた時もあったが、今は小さな聖堂の中で信仰の灯を守っている。町屋周辺も大震災と大空襲の苦しみを乗り越えた。東日本大震災から一日も早く復興することを、この町屋で祈りたい。


現聖堂献堂:1993年

(注):この時期、サレジオ会のチマッティ神父や、パリ外国宣教会のフロジャク神父らも、荒川を訪れて救済事業を行っている(フロジャク師については、秋津教会の記事を参照)。
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2 コメント

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お尋ね致します。 (藤木修)
2011-04-20 00:42:46
前略、私は町屋教会の上智保育園を昭和38年に卒園してからも、故アロイジオ・ミへル神父様にお世話になった藤木修と申します。ミへル
神父様と一緒に活動しておられた、杉田守先生とは園児の頃から知っており、杉田先生の消息を探しております。 現在、カナダに永住しており、日本に帰る事もあまりありません。
現在の杉田先生の連絡先がわかりましたら、どうぞ、お知らせください。宜しくお願い致します。 藤木修
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お尋ねの件について。 (エウティコ)
2011-04-21 09:38:30
藤木修 様

はじめまして。
いつも「三多摩の鐘」をご覧いただきまして、厚く御礼申し上げます。
今後ともどうぞ宜しくお願い致します。

さて、お尋ねの件ですが、特定個人の方の連絡先(具体的な住所など)を、公開のネット上で照会されることは、ご遠慮くださいますようお願い申し上げます。
卒園生ということで、現在の上智厚生館保育園(又は上智社会事業団)ともご相談されてみては如何でしょうか。
いつの日か、藤木様が恩師の杉田先生と再会されることを、切にお祈り致します。
心苦しいお願いを申し上げましたが、何とぞご賢察ください。

昭和30年代と言えば、日本全体が活気に満ちていて、子どもの数も多かった時代ですね。
都電荒川線は、「黄色に赤帯」の車両が走っていた頃でしょうか。
40数年を経ても、ミヘル神父様と杉田先生の注がれた愛情が、今なお色褪せない思い出となっているのは、本当に素晴らしいことです。

機会がありましたら、上智厚生館保育園で過ごされた日々や、当時の町屋教会の様子などをお聞かせいただけると、たいへん嬉しく思います。


※上智社会事業団の公式サイトは下記のURLです。
http://www.jyoutishakaijigyoudan.jp/
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