「白秋」に想ふ―辞世へ向けて

人生の第三ステージ「白秋」のなかで、最終ステージ「玄冬」へ向けての想いを、本やメディアに託して綴る。人生、これ逍遥なり。

『さよならダーウィニズム』

2005年09月10日 | Science
『さよならダーウィニズム』(池田清彦・著、講談社)
 彼と親しくなったのは、ある大学院を受験しようと勉強会などに参加したのがきっかけだった。大学では社会学を専攻したとかで、自分から見れば人文社会科学関係の知識が豊富で、さらにコンピュータ(IT)にもなかなか詳しかった。政治にも一家言を持っていて、その面でも刺激を受けることが多かった。初対面で親しくなってからさほど日をおかないうちに、彼は「世界は何からできていると思いますか」と唐突に問いかけてきた。理科系出身の自分ならば「原子、あるいは素粒子からできている」などと答えるだろうと見越して、そこを突っ込みたかったのかもしれない。しかし、まがりなりにも理科系からの転向を心に決めていた自分としては、やすやすとはその手にのらず「言葉からできていると思います」と答えた。その答を聞いて、彼は「すばらしい」と賞賛してくれた。そんなにほめられるほどのものではないと思いながらも、彼に認められたことで、ようやく理科系のワクを抜けられたのかなという、変な自信のようなものを感じた。
 ところで、進化論は科学だろうか。たぶん一般的な日本人にとっては科学だと思われている。しかし、あんなものは科学ではないという人もいる。ダーウィンの進化論はあやしいが、ネオダーウィニズムは科学的だと思われているふしもある。科学とは何かということにも関わってくるが、門外漢にとっては、いっこうに話の筋が見えてこなくてイライラしてくる。要するに、みんながそれぞれに好き勝手なことを言っているだけではないかと思ってしまう。本書では、そのあたりのところを著者なりの切り口で整理してくれている。その切り口とは、著者の池田清彦や柴谷篤弘が提唱している構造主義生物学ないしは構造主義進化論である。いうまでもないことだが、この立場に対して疑義を唱える人も少なくないようだ。著者自身も「構造主義生物学は思弁の産物にすぎず、論文が書けない」と認めている。しかし、いまは「みんな「そうかもしれない」と」思っている段階であって、やがては「実は私もずっと昔からそう思っていたのだ」という段階に達すると期待しているようでもある。
 生物は何からできているのか。生物もまた物質からできている。しかし、いまの時代は、生物といえばDNAである。著者によれば、ダーウィンの進化論(ダーウィニズム)は種を唯名論的に捉えていた。しかし、その背後に遺伝子(DNA)の実体を認めることによって実念論(実体論)的なネオダーウィニズムが成立した。唯名論はまともな科学とはなりえなかったが、実念論は科学として成功をおさめた。だからといって、生物すなわちDNAではない。たとえば、DNAを設計図どおりに配置できたとしても生物はできてこない。それでは、唯名論でもなく、実体論でもない、新たな説明原理とは何であろうか。それは関係論であるという。この考えは、言語学者であるソシュールの構造主義をもとにしている。本書にも例として出ているが、われわれ日本人はふつう虹の色を七色であるとしている。しかし、アメリカなどでは六色であるとする人も多いという。人種によって認識能力に差があるわけではない。虹のスペクトルは連続的なものである。それを日本人は七色に、アメリカ人は六色に、それぞれ「恣意的」に分節しているにすぎないということだ。「恣意的」すなわち恣意性とは、必然的な実体性のあるものではなく、そこにあるのは関係性である。遺伝暗号や生物現象の様々なルールも恣意的に決まったものであろうと著者はいう。しかし、恣意性は「でたらめ」の意味ではない。あるルールが恣意的に決まっても、決まったルールはその後の事物を拘束する。言語に話をもどせば、恣意的に「ネコ」という言葉が決まってしまえば、われわれはネコを見て「イヌ」というわけにはいかない。このように構造主義(言語学)と生物学(科学)とを行きつ戻りつしながら論が進んでいく。このあたりの議論は著者をして「思弁的」と言わざるを得ない所以なのであろうが、そこから見えてくる世界観、科学観、生物観はなかなか興味深く、新たな地平へと開かれているように自分には思えた。
 言語は世界を分節化する。この考えがソシュールに依拠していることを知ったのはずっと後だったと思うが、この事実に接したとき、自然科学で味わった感動とはまた別種の新鮮な驚きを感じた。だからこそ、彼の賞賛の言葉に対して、自分の感動が裏打ちされた気持ちになったのだろうと思う。生物学にも詳しかったそんな彼に、本書についての意見を聞いてみたいものだとつい思ってしまう。しかし、明確な理由がわからぬまま、彼とは音信普通の状態がやがて2年になろうとしている。
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