
『がんばらんと!』(福田衣里子・著、朝日出版社)
今回の衆院選で望んだのはたしかに政権交代だったが、とくに民主党を支持していたわけではない。しかし―民主党であろうとなかろうと―福田衣里子さんには当選してほしいという思いがあった。数年前から薬害肝炎訴訟の「顔」として知られるようになり、会見などを通じて若い女性なのにずいぶんとしっかりした人だなという印象をもった。
それでも、衆院選に民主党のいわば目玉候補として出馬すると聞き、一抹の疑念と不安を感じた。芸能人などにありがちだが、たいした政治的理念などないにもかかわらず名前を売ろうとして選挙に出る人間も少なくない。政党も票を稼ぐために名前を利用し、結果的に使い捨てに終わることもよくあることだ。二十歳のときにC型肝炎の告知を受け、その後実名を公表し政府や厚労省と闘ってきた福田さんに、何らかの理念がないとは思えない。しかし、国会議員への道を歩む必然性があるのだろうか。一つの党派に所属することで、行動が制約されむしろマイナスに作用するのではないか。やはり一般人としての立場を堅持するほうがフリーハンドでいられるのではないか。そんな思いがあった。
本書では、薬害被害者となってしまった出生のときから、衆院選への出馬を決意するまでが語られている。二十歳までの思い出を除けば、治療などの辛い体験や訴訟に関連した重い話題が続く。ところが、福田さんの長崎弁とユーモアのある語り口のお陰で、深刻な内容がけっこう明るく語られている。福田さんのキャラクターによるものなのか、読者への配慮なのか、たぶん両方の意味があるように思うが、福田衣里子さんを知らない人でも親近感がわいてくるように思う。
人間は生きる目的や理由を求める生き物だ。自分や家族には何の落ち度もないのに、出生と同時にC型肝炎という重い十字架を背負わされた福田さんは、薬害に遭った理由や生きる意義を健常者にもまして探してきたはずだ。若い頃から死と対峙してきた人間は、常に人生を問い直し、絶望と希望との間を大きく揺れ動くように思う。「薬害患者」であることを除いてしまえば自分には何の価値があるのかという問いかけや、世間から寄せられる「同情」に対するいらだちなど、福田さんとは比較にならないが軽度障害者の自分にも少しはわかるような気がする。
福田さんたちの闘いが実を結んで2008年新春「薬害肝炎救済法」が成立し、原告と国とはひとまず「和解」した。しかし、これですべてが終わったわけではない。福田さんの視線は肝炎問題を突破口として医療全体の改革へと向けられている。多くの経験がその原点にはある。わずか28年の人生で生死の深淵に立ち、政治に翻弄され、政治家・官僚・司法・マスコミなどの実態を知り、何度も人間不信に陥ったにちがいない。一方で血縁を超えた愛を知り、多くの絆も築いてきた。
福田さんは多くのことを知ってしまった。「多くの人が苦しんでいることを知ってしまった。というより、『知らされてきた』のかもしれない。知ってしまったからには責任がある。」 そして「命は待ってくれない。今なら救える命がある。今しか救えない命がある。これまで多くの方に支えていただき、つないでいただいた私の未来と命をどう使うべきか。」 「そして私は覚悟を決めた」と福田さんは締めくくっている。
福田衣里子さんの純粋な気持ちをいまは支持したいと思う。もちろん純粋なゆえに、百鬼夜行の政界で人間性が壊されはしないかと不安も覚える。しかし、それを監視していくのはむしろわれわれ国民の責務だろう。「明日、あなたは思いがけない理不尽に遭うかもしれない。しかしそれは、社会を変えるチャンスかもしれない」―そんな想いを実現するためにも、「声なき声を聴」き、「真実を見通す目」で、新政権を見守っていかなければならない。
今回の衆院選で望んだのはたしかに政権交代だったが、とくに民主党を支持していたわけではない。しかし―民主党であろうとなかろうと―福田衣里子さんには当選してほしいという思いがあった。数年前から薬害肝炎訴訟の「顔」として知られるようになり、会見などを通じて若い女性なのにずいぶんとしっかりした人だなという印象をもった。
それでも、衆院選に民主党のいわば目玉候補として出馬すると聞き、一抹の疑念と不安を感じた。芸能人などにありがちだが、たいした政治的理念などないにもかかわらず名前を売ろうとして選挙に出る人間も少なくない。政党も票を稼ぐために名前を利用し、結果的に使い捨てに終わることもよくあることだ。二十歳のときにC型肝炎の告知を受け、その後実名を公表し政府や厚労省と闘ってきた福田さんに、何らかの理念がないとは思えない。しかし、国会議員への道を歩む必然性があるのだろうか。一つの党派に所属することで、行動が制約されむしろマイナスに作用するのではないか。やはり一般人としての立場を堅持するほうがフリーハンドでいられるのではないか。そんな思いがあった。
本書では、薬害被害者となってしまった出生のときから、衆院選への出馬を決意するまでが語られている。二十歳までの思い出を除けば、治療などの辛い体験や訴訟に関連した重い話題が続く。ところが、福田さんの長崎弁とユーモアのある語り口のお陰で、深刻な内容がけっこう明るく語られている。福田さんのキャラクターによるものなのか、読者への配慮なのか、たぶん両方の意味があるように思うが、福田衣里子さんを知らない人でも親近感がわいてくるように思う。
人間は生きる目的や理由を求める生き物だ。自分や家族には何の落ち度もないのに、出生と同時にC型肝炎という重い十字架を背負わされた福田さんは、薬害に遭った理由や生きる意義を健常者にもまして探してきたはずだ。若い頃から死と対峙してきた人間は、常に人生を問い直し、絶望と希望との間を大きく揺れ動くように思う。「薬害患者」であることを除いてしまえば自分には何の価値があるのかという問いかけや、世間から寄せられる「同情」に対するいらだちなど、福田さんとは比較にならないが軽度障害者の自分にも少しはわかるような気がする。
福田さんたちの闘いが実を結んで2008年新春「薬害肝炎救済法」が成立し、原告と国とはひとまず「和解」した。しかし、これですべてが終わったわけではない。福田さんの視線は肝炎問題を突破口として医療全体の改革へと向けられている。多くの経験がその原点にはある。わずか28年の人生で生死の深淵に立ち、政治に翻弄され、政治家・官僚・司法・マスコミなどの実態を知り、何度も人間不信に陥ったにちがいない。一方で血縁を超えた愛を知り、多くの絆も築いてきた。
福田さんは多くのことを知ってしまった。「多くの人が苦しんでいることを知ってしまった。というより、『知らされてきた』のかもしれない。知ってしまったからには責任がある。」 そして「命は待ってくれない。今なら救える命がある。今しか救えない命がある。これまで多くの方に支えていただき、つないでいただいた私の未来と命をどう使うべきか。」 「そして私は覚悟を決めた」と福田さんは締めくくっている。
福田衣里子さんの純粋な気持ちをいまは支持したいと思う。もちろん純粋なゆえに、百鬼夜行の政界で人間性が壊されはしないかと不安も覚える。しかし、それを監視していくのはむしろわれわれ国民の責務だろう。「明日、あなたは思いがけない理不尽に遭うかもしれない。しかしそれは、社会を変えるチャンスかもしれない」―そんな想いを実現するためにも、「声なき声を聴」き、「真実を見通す目」で、新政権を見守っていかなければならない。
