「信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、したがって、見えるものが目に見えるものからできたのではないことを悟るのです。」(ヘブル11:3新改訳)
今日、世界を支配する科学思想、合理的精神は根本的な誤りを持つ。それは、聖書が証しする創造主を信じ認めない、という誤りである。多くの科学者や教育家は言う、もし絶対者の存在を認めると科学は成り立たなくなってしまうと。しかしそのようなことはなく、創造主を受け入れてこそ、科学思想やすべての精神は初めて正しく機能し、発展することができるのである。▼百年ほど前、相対性理論を提唱したアインシュタインは、「時間は相対的で伸び縮みする」と言い、世界をおどろかせた。しかし聖書は初めから言っている。「あなたがたは、この一事を見落としてはいけません。すなわち、主の御前では、1日は千年のようであり、千年は1日のようです」(Ⅱペテロ3:8同)と。これを記したのは、もと漁師だったペテロである。▼この世的な思想の根底には、神への不信仰と反逆性が存在するが、人々はこれも認めず、一笑に付す。すなわち、それがあらゆる間違いの原因であることを認めないのである。主イエスが、「あなたがたは、なぜわたしの話していることがわからないのでしょう。それは、あなたがたがわたしのことばに耳を傾けることができないからです」(ヨハネ8:43同)と言われたとおりだ。父なる神と、そのひとり子イエスのもとに立ち返る、人として真に正しい生き方はそこから始まることを知ろう。「輝く日を仰ぐとき、月星ながむるとき、いかずち(雷)鳴りわたるとき、まことのみかみ(御神)を思う、わがたま(魂)いざたたえよ大いなるみかみを、わがたま(魂)いざたたえよ大いなるみかみを」(新聖歌21)